札幌光星中学校・札幌光星高等学校

校長メッセージ

自ら社会を照らす「光」となり 平和で豊かな未来を創るリーダーを育成

校長 駒井 健一郎

 2年以上に及ぶ新型コロナウイルス感染症との戦いは、我々に多くの犠牲を負わせました。と同時にポストコロナの正しい世界観について、多くの人が模索するようになりましたが、その答えとして「利他」という考え方が一つのキーワードになると感じます。「利他」とは、「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。」という意味です。コロナの前から、情報社会の進展に伴い、インターネットやSNSなどの影響が急速に拡散する一方、社会全体で血の通った会話が成立しにくくなったと言われ、情報が少なかった時代よりも明るい未来を展望させることが難しくなったとも言われています。自分さえよければいいという「利己」が幅を利かせる風潮によって、「格差社会」、「勝ち組・負け組」などに象徴されるような弱肉強食が黙認される世界観による失望や閉塞感が、我々の心の中に蔓延しているように感じます。そんな中、今般のコロナ禍が「利己的世界観」への傾斜にブレーキを踏むようになった。感染防止を施さなければ、いつ自分が罹患してもおかしくない。罹患してしまうと、特効薬がない中では「死」を覚悟しなければならないという「利己」の立場から、自分に「死」の危険がなかったとしても自分の感染によって大切な人の「命」が奪われるかもしれない。大切な人の延長に世界中の人々がつながっている。そのために徹底した予防策をとる姿勢に転じた瞬間に、「利他」の立場へと変身するのです。この動きは、エッセンシャルワーカーの方々をリスペクトし、彼らのはたらきに感謝するという「利他的世界観」の萌芽も感じさせてくれました。20世紀末以降のグローバル化が、世界の「連帯性」を脆弱化していくことへの躊躇は、コロナ禍を通し、良識ある人々を「利他」という考え方へと向かわせ、ほんの僅かですが人類の明るい未来を期待させてくれます。
 創立から90年近くの間、本校がカトリックミッションスクールとして大切に伝えてきた「他者のために自らを尽くすことができる人材の育成」という教育方針は、「利他」の追及であり、不透明な未来をたくましく生きるための大きな力になるはずです。

