われわれ人類は、有事には傷ついた人に我が身のように寄り添い、平時には他人の粗を探すことが往々にしてあり、そのような歴史を繰り返してきました。そして昨今も情報化、グローバル化、パンデミックの渦中で、これまでになく注目されるようになった「多様性」に、温かな眼差しを注いだり、同調圧力を掛けたりしています。未来を託されているみなさんには、目に見えるもの、見えにくいもの、見えないもの、急に見えてくるもの、この世のものすべてを「心の目」で観察する力を身に着け、物事の真理を悟り、正義に生きる人となることを望みます。本校での学びを通し、無条件に平和な、そしてすべての被造物への尊厳にあふれる持続可能な社会を築くための一員として、世界に大きく貢献する人物へと成長することを願います。
日ごとに秋が深まり、登下校の際には肌寒くなってきました。5年生のみなさんは、20日後に修学旅行を控えています。6年生のみなさんは、総合型選抜や推薦入試が始まっている人もいますし、一般入学試験に臨むみなさんも、もう一段ギアを入れ替える時期になりました。また、中学生のみなさんは芸術文化発表会へ向け、練習も増えていきますので、みなさんそれぞれの活躍の場に備え、体調管理に十分気をつけましょう。
さて、先月末に「令和6年能登大雨災害義援金」への協力をお願いしたところ、多くのみなさん、そして保護者の皆様のご理解とご協力で、総額260,515円を日本赤十字社へ送ることになりました。ありがとうございました。詳細は、この後送られる学校からのお知らせで確認してください。今回は登校の際の生徒玄関ホールでの募金に加え、ボランティア活動に参加している生徒のみなさんが春からお世話をし、収穫した野菜を10月5日の保護者会で販売しましたが、その収益の一部も義援金に回りました。能登半島では、依然として物資が不足してますし、避難生活で心身ともに大きなダメージを受けている方が数多くおられます。一番必要な支援が少しでも早く届けられ、被災された方々が一日も早く平穏な日々を取り戻すことができるようお祈りしましょう。みなさんのご協力に心より感謝申し上げます。
また、みなさんへの感謝がもう一つあります。それは明後日の野球部の札幌ドームでの全校応援の件です。屋内の球場とはいえ、移動中など風邪をひかないようコートなどの準備をお願いします。体調がすぐれない人などは無理せず、遠慮なく担任の先生に相談してください。夏の全道大会の円山球場やエスコンフィールドでの本校の応援は、今や全道一との評価もあり、ある新聞記者の方が、札幌光星の応援が札幌ドームで行われるとどんな感じになるのか楽しみだと話していたそうです。そういった高校野球ファンの期待に応えるしかありません。ぜひ明後日は、応援にも注目が集まる一戦を、札幌ドームを揺るがす大声援で野球部にたくさんのエネルギーを送りましょう。クラブ表彰の後、短時間ですが全校応援の練習をします。
光星祭の直後から始まったグラウンド整備も少しずつ完成形が見えてきました。今回の全校応援を追い風にし、来月1日に迫った創立90周年記念式典へ向け、学園全体が一致団結していくことができるよう、みなさんご協力のほど、どうぞよろしくお願いします。
今日で一学期が終わります。高校生は一昨日昨日と2日間、全学年対抗のスポーツデイでいい汗を流しました。光星祭で作ったクラスシャツに袖を通し、一致団結した行事になったのではないでしょうか。6年生にとっては、これが最後のクラス行事になりましたが、受験は団体戦という意識をもって、この先も仲間と切磋琢磨して目標とする進路をつかみ取るためにベストを尽くしていきましょう。5年生は、高校生活最大の行事である修学旅行が近づいてきまので、体調管理に十分注意しながら、光星祭やスポーツデイの盛り上がりを上手く活用し、チームワークを高めていい準備をしてください。4年生は高校生になって半年が過ぎました。学習の量も質も中学校とは比較にならない環境の変化に対応できましたか。入学当初の目標を安易に下げないよう内省してください。中学1、2年生は、サマースクールを9月下旬に移し、今週3日間の仲間との共同生活や十勝平野で、様々な体験をし、多くのことを学びとれたことでしょう。また3年生は、職業体験や北大訪問など将来について考える2日間となりました。明日から4日間の秋休みになります。土日を挟みますので、普通の連休程度にしか感じないかもしれませんが、一学期の成績が出たタイミングです。この半年間を振り返り、二学期の課題を設定し、来週からの学校生活に臨んでください。秋休みの話をしましたが、北海道はこの一週間で朝晩の気温がぐっと下がり、すっかり秋らしくなりました。制服も夏服期間が終わりますので、上着を整えることもスケジュールに入れておきましょう。
秋といえば、芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋など、いろいろな秋の楽しみ方がありますが、読書の秋という言葉もよく耳にします。中国の唐の時代の詩人で韓愈という人の詩にある「燈火親しむべし」、訳すと「秋になり長雨があがって空も晴れ、涼しさが丘陵にも及んでいる。ようやく夜の灯りに親しみ、書物を広げられる。」と詠んだことをきっかけに、涼しい秋の夜は読書に適しているという考えが浸透したと言われています。古の詩人たちも、暑い夏が終わり、秋の夜長をゆっくりと読書ができる季節として心待ちにしていたのかもしれません。
先日、北海道で大手の本屋さん、みなさんもご存じのコーチャンフォーの社長の佐藤さんが、6年生のある授業で講師をしてくれた際に、読書についてこんな話をしてくださいました。大学の入学式で学長が式辞の中で、卒業までに400冊の本を読むようにと話していたことを大学4年生になるころ思い出し、友人にどのくらいの本を読んだか尋ねたところ、ある友人は200冊、別のある友人は100冊、一方の自分は1年に10冊程度で40冊ほどしか読んでいなかったので、まずいと思い、一念発起し、最後の1年間は毎日1冊、本を読むことにし、400冊の目標を達成した。今もその時の自分の頑張りに支えられていることが多い。また社長になってからは、本屋の社長が本を読まないでは話にならないと思い、年間200冊の読書を自らに課していると話してくださいました。ちなみに佐藤社長はみなさんの大先輩なのですが、いろいろなチャレンジをして、コーチャンフォーという唯一無二な本屋さんのスタイルを確立されていますが、ユニークなアイデアの数々の中には読書から生まれたものも多いと話していました。また仕事柄、作家さんと会う機会も多いそうですが、事前準備としてその方の作品を何冊も読んでから会うことで、相手のことを何でも知っているという感覚から、初対面でもすぐに親しくなることができたり、長く付き合えるようになるという話をし、何事も準備が大切だということも語っておられました。私は、佐藤社長のそういった姿勢を心から尊敬します。そしてもっと本を読まなければと心から思いました。現状は月に5,6冊しか読んでいませんので、今後はもう数冊多めに、月10冊の読書を目標にしたいと思います。
みなさんは、読書の習慣はついていますか。朝読書10分間を大切に扱っていますでしょうか。今さらながらですが、読書を習慣化するメリットを5つ紹介します。
まず一つ目として、知識が増える。知識ならインターネットでも入手可能という考えもあると思いますが、記憶に残るという点で読書から得られた知識の方が圧倒的に多いといわれており、両方を上手に使い分ける必要があるようです。
二つ目として、見識が広がる。本のジャンルを問わず、読書を重ねることで、あなたの「見識」が広がり、「ものの見方が変わる」だけでなく、これまでのあなたの人生や環境を「変える力」が身につくことが期待できます。
三つ目として、想像力が増す。実体験していないことでも、過去に読んだことが疑似体験として記憶され、物事を想像することができるようになります。日常生活の中でトラブルが起きたとしても、想像力が豊かな人は、事前に危険を予測して対処するよう脳内シミュレーションがはたらくようになります。その結果、未体験ゾーンに陥っても、割と落ち着いて行動をとることができるようになるのです。
四つ目として、語彙力を養える。多くの言葉を知り、使いこなせるようになると、あなた自身の会話や文書の質が上がり、他人からの評価が上がります。あなたの年齢や性別、社会的な地位に関係なく、魅力ある人とのお付き合いの機会が増えるようになります。
五つ目として、コミュニケーション能力が向上する。読書を重ねることで、作者の気持ちや、登場人物の感情などの理解がうまくできるようになり、実生活でも他人の考えや、喜怒哀楽を感じとる力が身に着き、コミュニケーション能力が格段に向上します。
そんなこと言われなくても読者はしないよりはした方がいいことは十分分かっていけど、読書ってなかなかできそうで出来ないんだよなあ…という方、多いのではないでしょうか。そこで、読書を習慣づけるコツを5つ紹介します。
一つ目は、自分が興味のあるジャンルの本を読む。名作じゃないとダメとかありません。読む本は何でもOK。まずは本屋さんに行き、何となく読んでみたいなあという本を探すこと始めるといいです。お休みの日に本屋さんをブラブラするのは結構楽しいですよ。
二つ目は、本を読みたいページから読む。推理小説は最初から読んだ方がいいでしょうが、エッセイなどのストーリー性の少ない本は、興味のあるところや興味のあるところだけ読んでも大丈夫です。1ページ目から最後まで順番に全部読み切らないとダメという先入観を捨ててみると楽になりますよ。
三つ目は、面白くない本は読むのをやめる。買った本は最後まで読まないとダメみたいな謎のルールに縛られていませんか。どうしても面白くない時は、いったん本棚に寝かしておきましょう。数年後に読み返すと以前よりも知識が増え、面白く感じるようになる場合もあるものです。
四つ目は、自分が好きな作家さんの作品を読み続ける。同じ作家さんの作品は、文章の書き方や考え方が同じなので、スーッと頭に入ってくるということが多いので、楽しく読書ができます。
五つ目は、読書に適した環境を整える。本好きの方の中には、通学時間を読書にあてる方やトイレやお風呂が読書に最適と考える方もいます。一方で読書が苦手な方は、場所が定まっておらず、テレビをつけたままの部屋で読書をしたり、好きな音楽を聞きながら本を開く「ながら読み」をする人が多いようですが、かなり読書慣れした方でなければ集中できないものです。ページは進んでいるのに内容が全く頭の中に入ってこないという感覚に悩んでいる人はいませんでしょうか。読書に慣れるまでは、自分が集中できる環境を作るところから始めた方がいいようです。
読書について立派な話をしている私ですが、実はみなさんの年齢の頃には、ほとんど読書の習慣がありませんでした。当時は、そのことを気に留めることもありませんでしたが、年を重ねるにつれ、そのことを漠然と後悔するようになりました。体から溢れだすオーラのようなもの、自分自身への揺らぐことのない自信みたいなものが、どうも足りないような不安に駆られるのです。決して博識と思われたい訳ではないのですが、話題が豊富な方と出会うようになると、自分には学がないと感じたり、相手にもきっとそう思われているのではと自信喪失するようなことがよくありました。これは、読書本来の目的や効果とかけ離れた、私個人の見栄っ張りな性格のせいなのでしょうが、ある程度本を読んでいるという自信がある方が、いろいろな方と引け目を感じることなく付き合えるということを実感するようになりました。この年齢になるといろいろな方と会話ができる能力は、多くのチャンスを生む原動力となりますし、その能力は読書によって養われるところが大きいと感じます。みなさんにも自分自身を堂々と見せるため、読書をお勧めします。とりあえず、明日からの秋休みに何か一冊、読書をしてみてはいかがでしょうか。
今日の話の最後に、私が最近読んだ教皇フランシスコの使徒的勧告「キリストは生きている」の一節を紹介します。
「若さは、束の間の楽しみやうわべだけの成功を求めることばかりではないということです。あなたの人生の旅路において若さがその目的を果たすには、惜しみない献身、心からの贈呈、自己犠牲の時でなければならないのです。偉大な詩人が語る通りです。」
回復したものを回復するために 失ったものは失う必要があったのです
獲得したものを獲得するために 耐えたものは耐える必要があったのです
今恋するために 傷を負うことも必要でした
苦しんでよかった 涙を流してよかった
万事が済み、分かったからです
苦しみを経なければ 楽しみを心から楽しめなかっただろうと
万事が済み、理解したのです
木が花をつけるのは 地中の部分があるからです
(Francisco Bernardez アルゼンチン1900-1978)
読書もそうであるように、わたしたちは何かを真剣に得ようとするとき、それ相応の努力や忍耐を必要とするものです。ある時期に苦労が多かったとしても、必ず苦労に見合う豊かな実りがもたらされるものです。みなさんが自分の成長のために逞しく希望をもち、多くのチャレンジをすることを心から応援します。