10月全校集会  2022年10月20日

 毎朝正門前で私に挨拶してくださる女性から、二学期が始まってすぐに「先日、光星の生徒さん3人が地下鉄駅構内でアリオに行こうとしていた方に優しく丁寧に道を教えているのを見かけました。素晴らしい教育をされていますね」とお声かけいただきました。札幌光星には、困っている人のためにすすんで働ける生徒がたくさんいることを私は大変うれしく思います。
 さて、最近、悲しいニュースが多い中で、今日は明るいニュースから皆さんにお話をしたいと思います。そのニュースとは、元日本ハムの大谷翔平選手がエンゼルスと年俸3000万ドルの1年契約を結んだニュースで、多くの皆さんが驚いたことでしょう。ところで、年俸3000万ドルは、昨日午前の東京外国為替市場の為替レート、1ドル149円20銭で計算すると、44億7600万円です。日本ハムの登録選手114名の今年の年俸合計は37億7930万円でしたので、大谷選手の年俸で日本ハム全選手の年俸をカバーできることになります。また、大谷選手は今シーズン157試合に出場しましたが、年俸が44億7600万円なので、1試合当たりの報酬は、2851万円になります。これは、宇宙旅行(といって宇宙空間に4分間だけ打ち上げられる程度のものですが)にかかる一人当たりの費用と同じくらいの額です。皆さんご存じのように大谷選手は投手と打者の二刀流として活躍していますから、エンゼルスは、投手の大谷選手と、野手の大谷選手に22億3800万円ずつ支払うことになったとも考えられます。すると、大谷投手は、今シーズンの投球回数が166イニングですから、1イニングあたりの年俸は、1348万円1900円になります。これは、普通のジェット機をポケモンジェットに塗装するためにかかる費用と同じくらいです。ちなみに球数は、28試合に登板し、合計2626球でしたので、1球あたりの年俸は、85万2300円になります。これは、エンゼルスの応援のために羽田からロサンゼルスに向かう際のビジネスクラス往復航空券の代金とほぼ同じ額です。打者としては、今シーズン666回打席に入りましたので1打席あたりの年俸は、336万円になります。これは、来月修学旅行で5年生が行く長崎空港へ新千歳空港から6人乗りの飛行機をチャーターした場合の片道料金と同じくらいの額です。厚生労働省が2020年に公表した国民生活基礎調査の報告書によれば、平均年収にあたる全世帯の年収中央値は437万円とされていまので、大谷選手の年俸は日本人の平均年収の1024人分に相当します。また、日本人が一生涯に得られる収入は平均すると2億2000万円程度といわれていますので、大谷選手は1年でその20倍を手に入れたことになります。
 もちろん、3000万ドルの年俸からも税金が引かれます。そのことやお金の使い道について大谷選手に質問したところ、「ロサンゼルスは税率が高いので、自分の稼いでいる半分よりちょっと多いぐらいは納めないといけないので。それは納めます。ただ、特に消費するということはあまりない方なので。今のところは(お金は)貯まっていく一方かなと思っています」と答えたそうです。仮に年俸の半分を税金として引かれても約20億円が実際の収入として残ります。あと10年ほど今のペースで活躍すると200億円以上の収入を得ることになります。ちなみに、来年春にオープンするファイターズのホームグラウンドであるエスコンフィールドの建設費用は約600億円です。
 ちなみに、税引き後の年収20億円を1年間で使い果たそうとしたら、1日に548万円も使えることになります。先ほど紹介した日本人の平均年収よりも大谷選手の日給の方が高いことになります。これは、一般庶民の私が想像するとても贅沢な暮らしという設定の計算になりますが、1回の食事に3万円かけても1年間で3285万円です。1泊10万円のホテルに泊まり続けても1年間で3650万円です。洋服代に毎週50万円かけても2400万円です。これに高級車2000万円とシーズンオフにリフレッシュ旅行で1000万円、時々は仲間にご馳走し、高級な時計などのアクセサリーを買っても1億5000万円もあれば十分足ります。しかも、あの大谷選手のストイックな野球への姿勢からすれば、必要以上に贅沢な暮らしをしないと思いますので、先ほどのインタビューの答えのように、「お金は貯まっていく一方」なのだと思います。
 さて、今日私が皆さんに考えてもらいたいことは、こうして十二分に贅沢な生活が可能な金額の30倍近い年俸で契約をした大谷選手は、たくさんのお金を手に入れたことを喜んでいるのでしょうか。きっとそうではないはずです。年俸の額ではなく、自分自身の成績や偉業への高い評価について満足に感じているはずです。もしそうならば、大谷選手の真の喜びや満足感を満たすための方法が、金額でしか表すことができないという世の中の仕組みに私は違和感を覚えるのです。もちろんそれが新自由主義における平等でシンプルな評価方法なのだと言い切ってしまえばそれまでなのですが、本来、大谷選手の偉業はお金では買えないものです。
 5年生の皆さんは、宗教の授業で「人はお金の為だけにはたらくのか」というテーマでディベートを行いましたが、大谷選手は、お金のためだけにはたらいているとは言わないと思います。同じような例として、努力をし、事業に成功し、莫大な富を築いた人が、プライベートジェットを手に入れ、宇宙旅行を実現させ、南の島を丸ごと買うなど、人が羨むような贅沢な暮らしをする。もちろん頑張って事業を成功した報酬として贅沢な暮らしを手に入れることは悪いことばかりではありませんし、努力が評価されることは正しいことであり、我々の成長にとって大切なことです。しかし、少し気になるのは、そういった方々の中に、それだけの贅沢をしても、その何十倍何百倍の財産を持ち、使い道に頭を悩ませ、マネーゲームに巻き込まれ、残念ながら多くの人が幸せになるような使い方をしていないケースがあるということです。もちろん、大谷選手はそのようなお金の使い方をする人ではないと思います。ただ、大谷選手のような大スターや偶然にも幸運を手に入れたような一個人が、彼らの莫大な財産について、相応しい使われ方の判断まで任せられてしまう責任やそのことへの評価、そしてそれに伴うプレッシャーは、相当に大きなものなのではと思うのです。
 では、努力や努力によって生み出されたものへの評価として、金額の高い低いに頼らない方法が他に何かあるでしょうか。この問題の答えは一つではありません。ただ、今のところ評価方法がお金しかないと考える人が大多数のため、使い切れない富を手に入れる一握りの大スターや大富豪がいる一方で、努力しても魅力がなかったり、必要だと思われなければ切り捨てられ、日々の生活すらままならず、人間としての尊厳にかかるような状況まで落ちぶれ、耐えがたい苦難を一生涯にわたって強いられている人が、世界中に何億もいるという現実があります。世界中の1%の人が、世界中の富の過半数を独占しているという現実があります。今も8億以上の人が生まれながらにして飢餓と戦っているという現実があります。先ほど紹介した大谷選手の1球あたりの報酬である85万2300円があれば、フィリピンでは小学校を一校建てることができます。皆さんには、こういった社会の仕組みに問題意識を持ち合わせる大人になってほしいのです。大谷選手が、その活躍に見合う十分な贅沢をし、老後の蓄えをし、大切な人にも幸せな生活を保障するだけの報酬を手にした上で、それでも生涯をかけて使い切れないお金が貯まる一方だとしたら、お金がその時々に応じて必要な人に有効に使われる社会になる方法を、皆さんには、考える人になってほしいと思います。そして、そのようなお金の使われ方が恒常化しても、大谷選手の偉大さが、今と変わらない価値をもって未来永劫高く評価される方法を考える人になってほしいですし、世界中の人がそういった考えを持ち合わせるような世の中になるよう行動できる人になってほしいと思います。少なくとも、皆さんが「人はお金の為だけにはたらくのか」という問いに対し、明確に「NO」と答えられる大人になることを願っています。
 10月も下旬に入り、日に日に気温も下がり、冬の気配を感じます。6年生は大切な時期になりましたので、体調管理に十分気をつけてください。5年生は楽しみにしている修学旅行が半月後に迫ってきました。いつも以上に風邪などに気をつけ、そしてまだまだ油断できないコロナについても、これまで通りに皆さんで協力し、万全の対策をとっていきましょう

一学期終業式  2022年9月28日

 みなさん、こんにちは。今日で一学期が終わります。中学生は昨日の遠足、そして、今日は学年ごとに新聞記者の方々との活動や近代美術館訪問、大学教授のオンラインでのミニ講義受講など、普段できない学びを体験したことでしょう。高校生は、月曜日から学年ごとのスポーツデイでいい汗を流しました。7月の光星祭で作ったクラスTシャツに袖を通し、一致団結した行事になったのではないでしょうか。
 6年生にとっては、今日が最後のクラス行事になりましたが、この仲間とともに、この先も第一志望に向けてしっかりと戦い抜きましょう。その他の学年の皆さんも、それぞれの学年の折り返しを迎えます。学習面では、一学期総合成績から浮かび上がる一人ひとりの課題に正面から向き合ってください。それ以外にも、クラブ活動や習い事、あるいは家族や友人との関係など、それぞれに達成できたことや、これから諦めずに取り組んでいかなければならないことがあったはずです。明日からの4日間の秋休みは、自分自身の「作戦会議」を行い、進むべき方向の微調整をして二学期をスタートさせましょう。
 さて秋休みが終わり、学校が再開する来週月曜日に今年度の文化講演会が行われます。今年は、アテネオリンピック、北京オリンピック、ロンドンオリンピック、リオデジャネイロオリンピックの4大会に連続出場を果たし、4つのメダルを獲得した元水泳選手の松田丈志さんです。松田さんは1984年に宮崎県延岡市に生まれました。4歳で地元のスイミングスクールに通い始め、その時から現役引退までの28年間、久世由美子コーチから指導を受けてオリンピックのメダリストになるほどのご活躍をされた方です。スイミングクラブといっても小さな街で活動資金も十分にない中での運営で、中学校の屋外プールを借り、後に冬の寒さに子供たちのことを可哀そうに感じた地元の方々が協力してプールをビニールハウスで覆った、そんな質素な施設からオリンピックで4つのメダルを獲得するアスリートが誕生することになった松田さんと久世コーチの28年間の物語は、まさしく二人三脚で世界の頂点を目指し、多くの人に感動をあたえ、学ぶべきことも大変に多く、私も今から来週の講演会を楽しみにしています。今日は、そんな松田さんと久世由美子コーチが書いた~夢を喜びに変える「自超力」~という本から、私が心に残った久世由美子コーチのメッセージを2つ紹介します。
 1つ目は、「どんな環境でも強いメンタルは育つ」です。
 松田選手の活躍を知って、多くの方がビニールハウスのプールの見学に来るようになったそうですが、ちょうどそのような見学者の中に、水泳ではない競技の日本代表メンバーが来た際に、久世コーチは、いつものように小中学生の水泳を指導しながら、「皆さんもプールに入って一緒に練習しませんか」と声をかけたところ、「いやいや、我々は日本代表ですから、この中に加わるのは無理があるでしょう」とやんわりと断ってきたそうです。そこで久世コーチは、ただ見ているだけと、実際にやってみるのとでは、得るものが違いますよと強く勧めると、彼らはしぶしぶといった様子で水に入る準備をはじめましたが、内心は「なぜ日本代表の我々が小学生と一緒に泳がなければならないのか」と納得していない様子だったそうです。ところが、実際に泳ぎ出すと大半のメンバーがぜいぜいと息を切らし、「こんなにキツイものなんですね」とびっくりした顔を見せたそうです。もちろん彼らは水泳の選手ではないので、小学生の練習とはいえ慣れないメニューが辛いのは当然なのですが、ここで彼らに感じてほしかったことは、練習の辛さではなく、場所や環境を選んでいては、せっかくの学びの機会を失うことになるということだったのです。小中学生に混じって練習することに抵抗を感じていたのは、彼らのプライドのせいであり、そうした精神的な垣根を取り払えるかどうかもまた、メンタルを強くするための一つの方法だったのです。この練習の後で、久世コーチは松田さんの普段の練習風景を撮影した動画を見せました。そこにはビニールハウスのプールで小中学生の横のレーンを独り黙々と自分を追い込む松田さんの姿が映し出され、日々恵まれた環境で練習する日本代表のメンバーに大きなショックを与えたのだそうです。
 2つ目は、「礼節を欠かさない人間性を養う」です。
 久世コーチは、松田さんが4歳の時から彼を預かるようになり、その時点でその後の人格形成を踏まえ、単に水泳だけを教えてはいけないと考え、口を酸っぱくして叩き込んだのが、「挨拶と返事、そして常に感謝の気持ちを忘れない」ことだったそうです。スポーツはたとえ個人競技であっても、自分一人だけで完結するものではなく、コーチやスタッフはもちろん共に練習する仲間や応援してくれる人など、多くの人々と関わり合いながら競技に打ち込むことになります。周囲の人と良好な関係を築くことは、そのまま練習環境にも直結します。人間関係がうまくいかず、常にどんよりとしたムードの中で練習するのと、周囲の人に好かれ、何事にもやりがいをもって臨める環境で練習するのとでは、成長の度合いにも大きな違いがあります。周囲の人とのコミュニケーションがよく取れていれば、トレーニングに有用な情報もどんどん入ってきます。礼節を備え、周囲の人と良好な関係を育むことは、たくさんの人の力を自分の力に変えることになります。久世コーチが、人一倍挨拶にこだわって指導してきた理由とは、まさにこのことなのです。
 最後に久世コーチが、指導の折々に好んで口ずさんでいた言葉を紹介します。
  
  夢なき者  理想なし
  理想なき者 目標なし
  目標なき者 実行なし
  実行なき者 成果なし
  成果なき者 喜びなし

 これは、松田選手のようなトップアスリートばかりではなく、私たちにも通じる言葉ではないでしょうか。目標を掲げ、その達成のためにあたえられた環境に感謝しながら、ベストを尽くし続けることで、心身共に強い自分を作ることになります。これこそが他人の評価に心惑わされることなく、自分自身が納得できる豊かな人生を送る秘訣であると感じます。大きな目標がある人は、それを達成するために必要な時間を逆算して行動計画を立てましょう。久世コーチは同じ本の中で、今はまだ目標が定まっていない人に向けて、「たとえば『いつまでにこの資格を取得する』とか、『次の試験ではこの科目で80点以上取る』といった短期・中期的な目標をもつのもいいでしょう」とも語っています。今日の話をヒントに、みなさんがほんの少し気持ちを切り替えて来週からの二学期をスタートしてくれたらと願っています。みなさんの挑戦を心から応援しています。