おおよそ1か月ぶりにみなさんがそろって登校してきました。夏休み中、学校にはみなさんからの急を要する連絡も特になく、それぞれに有意義な夏休みを過ごしたことでしょう。夏休み前の全校集会で「内省」について話しました。みなさんが、心のリセットをし、今日からの学校生活を再開することを心から応援します。
6年生のみなさんは、毎日、暑い中を講習に参加し、その後も自分の限界を超える夏を送ったことでしょう。部活動などで全国大会をはじめとし、様々な大会に参加したみなさんもそれぞれに成長を実感できた夏になったことでしょう。また一つ積み上げた財産を糧にさらなるチャレンジをしてください。心から応援します。
さて、毎年、夏休み明けの集会では戦争に関する話をしています。来年は、終戦から80年を迎えることとなり、年々、生の声として戦争体験を聞くことが困難になりつつある中、唯一の被爆国である日本だからこそ、戦争を風化させることなく、今もウクライナやパレスチナで繰り返される悲劇を黙認することなく平和を訴え続けることが使命であると考えます。
今日は、日本側ではない角度から第二次世界大戦について話します。今年3月に本校はハワイのマリアニストスクールであるセントルイススクールと姉妹校提携を結びました。実は、この学校にも多くの日系の方が在籍していますが、日系人が体験した過酷な第二次世界大戦の話を紹介します。
1968年、明治元年に153名の日本人が移民として初めてハワイに渡りました。当時ハワイ周辺の太平洋では、アメリカがランプの燃料としてクジラを捕るため、捕鯨船を往来させていました。幕末に黒船で来航したペリーの目的の一つも捕鯨船の寄港地を求めてのものでしたが、燃料や水、食物を供給するための港が必要だったアメリカは、ハワイのカラカウア朝に圧力をかけ、1898年に武力で併合しました。ハワイでは、パイナップルやサトウキビのプランテーションが広大に営まれ、その労働者として日本からたくさんの移民がハワイに渡りました。過酷な労働を強いられながらも、移民たちはその勤勉さで徐々に生活を向上させ、第二次大戦前には、ハワイの人口の約4割に当たる23万人の移民がいました。
1930年代に入ると日本は中国への軍事侵攻を続け、1940年にインドシナ半島へと戦争が拡大すると、アメリカとの対立が激しくなっていきました。こうした中、アメリカ社会では日本人や日系人が、スパイ行為を行ったり、アメリカ軍の活動を妨害しているのではとの風評が流れ、政府も秘密裏に日系人リストを作り、監視の目を強めていました。そうした中、1941年12月7日午前8時にハワイの真珠湾にあるアメリカ海軍基地を日本海軍の空母機動部隊が奇襲作戦を展開し、日本側にはほぼ損害がなかった一方、アメリカ側は戦艦4隻沈没、1隻大破、3隻が航行不能、戦死者2345名という大打撃を受けました。しかもこの攻撃が宣戦布告前に行われたため、ルーズベルト大統領が真珠湾攻撃後の演説で、日本の行為を「恥知らずな蛮行」「背信行為」と激しく非難したこともあり、アメリカ国民の愛国心は高まり、「REMEMBER PEARL HARBOR!」というフレーズがたちまちアメリカ全土を席巻する国民的スローガンとなりました。
こういった空気感の中、日系人は、疑いの目にさらされ、「ジャップ」と罵られ、日系人病院はアメリカ軍に接収され、郵便は検閲をされるようになりました。そして、アメリカ本土(特に西海岸)の日系人は、すべて収容所へと連行されました。一方、ハワイでは日系人があまりに多く、すべての日系人を収容するような施設を作ることが困難であり、またサトウキビ農園のはたらき手が不足するという理由で、1200~1500名の1世、2世のみが強制収容所に送られました。それらの人々は、仏教や神道の聖職者たち、日本語学校教師や経営者、漁業従事者、日本語新聞の編集者、領事代理など日系社会におけるリーダー的立場にあったことから、アメリカ政府から日本への忠誠心が強い人々とみなされていました。収容所の中で最大のホノウリウリ収容所はオアフ島の内部の荒れ地に設置され、非常に暑く湿気が高く、常に蚊の大群がわいていたため、「地獄谷」と呼ばれていたそうです。
もちろん、収容されなかった日系人にとっても穏やかではない日々が続きました。日本から移り住んだ日系一世の国籍は日本であり、日本人の精神を持ち続けていましたが、ハワイで生まれた日系二世は、アメリカ人として育ち、教育を受けていたため、容姿が日本人というだけの理由で差別されることに抵抗を感じ、アメリカへの「忠誠心」を見せることが自分たちの唯一の生きる道だと悟り、アメリカ人として戦争に参加することを強く望みました。この結果、第二次大戦中、約3万3千人の日系二世がアメリカ軍に入隊し、激戦地で戦い、また通訳などの任務を果しました。中でも日系兵士だけで編制された第100歩兵大隊と第442連隊戦闘団は、日本軍との直接対決は避けられたものの、戦況の最も厳しい北アフリカからイタリア半島、そしてフランスへと、待ち構えるイタリア軍やドイツ軍を相手に先陣を切って勇猛に戦いました。時には戦車による防御なしに歩兵が最前線に送り出されることもあり、ヨーロッパ戦線での日系人兵士の死傷者数は、のべ9486名、死傷率が314%という、まさしく命がけの決戦を繰り返しました。死傷率が100%を超えているのは、連隊の消耗が激しく、次々と補充兵が入り、そのつど負傷兵が出たためです。このヨーロッパ戦線における大きな犠牲と貢献は、忠実なアメリカ市民として日系アメリカ人のイメージ回復に大きな役割を果たしました。
2012年に亡くなった、ハワイ出身のアメリカ合衆国上院議員で、ホノルル国際空港の名前にも当てられているダニエル・K・イノウエ氏も第442連隊に所属し、イタリアでのドイツ軍との戦いで負傷し、右腕を失いました。晩年、イノウエ氏は、第二次世界大戦と日系人の精神性についてこのように語っています。
「私たちの祖父母は、日本にいる今の日本人よりもずっと日本人らしく思える。私は祖父母が教えてくれた言葉を忘れることができません。『義務』と『名誉』という言葉です。名誉ということで言えば、イタリアで最初の攻撃をした朝のことを今も思い出します。私は小さな部隊の副隊長で19歳でしたが、隊員を集め、質問をしました。『みんなも知っているように、これがおれたちの最初の戦闘だ。誰かが傷つき、あるいは死ぬかもしれないことをおれたちは知っている。そこで聞くのだが、昨晩、寝ながら何を考えていたかい?』この質問に対する答えを聞いて私はとても驚きました。『傷つきたくないし、殺されたくない』という返事は誰もせず、『自分たちが望むのは家族に恥をもたらさないこと、国の名誉を汚さないことです』と、みんな、言い方は違ってもこのようなことを言ったのです。彼らの返事を聞き、わたしはどれほど誇らしく思ったことでしょう。自分の負傷や死のことではなく、家族と国に恥と不名誉を持ち帰りたくないと考えたのです。」
今から150年前に農園の労働者としてハワイに渡り、想像を絶する苦労をし、手に入れた平穏な日々を戦争に踏みつぶされた日系の方々。しかも敵が自分の祖国であり、自分の子どもたちが直接ではなくとも祖国と戦っている。また、二世の方にとっても、戦争がなければ、相手国が日本でなければ、より過酷な戦闘をせずに済んだかもしれない中、疑いを晴らし、忠誠心を示すために多くの犠牲を出しながら撤退をせずに戦い続けることを選んだのです。戦争は無辜の民にとって敵も味方もなく、途方もなく暗い影を落とすものであることを忘れてはならないのです。
現在のハワイは、こういった歴史がありながら、わが国と友好的な関係にあり、多くの観光客がハワイを訪れます。みなさんの中にもハワイに行ったことがある人がいるのではないでしょうか。美しいビーチや花々に代表される豊かな自然、またハワイアンのおもてなしと微笑みに心が癒され、何度も訪れる方がいると聞きます。そんなハワイに、今では30万人以上の日系人が暮らしています。そして、日系人ばかりでなく、多くのハワイの方々が、日本の文化や習慣、食生活を上手に受け入れ、楽しんでいます。ほんの一例ですが、日本では地域にもよりますが最近見かけにくくなった盆踊りをあちこちの街で盛んに行っているそうです。
今日の話の最後に、教皇ヨハネ・パウロ2世が1981年2月に来日した際に語られた広島での「平和アピール」と題したスピーチの一部を紹介します。
戦争は人間のしわざです。
戦争は人間の生命の破壊です。
戦争は死です。
過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。
各国で、数多くのより強力で進歩した兵器が造られ、戦争へ向けての準備が絶え間なく進められています。それは、戦争の準備をしたいという意欲があるということであり、準備がととのうということは戦争開始が可能だということを意味し、さらにそれは、あるとき、どこかで、なんらかの形で、だれかが世界破壊の恐るべきメカニズムを発動させるという危険を冒すということです。
この地上の生命を尊ぶ者は、政府や、経済・社会の指導者たちが下す各種の決定が、自己の利益という狭い観点からではなく、「平和のために何が必要かが考慮してなされる」よう、要請しなくてはなりません。
目標は、常に平和でなければなりません。すべてをさしおいて、平和が追求され、平和が保持されねばなりません。
過去の過ち、暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを、繰り返してはなりません。
険しく困難ではありますが、平和への道を歩もうではありませんか。
その道こそが、人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり、人間の運命を全うさせるものであります。
平和への道のみが、平等、正義、隣人愛を遠くの夢ではなく、現実のものとする道なのです。
全世界の若者たちに、次のように申します。
ともに手をとり合って、友情と団結のある未来をつくろうではありませんか。
窮乏の中にある兄弟姉妹に手をさし伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか。あなたがたの若い精神は、善と愛を行なう大きな力を持っています。人類同胞のために、その精神をつかいなさい。
私たちは「やられたら、やり返せ」などと単純な論理で武力行使に踏み切る為政者に、あるいはそれが正義なのだと扇動する為政者に簡単に同調してはなりません。武力(暴力)による解決を選択する者は、決して強い者ではありません。本当の敵は相手を打ち負かしたいという欲望をコントロールできない自分自身の心にあるということを悟り、われわれが心の内にすべての生き物への尊厳、慈しみ、赦し、友愛、共感をもち、平和に貢献できるように行動することが大切なのです。これは決して容易い道ではありませんが、みなさんの若い精神は、そのために向けられるべきという教皇のメッセージに、今こそ真摯に耳を傾けていきたいものです。
この3週間ほどは、途中に光星祭をはさみ、高校野球南北海道大会札幌支部予選代表決定戦から数えて4回の全校応援を通し、記憶に残る札幌光星90周年の夏となりました。中間試験が明けてからは、高校の全校遠足や中学校のスポーツデイなどの行事もあり、あっという間に本日の夏休み前の全校集会になった印象です。
野球部のみなさんが懸命に白球を追う姿、興奮する試合展開、1300名が一体となって応援する姿、それらすべてがとてつもないエネルギーとして、今年の光星祭のテーマであった「閃光」の通り、多くの方々に大きな感動をあたえました。
このような素晴らしい経験は、簡単には出来ませんし、みなさんは、その貴重な機会を無駄にすることなく、むしろ一人ひとりの思いを上手に乗せ、相乗効果を生み出し、何倍にも大きく膨らませ、札幌光星の歴史に大きな1ページを残すことができましたし、みなさんにとっても将来ふり返った際に中学高校時代の素晴らしい思い出として心に刻まれることでしょう。この夏の私たちの貴重な経験は、先ほど山﨑神父様が朗読した聖書の通りです。それぞれ唯一無二の光を放つわたしたちが、大きな一塊となり、札幌光星がこんなにも魅力あふれる素晴らしい学校であるということを多くの方々に知らしめた光星90周年の夏だったのではないでしょうか。
円山球場の関係者の方が、札幌光星の大声援に「久しぶりに球場とその奥にある山を大声援によるコダマが何往復もするのを聞いた」と話したそうです。対戦相手の監督さんが「うちのピッチャーが札幌光星の大歓声で自分が何をしているのかよくわからない時間帯があり、呆然としていた」と話していたそうです。いろいろな方から「光星の全校応援は、相手チームへの驚異的攻撃だ」と言われるたび、私は、みなさん、そして札幌光星を誇りに思いました。おそらく、みなさんもそう感じたことでしょう。私たちは自分自身の大きな魅力に気付き、大きな財産を築き、大きなプライドと共にさらなる成長のチャンスをもらうことができました。みなさんには光星の一員として、胸を張り、この経験をもとに新たなる挑戦をしてほしいです。