夏休み明けの全校集会 2022年8月19日

 おおよそ1か月ぶりにみなさんが揃って登校してきました。残念ながら新型コロナウイルス感染症の第7波の影響で、夏休み前の全校集会同様、放送による集会といたしました。それでも、全国的に行動規制をとることなく、withコロナで生活していくことを選択したせいもあり、過去2年の夏休みと比較するといろいろな思い出を作ることもできたのではないでしょうか。夏休みの初めにはサッカー部が徳島県での全国大会で1回戦を突破する大活躍でした。2回戦も本当に惜しい試合でした。テニス部男子・女子、ゴルフ部、馬術部、囲碁将棋部、ディベート同好会も立派な戦いであったとの報告を受けています。お疲れ様でした。また、吹奏楽部は夏休み中のコンクールで18年ぶりの全道大会出場を決めました。おめでとうございます。6年生は、8月に入ってからも多くのみなさんが夏期講習や自学自習で学校に来ていました。夏休み期間中は3カ年校舎のエアコン工事のため、部活動や学習で、みなさんには少々不便をさせてしまいましたが、みなさんの協力でもう少しでエアコンも利用できるようになります。また夏休みが明けたばかりですが、約2週間後には一学期期末試験となります。もうしばらく、暑い日も続くとは思いますが、気持ちを切り替え、心と体を学校生活に合わせていきましょう。
 今日の私の話は、戦争についてです。毎年、夏休み明けの集会では戦争に関する話をしています。戦後77年が経ち、また今年は2月末からのウクライナでの悲劇もあり、戦争について例年以上に考えさせられる年になっています。私を含め、日本人の多くは、戦争を体験していませんが、戦争の恐ろしさを後世に伝える使命は持っています。
 私は夏休み中に「長崎の郵便配達」という映画を観ました。札幌では、「シアターキノ」という映画館で上映されていますので、興味のある方は是非ご覧ください。6年生は、昨年、修学旅行で長崎を訪れ、浦上天主堂や平和公園、原爆資料館などで、1945年8月9日の長崎での悲劇について学習してきましたが、この映画も、長崎の原爆投下にまつわるストーリーです。
 第二次世界大戦中にイギリス空軍の英雄となり、退官後は英国王室に仕えたピーター・タウンゼント大佐。マーガレット王女との恋が報じられ、世界中から注目を浴び、名作映画「ローマの休日」のモデルになったと言われています。その後、ジャーナリストとなり、72日間の世界一周旅行で、長崎の被爆者に心を寄せるようになり、被ばくした谷口稜曄(すみてる)さんを取材し、1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を発表します。タウンゼント大佐の死後、娘で女優のイザベル・タウンゼントさんが2018年に長崎を訪れ、父と谷口さんの思いをひも解いていく姿を追うドキュメンタリー映画になっています。
 谷口稜曄(すみてる)さんは、1945年8月9日、16歳の時、自転車に乗って郵便物を配達中、爆心地から1.8km地点の長崎市住吉町で被爆しました。その瞬間のことを谷口さんはこう回想しています。「いつも通りに郵便配達をしていると、兵器工場近くで遊んでいた5,6名の少年たちに『スミテル、おはよう』と声をかけられた。その声を背中にペダルをこぎ出した瞬間、目の前が真っ白になる閃光、その後の爆音で自転車ごと吹き飛ばされ、4mほど先の地面にたたきつけられた。空を見上げると、木の葉のようなものがヒラヒラと舞い降りてきて地面に落ち、動かなかった。よく見ると、ついさっき『おはよう』と声をかけてくれた少年たちで、黒焦げになり、無キズのままの状態で死んでいました」スミテル少年は、激しい熱線により背中と左腕に大火傷を負いました。そして、このまま死んでしまうのではと、死の恐怖に襲われました。しかし、死ぬものか、死んではならないと、自分を励ましていたそうです。しばらくして、騒ぎがおさまったので起き上がってみると、左の手は腕から手の先までボロ布を下げたように皮膚が垂れ下がっていました。背中に手をやってみると、ヌルヌルと焼けただれ、手に黒い物がベットリついてきました。そのまま徒歩で200mほど先の三菱重工長崎兵器製作所住吉トンネル工場へ避難し、女の人に頼んで、手に下がっている皮膚を切り取ってもらい、機械油で体を拭いてもらうなど簡単な手当てを受け、30名ほどと一緒に近くの山へ避難しました。そこから二晩、火傷の痛みとノドの渇きに苦しみながら過ごした後、ようやく救援隊が到着した時、避難した中で生き残っていたのは、スミテル少年ただ一人だったそうです。谷口さんはその後、大村市の海軍病院へ移送され、3年7か月後の1949年3月20日に退院しました。しかし、背中の火傷の影響で、長い間、背中を向けて寝ることができず、腹から胸にかけてのひどい床ずれで皮膚が陥没し、肋骨があらわになり、心臓の動きが皮膚を通していつも見えるような醜い姿になってしまいました。
 私がこの映画の中で心に残ったシーンは、谷口さんが、被爆者という風評被害を乗り越え、結婚し、家族4人で海水浴に来た時、5歳の長女が父親の上半身を見て、火傷の跡のケロイドを怖がり、母親に泣きついた際に、「この傷は自分のせいじゃないから、世間にさらすことを恥じることは何もない」と言い切ったところです。 
 谷口さんは、その後、自分の火傷の写真を多くの人に見せ、核兵器廃絶のための活動を続けました。その写真は「赤い背中の少年」とよばれ、世界中に核兵器の恐ろしさを伝えました。また、谷口さんは2010年5月に 国連本部で行われた核拡散防止条約再検討会議でもこのような演説を行いました。
 「私はモルモットではありません。もちろん、見世物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度みてほしい。私は奇跡的に生き延びることができましたが、『生きる』とは『苦しみに耐える』ことに他なりませんでした。かつて38万人いた日本の被爆者は今、23万に減りました。私たち被爆者は全身に原爆の呪うべき爪あとを抱えたまま、苦しみに耐えて生きています。核兵器は絶滅の兵器、人間と共存できません。どんな理由があろうとも絶対に使ってはなりません。核兵器を持つこと、持とうと考えること自体が反人間的です。最初の核戦争地獄を生身で体験した私たちは、65年前のあの8月、核兵器の恐ろしさを本能的に学びました。核攻撃に防御の手段はなく、『報復』もあり得ません。もしも、3発目の核兵器が使われるならば、それはただちに人類の絶滅、地球とあらゆる生命の終焉を意味するでしょう。人類は生き残らねばなりません。平和に、豊かに。そのために、皆で最大の力を出し合って、核兵器のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。」
 谷口さんは、2017年8月に88歳でお亡くなりになりましたが、その1か月ほど前の最後のインタビューでこう語っています。
 「私たち被爆者がもし一人もいなくなったときに、どんな形になっていくのか、それが一番怖い。核兵器を持っていない国が、持っている国を包囲し、一日も早く核兵器をなくす努力をしてもらいたい。」
 6年生のみなさんが昨年の修学旅行で平和ミサに参加した際に訪問した浦上天主堂。原爆が投下された当時、その地域には12,450名の方が住んでいましたが、一瞬にして約8,500名の命が奪われました。多くの方々が、最後は神様の救いを求めて、教会に集まるように息絶えたといいます。こうした一人ひとりの尊い命が奪われたことを風化させてはなりません。また生き残った方々も、今日紹介した谷口さんのように、自らに何ら責任がないにもかかわらず、地獄のように辛く苦しく、悲しい生涯を送ることになってしまいました。戦争によって人生を滅茶苦茶にされた多くの方々のことも、決して風化させてはなりません。私たちの平和を守るためにも、平和を奪われた方々の無念に報いるためにも、絶対に譲れない一線を懸命に守り抜く決意を改めてしたいと思います。