この後の全国大会壮行会で紹介されるみなさんは、遠く札幌の地からあの大声援があることを感じながら勇敢に戦ってください。6年生のみなさん、行事が続いて受験勉強が遅れ気味でしょうが、全校応援での気迫と集中力さえあれば、あっという間に挽回可能です。目標を下方修正することなく、この夏休みに果敢にチャレンジしてください。また他の学年のみなさんにとっても、いろいろなことに挑戦する夏にしてほしいと思います。私たちは、この夏、野球部のみなさんの活躍を通し、大きな山も深い谷も最初から越えられないものなどないということを学びました。一人ひとりにあたえられている才能を信じ、あなたの「光」をはるか彼方まで届けられるよう精進しましょう。
さて、挑戦するみなさんに、その挑戦がより実り多きものとなるヒントを私から提案します。みなさんは「内省」という言葉を知って今いますか。内省は、内側外側の「内」に反省の「省」と書きます。英語では、Reflectionと言います。意味は、自分自身の心と向き合い、自分の考えや言動について省みることです。冷静に客観的に自己の言動を振り返り、より望ましい行動をとるための気付きを得るための作業です。日々起こった出来事に対して自分が「どう感じたか?」「なぜそう感じたか?」と自分自身に問いかけ、自分の気持ちを丁寧に分析します。この作業を習慣化することで、自己成長やパフォーマンス向上につながる可能性があるといわれています。
ちなみに、「内省」に似た言葉で「反省」の方が、みなさんにとって馴染み深いと思いますが、「反省」は、主に失敗したことを主観的に振り返り、次からの改善に繋げる行動で、「反省文」「反省会」などをイメージするとわかりやすいと思います。結果にフォーカスし、同じ失敗を繰り返さないためのもので、マイナスをゼロに戻すことを目的に行うものです。一方「内省」は、自分の経験を振り返り、成功したことも、失敗したことも、すべてその時の感情を客観的に分析し、そこから同じような場面で次はどうするべきかという気づきを導く行動です。自分自身を客観的に振り返り、分析する習慣を身に着け、そこから徐々に普遍的な法則性を見つけ出し、自分自身が納得のいく行動をとることができるように成長させていきます。
「内省」と「反省」の違いを、学校祭のクラス展示で、一生懸命に取り組んだがトータル2万円の赤字が出た喫茶店を例に考えてみましょう。このケースを「反省」した場合、赤字が出た原因を振り返ること。ジュースの仕入れの数が多すぎた。雨でお客さんが予想よりも少なかった。隣のクラスの方がお客さんの呼び込みを上手にしていたので売り上げを持っていかれたなどで、来年は天気予報を見ながら仕入れを調整したり、店の装飾を派手にしたり、シフトを決めて大きな声で呼び込みをするという対策を立てることです。それに対し「内省」した場合、「なぜ私は企画の段階で喫茶店ではなく、ゲームコーナーにした方がいいのではないかと提案できなかったのだろうか」「お客さんは少なかったけれど、毎日みんなで話し合いをしたおかげで、ちょっと苦手にしていたクラスメイトと自然に話ができるようになった」など自分自身の心の中に生まれたモヤモヤや葛藤、あるいは逆にうまくいったことについてその時の感情や考えたことなどを分析することです。
みなさん、目を閉じて少しの間、4月からの3か月半の生活を振り返り、今も心の中に残っているモヤモヤや葛藤、うまくいった出来事を3つ挙げてみましょう。今、心の中に浮かんだ3つの出来事について、なるべく早く、出来れば今日中に心が落ち着く静かな、ゆっくりと一人になれる場所で、ノートに書き出し、その時「どう感じていたか?」「なぜそう感じたのか?」と自分自身に問いかけ、自分の気持ちを分析し、書き留めましょう。さらに、次に同じ場面に遭遇した際にはどうしたらよいか対処法も考え、書き留めてみましょう。これが、内省という作業です。
「内省」が習慣化し、基本動作になっている人にとって、失敗が失敗でなくなり、すべての経験は学びの材料となり、次の挑戦のためのヒントになります。挑戦し続ける限り、人は「成功」か「失敗」ではなく、「成功」か「学び」のいずれかを手に入れ、この習慣をうまく取り入れることができる人は、いつもその人らしく振舞えるようになり、自己肯定感も高められるようになります。誰にでも自分自身を上手く表現できなかった瞬間や、逆に心から納得できたり、大きな達成感を得られた瞬間があるはずです。その瞬間の感情を心の中にインプットし、コントロールする方法を増やしていくことで、より自分らしい自分を作る手助けとなるのです。心の目を凝らし、自分の真相を見究め、「成長」のエネルギーへと変えていくのです。
内省する力を高めるためには、内省する時間を取ることと内省する習慣を身に着けることが重要です。人と対話することで内省する方法もありますが、相手があることなのでタイミング良くできない場合もあるでしょう。そこで、今日行ったような「自問自答」する方法を勧めます。朝起きてから、夜寝るまで。通学中だろうが、学校にいる間だろうが、家で家族と一緒にいる時間だろうが、寝ている時間以外はいつでも「自問自答」することは可能です。自分自身の言動を何となく感情のままやり過ごすのではなく、自分自身の感情と真正面から向き合い、自己分析を繰り返すことで、より自らの成長を実感できるようになります。
ちなみに私は、高校から大学を卒業するまで、バンドを組み、作詞作曲にも挑戦していましたが、モヤモヤした感情を毎晩のようにノートに書き留めていました。今から考えるといろいろな思いをノートに吐き出すことで、感情をリセットすることができていたのかなと思います。今は気恥ずかしくて当時のノートを広げることはありませんが、間違いなく自分自身の成長の糧となる作業だったと思います。
明日からの夏休み、講習があるので7月中は登校する人も多いとは思いますが、今年も昨年同様、厳しい暑さが続きそうです。体調管理に十分留意し、成長を実感できる充実した夏休みを送ってください。一か月後に元気に、またそれぞれ素晴らしい体験を通し、成長したみなさんとの再会を楽しみにしています。
ローマの信徒への手紙 12章4~8節 「キリストにおける新しい生活」
というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。