夏休み前の全校集会 2022年7月22日

 みなさん、こんにちは。この時間は、夏休み前の全校集会の予定でしたが、新型コロナウイルス感染症再拡大の状況を考え、放送で行うこととします。明日からの夏休み中、みなさん、そして御家族の皆様、くれぐれもコロナに感染しないよう、ご注意ください。はじめに、山崎神父様の聖書朗読です。

 コリントの信徒への第二の手紙 9章6~10節

「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」


 あらためまして、こんにちは。2週間前、みなさんのエネルギーが結集し、大成功だった光星祭。今年のテーマであった「The Starry Festival」の通り、たくさんのスターが生まれました。それから2週間、コロナ再拡大の兆しの中、みなさんの感染予防への協力のおかげで、影響を最小限に食い止めながら学校を続けることができ、明日からの夏休みを無事に迎えることができました。ありがとうございます。光星祭前夜祭で全国大会に出場する選手の壮行会があり、サッカー部をはじめ、すでに決戦の地へと出発した部もありますが、どうぞ暑さに負けず、光星魂を込め、ベストを尽くしてきてください。また6年生のみなさんは「進路実現のための忍耐の夏」になります。ここで、受験勉強の奥義を教えます。それは、「午前を制する者は受験を制す」です。これは、受験生に限ったことではありません。日常生活のリズムを維持し、やるべきことを午前中に片付けてしまうことで、初めて自由になる時間を確保し、普段できないことにじっくりと取り組むことができるものです。
 話は変わります。フランシスコ教皇様は、昨年から7月の第四日曜日(今年は今週の日曜日にあたりますが)を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定め、新型コロナウイルス感染症の影響などで人と関わる機会が減り、孤独のうちに過ごされる高齢者の方々とのより多くの交わりを勧められています。65歳以上を高齢者とした際、日本ではその割合が令和3年度の統計で28.7%と約3割にも上ります。
 みなさんの中で、おじいさんやおばあさんと同居している方はどのくらいいるでしょうか。ちなみに日本の三世代家族の割合は11%ですから、おじいさんやおばあさんと一緒に暮らしている人は、統計上は10人に1人くらいということになります。では、半年以上おじいさんやおばあさんと会っていない方はどのくらいいるでしょうか。きっとコロナの影響で頻繁に会うことができなくなった方も多いことでしょう。今日もこうして放送でお話をすることになったように、今年の夏もコロナ第7波の状況下では、おじいさんやおばあさんの家に遊びに行くことや、お盆のお墓参りをためらっているご家庭も多いかもしれませんが、もし夏休みやお盆におじいさんおばあさんに会う機会に恵まれた方は、ぜひ30分程度は直接、話をしてください。中学1年生や4年生は、光星での生活がスタートしてからの4か月間のことを話してください。6年生は、進路への決意表明をしてはいかがでしょうか。その他の学年のみなさんも、学校生活、部活動や学校祭のこと、進路のことなど、お話しすることを少しまとめておくことをお勧めします。あらかじめ話すことを決めておくと話しやすいものです。
 残念ながら直接会うことが叶いそうにない方は、暑中見舞いのハガキを送ることをお勧めします。全国どこへでも1枚送料63円です。父方と母方の双方のおじいさんやおばあさんに出しても126円です。あとは、30分から1時間の時間を割いて近況を報告するといいでしょう。この際文章は多少格好悪くても構いません。絵は、あってもなくてもいいんです。おじいさんおばあさんもスマホを使いこなす方が多いので、LINEや他のSNSでメッセージ交換ができる方もいるかもしれませんが、この夏は暑中見舞いにチャレンジしてみませんか。おじいさんやおばあさんが喜ぶ姿を思い浮かべながら、ひと手間かけて暑中見舞いを書いてみましょう。
 みなさんの30分のお話や小一時間かけた暑中見舞いで、おじいさんおばあさんは、どんな美味しいお料理よりも心の栄養を受け取ることができます。お正月までの半年を耐え凌ぐことができるのかもしれません。ぜひ、おじいさんおばあさんのために、みなさんができることを実践してください。「受験勉強が忙しくて」なんて情けないことを言わないでください。長い夏休みの間に、30分か1時間もおじいさんやおばあさんのために割く時間もないとしたら、それは言い訳であり、そもそもその大学には合格するレベルにないと判断すべきです。大学入試は、みなさんにとって重大な出来事であり、特別な非日常の出来事でもありますが、どのような非日常の出来事も日常の延長にあり、そこには守られるべき大切な日常であったり慣習であったりがあることを心に留めてほしいと思います。
 「思う」「思いやる」ことは大切です。そして、「思い」「思いやり」をいかにして直接伝えるか。「言わなくても分かってくれるはず」ではないのです。「言わなければわからない」ことがたくさんあるのです。血がつながっているからこそ、恥ずかしがらずに、馴れ合いにならずに、直接思いを伝える作業を丁寧に行ってください。
 そして、もう一つ大切なことを付け加えます。それは、みなさんもおじいさんやおばあさんからのメッセージを受け取ってください。話を聞くことも「思い」「思いやり」を伝える大切な作業なのです。さらには、そのメッセージの中にみなさんが成長していくための大きなヒントが隠されているかもしれません。
 実は、「おじいさんおばあさんが寂しがっているだろうから」「体も(ひょっとしたら心も)弱ってきて心配だから」という相手を思いやって、相手のためにとった行動は、本当はみなさん自身のためになっているのです。
 先ほど読まれた聖書にもこう記されています。

「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」

 みなさんの身近な人に愛情を惜しみなく示すこと、その愛情、そのような気持ちが重ねられることで、みなさんを優しい人に、相手の痛みが分かる人に、多くの人に頼りにされる人に成長させてくれるのです。愛情の種は、蒔けば蒔くほど増えていくのです。
 明日からの夏休み、いろいろな予定があり、いつも以上に忙しくなりそうな人もいるかもしれませんが、どこかのタイミングで、心と体をしっかりと休めることも忘れないように。みなさんの夏休みが、みずみずしい思い出に満たされるよう、潤いのある健康な毎日となりますよう心からお祈りいたします。8月19日には、みなさんそろって、元気に再会しましょう。

6月全校集会 2022年6月23日

 みなさん、おはようございます。 みなさんの元気な挨拶は、いつも私を清々しい気持ちにしてくれます。今月8日の朝に行われた避難訓練でのみなさんの態度は立派でしたが、その際にご協力をいただいた消防署の方々や火災報知機などの定期点検で来られていた方々が、避難訓練での態度だけではなく、登校してくるほとんどの生徒が気持ちよく挨拶をし、感動したと話してくれました。「挨拶くらいとおっしゃる方があるんですけれども、私は、挨拶さえできない人に、なにができるだろうかと考えています」そう話されたのは、カトリックのシスターで「置かれた場所で咲きなさい」の著者でもある渡辺和子さんでした。みなさんが将来社会に出た時に、お仕事などで数少ないチャンスを活かさなければならない場面や、誰かとのたった1回の出会いで成果が問われる場面や、一期一会の場面で、第一印象は本当に大切です。その瞬間のために、誰にでも笑顔で挨拶ができる習慣を身に着けておくことは、直接「得」にならなくとも、「損」にはたらくことはないはずです。
 一昨日の遠足やスポーツデイ、お疲れさまでした。お天気にも恵まれ、少し日焼けをした皆さんの表情からも、楽しく、またかけがえのない思い出作りができたことがうかがえます。コロナもようやく落ち着きつつある中で、感染予防はこれまで通り、しかし学校では、可能な限り皆さんができることを増やしていきたいと考えています。2週間後の学校祭へ向け、生徒会や学校祭実行委員会、部活動やクラスが一致団結し、また素晴らしいイベントになるよう取り組んでいきましょう。
 さて、今日は私の話の後でクラブ表彰を行います。激戦を制し、全道大会や全国大会へと勝ち進んだ私たちの仲間を紹介し、その喜びを分かち合い、次なる戦いへ向けてエールを送りたいと思います。ただ、今日紹介するみなさんの何倍もの仲間が、特に6年生は、これまでの間に最後の戦いに敗れ、既に部活動を引退した人も多くいると思います。そして、当たり前の話ですが、全国大会で優勝しない限り、遅かれ早かれ最後の戦いに敗れ、引退する日を迎えることになります。試合には負けたけれど、自分ができることを十分にやり切ったという人もいれば、これまで精いっぱい努力してきたのに思うような成果を収められずに負けてしまった人もいるでしょう。どんなに強いチームでも、どんなにすごい選手でもいつかは負ける。この当然のこととどう向き合うか。実は、そこにこそ、勝ち負け以上に大切なことが隠されています。
 ここで、使徒パウロのローマの教会への手紙 5章1~5節を紹介します。

 「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」

 私は、今日の聖書の箇所で、特にこの部分が心に響きます。

 「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
 「希望はわたしたちを欺くことがありません。」
 
 苦難は忍耐を生みます。部活動もそうですし、勉強もそうです。私たちは、何かを得ようとしてチャレンジすると、最初はイメージ通りにできないという「苦難」や「苦しみ」を感じますが、どの道でも成功をおさめる人は、「ここで諦めてたまるものか」という思い、つまり「忍耐」が生まれます。忍耐することによって、技が磨かれ、あるいは学力が上がり、これまでできなかったことができるようになる。これが「練達」です。練達は、自分への自信につながり、部活動ならば堂々と試合に臨もう、勝利を目指してベストを尽くそうという「希望」が生まれます。勉強も同じです。実力をつけ、少しずつ自分が目標とする大学へ挑戦しようとする「希望」が湧いてくるのです。
 さて、今現在、もう負けてしまった。あるいは、かつて負けてしまった経験がある人に聞きます。「負けること」を経験した上で、その時、努力によって、「苦難」を通して得た「練達」、「練達」によって身に着けた自信、そして自信に裏付けられたチャレンジしようとする「希望」が、あなたの心の奥底に存在していませんでしたか。そしてその「希望」は、試合に負けたことによって、すべて「0」に戻ってしまったでしょうか。いや、そうではなかったはずです。次の挑戦を支えるための「自信」やあなたの人間性を支える「財産」として、今もあなたの心の奥底に染みついているはずです。もちろん勝負ですから、勝った方が気持ちがいいですし、勝った方が達成感も高いでしょう。しかし、究極のところ、いつかは必ず負けるのです。その時に、本当に大切なことは、みなさんの心の奥底に、自分は自分を高めることができるという「自信」を残すことができたかどうかであるというのが、今日紹介した聖書のメッセージです。
 勝負に「勝つ」こと以上に自分自身に「克つ」ことが尊ばれるのは、そういうことです。みなさんが人間的な大きな成長を見据え、与えられた環境でベストを尽くすことを願っています。3年間の部活動に全力で取り組み、今はけじめをつけた人には、もうすでに次のチャレンジがあたえられています。これまでに培った大きな「自信」を、次の大勝負にぶつけてください。みなさんのことを心から応援しています。

令和4年度 始業式(2022年4月9日)