先週は今年度最初の定期試験でしたが、満足できる結果を残すことができましたでしょうか。結果という話をしましたが、プロセスがあっての結果です。結果に一喜一憂するのではなく、課題を受け止め、検証し、次回へ向けて対策を立て、同じ失敗をしないよう、あるいはより大きな成功を収めるよう行動しましょう。プロセスにこだわることでしか、私たちの成長はあり得ません。応援しています。
さて、始業式で紹介した創立90周年事業のうち、中庭の整備と食堂のリニューアルがほぼ済みました。みなさんの憩いの場として大いに利用してほしいです。食堂に新たに入ったセブンティーンアイスと冷凍食品の自動販売機はいかがでしょうか。放課後の利用時間、マナーを守ってみなさんにとって快適な空間となることを期待しています。セブンティーンアイスは、初日だけで200本ほど売り上げがあったと聞いています。みなさんに喜んでもらえて、大変嬉しいです。
ところでみなさんはセブンティーンアイスの名前の由来を知っていますか。セブンティーンアイスが1983年に発売された当時は子供向けのイメージが強かったアイスクリームを17歳の学生でも楽しんでもらえるよう、バラエティ豊かな17種類のラインナップで、外でも手軽に食べられるよう工夫し、セブンティーンアイスは誕生したのです。いろいろな工夫がされていて、外で食べることを想定し、アイスがズレ落ちないように、スティックに3つの穴が空いていたり、アイスのコーンの内側には、アイスのフレーバーに合わせたチョコレートを塗っていて、例えば、「濃い抹茶」のコーンには、内側にホワイトチョコレートを塗って味変を楽しめるのだそうです。またアイスをたくさん食べたい方は、コーンよりもスティックタイプの方がアイスの容量が多いそうです。
セブンティーンアイスを販売している「グリコ」という会社の社名の由来を知っていますか。グリコの創業者は江崎利一さんという方です。1882年、明治15年に佐賀県に生まれ、幼少の頃より貧しい家計を支えるため、父親が営んでいた薬販売の手伝いをし、19歳の時に父親が亡くなると家業を継ぎました。薬の仕事のかたわら、ワインの販売やさまざま薬の開発にもチャレンジしていましたが、大正8年、漁港に水揚げされたカキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめ、これを使った食品の開発をはじめました。ちょうど同じ時期に、彼の長男がチフスという高熱に苦しむ病気にかかり、医師からも見放されていたところ、グリコーゲンを与えたことで一命をとりとめ、何とかして商品化できないかと試行錯誤の結果、キャラメルの中に牡蠣のエキスからとったグリコーゲンを入れた栄養食品「グリコ」を生み出したのです。
ちなみにグリコーゲンとは、私たちの体内の肝臓に蓄えられ、必要に応じて分解され、ブドウ糖になり、血液に乗って身体の各組織へと届けられ、エネルギー源として活用されます。マラソン選手などアスリートが取り入れている食事法として、カーボローディングという言葉を聞いたことがありませんか。カーボローディングは、グリコーゲンを体内に蓄積する食事法のことです。運動時間が長くなると、必要なエネルギーが枯渇するので、事前に体内に糖質(炭水化物)を蓄えておき、これによって、レース後半での持久力の向上などを図るものです。
「グリコ」は、発売当初はキャラメルではなく「栄養食品」として紹介したため、なかなかお菓子の卸売業者に受け入れてもらえませんでした。そこで江崎氏は、有名なお店に商品が並べば評判となって売れるようになるのではと考え、何度も商談を重ね、1922年2月11日、ようやく三越大阪店の店頭に「グリコ」を並べることに成功しました。もちろん売れ行きはすぐには改善しませんでしたが、江崎氏は、これまでになかったアイデアを次々と絞り出し、例えば現在のクーポン券付きチラシや試食品を配布したり、お客様アンケートの結果をもとに味の改良に取り組むなどし、2年余りで黒字に転じさせました。その後も経営に波はありましたが発売当初から「グリコ」に込めていた“遊び”の想いを進化させ、菓子とは別の箱に収める「おもちゃ小箱」にオマケを入れることを発案し、業績は劇的に向上しました。
「グリコ」の成功で業績を急拡大させた江崎氏は、これに続く第二の栄養菓子として、酵母入りクリームサンドビスケット「ビスコ」を発売しました。「ビスコ」は、熱に弱い酵母を守るため、牛乳でつくったクリームにヤシ油を添加するこれまでにない製法で作られました。また販売拡大のための創意工夫として「ビスコ」という名前や「ビスコ坊や」のキャラクター作成なども行いました。当時は昭和の恐慌の影響で不況が長引き、グリコも厳しい経営環境に苦しんでいましたが新聞にグリコの文字と簡単な文章やイラストを配した広告を掲載したり、浅草雷門や神戸の新開地、道頓堀など各地にネオン広告を展開したり、購入年齢層を引き上げるため、商品のパッケージに入った引換証を集めると豪華な賞品がもらえる販売促進策を考案し、業績拡大に努めました。こうしてグリコの販売数は1940年に戦前の最盛期を迎え、ビスコも順調に売り上げを伸ばしました。しかし次第に戦争の足跡が忍び寄り、さまざまな統制が広がり、グリコもビスコも生産中止命令が出されました。そして終戦時、62歳にして江崎氏は奇跡的に焼け残った大阪工場の食堂を除いて国内外すべての資産を失いました。
しかし江崎氏は、従業員に「グリコは破産同様になってしまったが、私は悲観していない。工場も機械も焼けてしまったが、さすがの戦火にも焼けなかった資産がある。それはグリコの名前であり、マークであり、ノレンである」と意気高らかに復興への意気込みを語り、協力を呼びかけました。バラック工場での乾パンづくりから5年後にはおもちゃ小箱が付いた「グリコ」が、さらに翌年には「ビスコ」も復活し、業績は急速に回復しました。高度経済成長期に入ると生活の洋風化もあり、肉類や乳製品の消費が増える一方、インスタント食品の発売も相次ぎ、商品の種類も拡大しました。また“アーモンドのグリコ”の評価を確立した「アーモンドグリコ」「アーモンドチョコレート」をはじめ、新商品を相次いで販売しました。1960年代に入ると新商品の乱開発と過剰な設備投資から経営が悪化し、莫大な借金を抱えましたが、「少品種大量販売」「重点集中主義」を掲げ、既存の商品に付加価値を与えて価格改定する販売戦略をとるとともに、次代を担う商品開発に取り組んでプリッツやポッキーなどを誕生させ、ピンチを乗り切り、二度にわたるオイルショックの後も、創業者江崎氏の斬新なアイデアでグリコは業績を拡大させていきました。また江崎氏は流行をとらえ続け、一般家庭にカラーテレビが普及するとコマーシャルに着目し、アイドルを起用した青春路線のテレビCMを展開し、10代の若者層にアピールしました。こうして江崎氏は「食品による国民の体位向上」という強い願いを最後まで持ち続け、1980年までの97年の生涯をグリコの発展にささげたのです。
決して豊かではない家庭に生まれ育ち、明治、大正、昭和初期の経済が不安定な時代や第二次世界大戦という激動の時代を常に新しいアイデアと人々を商品を通して楽しませたいという信念をもって社会に貢献した江崎氏の生き方には、私たちが「どう生きるか」という問いへの多くのヒントが隠されていると感じます。
そんな江崎氏が残した言葉を紹介します。
「商売は、共存共栄がなかったら、発展はない」
江崎氏は、子ども時代の恩師に「商売というものは、自分のためにあるとともに、世の中のためにもあるもの。商品を売る人は、物を売って利益を得るが、買う人もまたそれだけの値打ちのものを買って得をする。この共存共栄がなかったら本当の商売も成り立たないし、発展もない」と諭され、以来、この教えを生涯の信念として守り続けました。
また、江崎氏の父親は、薬の販売業を営んでいましたが、決して経営者として順風満帆ではなかった中で、いつも江崎氏にこう話していたそうです。「金を借りている人の前では、たとえそれが正論であっても取り上げてもらえず、意見が通らない。正しい意見を通すためにも、まず貧乏であってはならない。浪費をつつしみ、倹約につとめ、商売に精を出し、ある程度の財産を作らなければならない。しかし、そのためにお金の奴隷になってはならない。世の人からケチな奴と非難されてまで財産を築こうとしてはならない。そしてある程度のお金を稼いだら、交際や寄付金は身分相応より少し程度を上げ、相手に喜びや安心をあたえなさい。そしてさらに儲かったお金は、自分のためではなく社会のために使うようにしなさい。そうでなければ、立派な人間とはいえない。」
実際に江崎氏は、厚生労働省という機関がない1933年に莫大な資材を投じ、母子健康協会を作り、貧しい母親と子どもの健康増進のための活動を積極的に支援しました。
みなさんの中には、将来、お金持ちになりたいと願っている人もいるかもしれません。しかしなぜそのような願望を抱くのでしょうか。一体何のためにお金持ちになりたいのでしょうか。あるいは、お金持ちになってどうしたいのでしょうか。その答えをしっかりと持ち、しかもそれが自分のためだけではないという確信をもって生きることが大切です。
新約聖書の「マタイによる福音書 第6章25節~34節」の「思い悩むな」というタイトルの箇所を紹介します。
「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
私たち人間は貪欲な生き物ですから、口では贅沢しすぎてはいけないと言いつつも、心の底では「いくら与えられても満ち足りない、もっと欲しい」と考えてしまいがちです。しかし欲望にはゴールがありません。強欲な人は、いくら手に入れても、たとえ全世界を手に入れたとしても満ち足りることはないでしょう。どんなに豊かになっても、お金に安心を求めたり、お金に固執し、人間関係を壊してしまうようでは、何の意味もありませんし、自分の人生を幸せに感じることもないでしょう。
お金ではなく、あなたの人生で最も大切なことが何なのかを心の底から丁寧にイメージすることです。なぜならお金はその最も大切なことを達成するために与えられた道具でしかないのです。ですから、「お金に固執しない」「自分に必要以上に任せられたお金を愛や必要のために使う」「必要なお金や知恵はいつも正しい生き方をしている人に与えられる」ということをいつも心に留めてください。これこそが、私たちが本当に豊かに生きる秘訣です。みなさんが大人になり、まっとうに働き、運良く大金持ちになったとしても、あるいはそうでなかったとしても、お金との付き合い方を間違えない人となれるよう心から願っています。
みなさん、おはようございます。
みなさんの元気な挨拶のおかげで、毎日清々しい気持ちになります。さて、今日は私の話の後でクラブ表彰を行います。それぞれの競技の春季大会での健闘を讃え、夏の全国大会へ向けてさらにギアをあげていく仲間たちに力強いエールを送りたいと思います。
さて、新学期が始まって1か月が経ちましたが、1年生と4年生は、そろそろ新しい友人ができた頃でしょうか。あるいは、他の学年のみなさんもクラス替えで、顔は知っていたが話したことのなかった新しい友人ができた人もいることでしょう。また、友との絆をより強く太くするような関わりを日々繰り返している人もいるでしょう。特に部活動ではこれからの戦いに向け、仲間との結束をより強くし、ともに目標を叶えるために力を尽くす時期でもあります。もちろん受験勉強にも同じことが言えると思います。仲間の支えは、私たちに大きな勇気をあたえてくれるものです。そこで今日は「友人」について話をします。まず始めに新約聖書「ヨハネによる福音書」の15章9節~13節を紹介します。
父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
みなさんには、友人といえる人が何人いますか。私は、自分が恵まれた人生を送っているといつも感じていますし、毎日幸せな気持ちで生活させてもらっているといつも感じていますが、それはたくさんの友人に恵まれているためであると心から思います。私は、この学園でも多くの友人に囲まれ、毎日を活き活きとハッピーに過ごすことができています。みなさんには、心から信頼し合い、何でも話し合える、あるいは勇気をもって間違いを正し合える友人がいますか。そのような友人のことを「親友」と呼びますが、小学校、中学校、そして現在を丁寧に振り返り、お互いに「親友」だと認め合える人がいますか。もしも今、頭に思い浮かんだ友人がいたとしたならば、それは素晴らしいことですし、その人はあなたを支える大切な存在なのだと思います。ただ本当に生涯の親友かどうか判別するためには、もう少し時間がかかると思います。今のところその人は「親友候補」、この先「本当の親友になる可能性が高い人」だと思うのです。私は50年以上生きて、ようやく分かったことですが、「親友」とは、何年、何十年経っても、どんなにおかれた環境が変わっても、再会の機会が巡ってきた時に、心から時間を惜しむことなく「会いたい」と思える人、何とかして会おうとする人だと思います。ですからこれからたくさんの出会いがあるみなさんには、今から「親友」を絞ることなく、「親友候補」をたくさん作ってほしいと思います。