 皆さん、おはようございます。
 本日より令和4年度の学校生活がスタートいたします。昨日の中学校入学式で75名、高校入学式で383名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。先輩、先生、その他たくさんの学園で働く方々は、心より皆さんのことを歓迎します。まだまだ馴れない新生活で不安に感じることも多いと思いますが、私たち光星ファミリーは、皆さんのことを全力でサポートします。ぜひ、頼りにしてください。
 今朝も校門の前で皆さんと元気な挨拶を交わすことができました。今日一日を活き活きと生活するためのパワーを受け取ることができました。今年度もこの学園に関わるすべての方々が、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。そんな信頼と安心の場を今年度もみなさんと一緒に作っていきたいと思います。
 先月の終業式の際にも先輩たちの大学合格実績について紹介しました。その後も吉報は続き、国公立大学合格は185名(うち現役136名)、東大1名、京大2名、北大28名(現役17名)、難関私立大学にも早慶上理39名、MARCH94名、そして医学部医学科20名という過去最高の実績を残しました。振り返ると、3月に卒業した先輩方は、高校2年3年と新型コロナウイルス感染症に翻弄され、さらに年明けからはオミクロン株でこれまでになく感染の危機に晒されました。1月中旬の入試本番の時期には、災害と呼ぶにふさわしい記録的な大雪の被害で交通が寸断されるなど、大変な思いをして受験を乗り越えていきました。総仕上げを図りたかったであろう1月下旬以降は、皆さんがそうであったように、学校に来ることすらままならず、孤独な戦いを強いられた先輩もたくさんいました。しかし、それらの不安を乗り越えて栄冠をつかんだ先輩たち。自分の目標に向けて、忍耐強く挑戦し続けた先輩たち。光星で過ごした3年間でたくましく生きることの意味を理解し、弱音を吐くことなく、逆境に耐えた先輩たち。大学がゴールではない。校訓「地の塩 世の光」の意味するところは、自らの才能に気付き、その才能を磨き上げ、あなたの才能を必要とする人のために惜しみなくあたえ、平和な社会を作るための一員となることです。「木を見て森を見ず」という言葉があります。見た目のよい一本の木や、美味しそうな実のなっている一本の木に心奪われることなく、それらの木が生きていく支えとなっている森全体を見渡す力をつけなさいということ。何のために忍耐しているのかを洞察する力を持ちなさいということ。自分自身の生き方にゆるぎない自信をもちなさいということです。
 新約聖書のマタイによる福音書7章13~14節にもこのように記されています。「 狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており,それを通って入っていく人は多いからです。 一方,命に至る門は狭くてその道は狭められており,それを見つける人は少ないのです。」
 簡単に手に入れられるものは、簡単に手から離れていくものです。自分が本当に手に入れたいものを手にいれるためには、それに相応しい努力が必要なはずです。先輩たちの背中を追う皆さんに求められていることとは、まさにそういうことなのです。自分自身の生き様や魂といったものが、簡単に揺らぐことのないよう、しっかりとした土台の上に据えられるよう、目標が達成されるまでの全体像をイメージし、堅実に冷静に取り組んでいきましょう。
 光星での学びを通し、ぶれない、骨太の自分作りをしてください。もちろん、そのために必要な忍耐もあるでしょう。しかしそれを支える温かな何かが、札幌光星には溢れています。仲間を、先生を、そして、光星ファミリーを信頼し、皆さんのベストを尽くしてください。
 新年度を始めるにあたり、皆さんへの心からのエールを込め、私からの挨拶とします。

令和4年度 高校入学式 式辞(2022年4月8日)

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた6カ年コース86名、マリスコース281名、ステラコース16名、合計383名のみなさん、今お名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星高等学校への御入学、誠におめでとうございます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 本校は1934年の創立から数え、今年の11月で88年の歴史を迎え、皆さんは88期生となります。本校は、これまでに3万名を超える多くの優秀な人財を輩出してきました。本校の歴史は、まさしく先輩方が築き上げた財産の積み重ねによるものです。皆さんも歴史と伝統ある札幌光星高校の生徒として、その名に恥じぬよう、責任と自覚をもって行動してほしいと思います。
 さて、この晴れの日に水を差すような話になってしまいますが、今、私たちの目の前に広がる世界は、皆さんにとって何色に映っていますか。明るい色ですか。暗い色ですか。透き通った色ですか。濁った色ですか。恐らくそんなに美しい色ではないという人が多いのではないでしょうか。新型コロナウイルス感染症との戦いが2年以上続いています。皆さんも中学校生活3年間のうちの2年を、学校祭や修学旅行をはじめとした行事、仲間とともに切磋琢磨した部活動など、様々な貴重な青春の場面を十分に全うできず、多くの困難を強いられてきたことでしょう。この2年の損失は簡単には埋められません。この未曾有の混乱の最中、2月末からの許し難いウクライナでの悲劇によって国際平和の絆がもろくも崩れ去ろうとしている現状は、個人の無力さを無理やり押し付けられているようで、失望感を覚えずにはいられません。この二つの大きな出来事の以前からも、我が国は少子高齢化や国際経済力の相対的低下、情報化の負の側面によるコミュニケーションのゆがみを修正できないジレンマ、その他多くの問題が積み重なり、未来についてなかなか明るい展望を持てずにいることが多かったように感じます。「生きる力」とか「生き方」といったキーワードが世の中にあふれているのは、そのことに対し、何かしら前向きになれない閉塞感が、我々を支配しているからなのではないかと考えます。何かを突破したいのだけれども、一歩を踏み出す勇気がなかなか湧いてこない。そんな人もきっと少なくないのだと思います。
 先日、2年前に本校を卒業したある大学生が近況報告に学校に遊びに来てくれました。彼女は、首都圏の私立大学に進学したものの、コロナ禍で大学の講義のほとんどがオンライン、将来の夢を叶えようと参加した街作りボランティアの活動も、この2年間でたった2回、顔合わせで集まったことしかなかったそうです。そんな訳で新しい友人もほとんどできずに2年が過ぎてしまい、大学生らしいことを何一つしていないうちに3年生になろうとしていたこの冬、彼女はある決心をしたのです。それは、3年生になると同時に大学では就職活動が始まるという話を聞き、このまま世間知らずで社会に出てしまうことを真剣に悩み、親御さんとも相談し、1年間、大学を休学し、札幌に戻ることにしたのです。
 ここまでの話を聞いて、みなさんはこの大学生のことをどんなふうに感じましたか。「コロナのせいで楽しみにしていた大学生活の大部分を奪われたこの女性は気の毒だな」そう思ったかもしれません。確かにそういった部分もあるでしょう。しかし、休学を決めた彼女は、これからの1年間を北海道で街づくりボランティアに参加し、将来は地域開発に携わるという夢のためにじっくりと使っていきたいと、活き活きと話してくれました。自分の夢を叶えるため、休学という選択をした彼女は堂々としていました。もしもコロナがなかったら、自分自身の人生について、こんなに真剣に考えたかどうかわからないとも話していました。
 私は、コロナのせいで何もできないという発想から、コロナであっても何ができるのかを探求する姿勢を持ち、勇気ある決断ができた彼女は、この先の人生を「たくましく生きる」という点において、より大きな財産を手に入れたのではないかと感じ、心からエールを送りました。
 みなさんにも何らかの夢や希望があるでしょう。今はまだ漠然としているかもしれません。ひょっとしたら第一志望の高校ではない札幌光星に通うことに前向きになれていない人もいるかもしれません。しかし、心を開いて、本校での学びを通し、自分自身の夢や目標を見定め、その実現のために多くのチャレンジをしてほしいのです。この学校には、お互いを大切に思う仲間が、いつも明るく挨拶を交わし、優しい心で支え、成功を願い、応援し合う空気に満たされています。安心して学校生活を送ることができる日々を支えてくれるたくさんの先生方、先輩、そして383名の仲間がいます。3年後には札幌光星ファミリーであったことを誇りに思い、希望の進路へと羽ばたいていくことでしょう。皆さんの夢や目標の実現への道が、困難なものであったとしても、この札幌光星で最後まであきらめず、あたえられた環境の中でベストを尽くすこと。弛まぬ努力を続けることによって、自分にあたえられた才能を丁寧に磨き上げ、多くの人の助けとなる人間になってください。これこそが本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との関わりによってしか実現されず、その関わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校は、生徒がその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、こころから感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これから3年間の御支援と御協力をお願いいたします。
 新入生の皆さん、これからの3年間、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。皆さんが3年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。

令和4年度 中学校入学式 式辞(2022年4月8日)

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた75名の皆さん、今、名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星中学校への御入学、誠におめでとうございます。皆さんの入学を心より歓迎いたします。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 皆さんは、1月10日に行われた本校の入学試験に、たくさんの時間と努力で挑戦し、優秀な成績をおさめて合格しました。何度も話しましたが、札幌光星中学校は、受験をすれば誰でも合格するような学校ではありません。しっかりと合格へ向けて努力し、実力をつけた受験生だけが合格を勝ち取る学校です。自信をもって、堂々と新生活を始めてください。そして何より大切なことは、元気であることです。毎日を明るく楽しく過ごすことです。心と体を鍛え、勉学に思う存分に励んでください。そして、新たな友人と出会い、友情を深め、様々な可能性に目をむけ、力いっぱい活躍してください。札幌光星の先生方は、皆さんの成長のために必要なサポートをしっかりと行うことをお約束します。
 皆さんの希望にあふれる今日の晴れの日に、世界では生きる希望を失いかけている人が大勢いることにも心を留めてください。ウクライナでの2月末からの想像を絶する許し難い悲劇。まだまだ新型コロナウイルス感染症が世界中を不安にさせている最中に、胸が張り裂けそうになる出来事が毎日のように報道されています。世界が手を取り合ってコロナを克服すべき時に、一体何をしているのだ。なぜあんなに簡単にたくさんの命が奪われるようなことが起こっているのだ。毎日、激しい怒りを覚えます。遠い日本の地で、その解決のためにほとんど何もできずにいる自分の無力さに腹が立ちます。
 ニュースを見た人も多いと思いますが、あの悲劇が起こった1週間後に札幌光星では生徒会やカトリック研究部の生徒が中心となって、ウクライナで苦しむ方々のために緊急募金を行いました。たった5日間で、およそ70万円もの緊急資金を集めることができました。私たちの学校には、困っている人のために進んで手を差し伸べることができる温かな心の持ち主がたくさんいます。一人では何もできないとあきらめずに、一人でもできることを考え、一人ひとりの小さな力が結集すれば何かを動かすことができるのではないかと真剣に考え、行動する、勇気ある人がたくさんいます。今回の募金活動は、悲しい出来事の連続の中で一筋のほっこりとした光を感じることができた瞬間でした。
 私たちは一人では生きられません。だからこそ、人と人とが手を重ね、連帯し、世界中が笑顔であふれるために自分にできることを惜しみなく差し出すことで、私たち自身の人生を豊かにすると信じています。札幌光星という学校は、そのことを一番大切にしている学校です。皆さんが本校で学び、目標の大学へ進むことは素晴らしいことです。しかし大学はゴールではありません。大学への道のりも、光星中学校への道のりがそうであったように、決して一人では辿り着けません。多くの方々の支えがあって辿り着いた道、辿り着ける道。だからこそ、多くの人が安心して歩いていくためのサポートを私たちもするのです。皆さんの学びは、世界中の人を支えるための準備である。それが札幌光星の信念です。
 本日入学された皆さんには、本校での6年間の中で、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との関わりによってしか実現されず、その関わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校は、生徒がその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解、御協力をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、まだ12歳のお子様を遠くの学校に通わせること、あるいは親元から離し、寮生活をスタートさせること、何かと御心配なことも多いかと思います。担任副担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。本校は「学校は楽しいところ」をモットーとしております。どうぞ安心してお子様を送り出してください。多くの仲間との関わりの中で、人間味豊かに成長していく姿を毎日楽しみに送り出してください。これから6年間の御支援と御協力を重ねてお願いいたします。
 新入生の皆さん。皆さんが6年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しております。

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