私の親友のひとりを紹介します。私は、大学を卒業してから5年間、大手生命保険会社に勤務しました。これからの話は、今から30年前の話ですので、現在はそのような会社ではないことを理解して聞いてください。私と同期で入社した仲間が168名いました。最初の2年間は、将来、管理職としてセールスマンを指導するための訓練として、保険をセールスする研修を受けました。1年目は個人保険を、2年目は企業体への保険を販売する研修でした。特に1年目の研修は過酷でした。上司が私たちの前に見知らぬ街の地図を広げ、世帯数が50戸くらいになるように定規で線を引き、番号をふり、くじ引きで当たった地区を1年間訪問し、そこに住む人とそこから紹介してもらった人だけに保険を販売するという研修でした。上司からは、朝昼晩と1日3回同じ家を訪問するよう指示されたものです。しかも研修とはいえ、営業成績をオフィスの掲示板にグラフで貼られ、優秀だと表彰され、ひと月に2件以上の契約をあげなければ、成績が悪いと上司からの厳しい指導が入りました。毎月、全国順位が発表され、2年間の総合成績でその後の配属先が決まり、恐らくは出世の早い遅いにも影響が出る仕組みになっていたはずです。何名かの同期はこの研修に耐え切れず、会社を辞めていきました。私は入社直後の2か月間の机上研修で全国トップになり、その後、札幌に配属された同期24名の中で、そこそこの順位をキープすることができました。一方、私が今日紹介する「親友」は、机上研修は上位の方でしたが、セールス研修になると振るわず、いつも下位に低迷していました。当時、生命保険会社には年に3回、保険をたくさん売る月というのがあり、その月には普段の月の3倍の営業成績を目標とするよう指示されていました。ある月に私は運良く、3倍どころか5倍近くの営業成績をはじき出し、2日に1回は何らかの契約をいただくことができたのに対し、私の親友は、月末になっても2件程度しか契約をとることができずにいました。そんなある日の夜に、同期4名でお酒を飲みながら話していた時、私がどのようにして保険の契約をあげているのかという話になりました。私はトップに近い成績を上げていたので自信満々に自分のやり方を話しました。生命保険の営業成績は、死亡保険金が高いほど良くなる仕組みでした。保険料が安く設定できる若い方から契約をいただくことが多かったのですが、私の「親友」は「それはおかしい。そんな販売の仕方でいいのか」と激しい口調でかかってきたのです。彼の指摘はこうでした。1、2回しか会ったことのない人に、本当にそれだけの死亡保険金が必要かどうか十分に理解していない可能性があるうちに契約していいのか。独身の方は死亡保険よりも貯金の方が大切だからそういった商品を勧めるべきではないか。契約をいただいた人からの紹介で更に契約をもらっているようだが、もしもその保険が必要のないものだと後でわかったら、紹介してくれた人に迷惑がかかるのではないか。などなど。私の親友は、死亡保険金がほとんど出ない貯金のような商品を年配の方を中心にセールスしていました。その結果、営業成績が伸びず、上司に厳しく指導を受けていました。私は、自信をもって必要な保険をセールスしていると当時は思っていましたので、そのような言われ方をされ、腹立たしく、成績を出している私への妬みではないかと反発し、その晩は激しく口論しました。数日間、同じ職場でぎくしゃくした雰囲気が続きました。結局、私は成績トップで表彰されました。親友は、あの日の夜の口論を謝罪し、心から祝福してくれました。もちろん私も順調にいかなかった時もあり、契約が伸び悩んだ月もありましたし、契約のいくつかが短期間で解約され、上司から厳しく指導を受けたこともありました。そんな時、私の親友は、落ち込んでいる私に「上司の指導が悪いとこっちが苦労するよな」などと慰めてくれたものです。苦労をともにしながら、彼との付き合いは深まり、結婚式の発起人代表をしてくれたり、子どもが生まれれば、お祝いをもってきてくれたりしました。結局いろいろあり、私は5年間勤めた生命保険会社を退職することにしましたが、その際も彼は、家族がいるのに食べていけるのかと随分心配してくれたものです。退職後も札幌光星での私のはたらきぶりをどこからともなく聞きつけ、例えばゴルフ部の監督として全国大会で団体戦3位になった時には、短い年末年始の休みに帰省した際に時間を割いてお祝いしてくれたり、校長に就任した時には、私自身が校長職という大変な重責に不安で複雑な心境を打ち明けると「すごい、すごい、やっぱり駒井はすごいよ。駒井なら絶対うまくいく」と自分のことのように喜んでくれ、励ましてくれました。一方彼は、生命保険会社をやめることなく、今も続けています。2年間の研修が終わった後も、配属先で思うような成績が出ず、出世も決して早い方とはいえず、東北地方の街を2年周期で転勤していましたが、そこでの地道にセールスマンを育成する手腕が評価され、2年ほど前に横浜の支社長として約2千名の社員をマネジメントするポジションに就く、同期で一番の大出世を遂げました。昨年のGW中にコロナの後、久しぶりに東京で会うことができました。夜遅くまで一緒にお酒を飲みましたが、そこで話したことのほとんどは、30年前、大学出たての社会人として、土日祝日もなく、来る日も来る日も朝から晩まで上司から怒鳴られながら保険をセールスしなければならなかった頃の思い出ばかりでした。
私は、自分のこと以上に私のために行動してくれる、自分のこと以上に誰かのために行動できる、彼のような友人を待てたことを幸せに感じます。私のことを思い、遠慮なく、真心からアドバイスしてくれる友人がいてくれることを幸せに感じます。私には、そんな友人が人生の他の場面でも何人かあらわれ、今も私の心の支えとなってくれていることに感謝しています。みなさんにも、今日紹介したような、私が幸せに感じるような友人に恵まれることを、大切な友人のために自分の都合を後回しにしてでも、その瞬間は嫌われるかもしれない意見の食い違いさえもぶつけ合うことができる人と巡り合うことができるよう、心からお祈りします。
本日より令和6年度の学校生活がスタートいたします。昨日の中学校入学式で87名、高校入学式で328名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。先輩、先生、その他たくさんの学園で働く方々は、心より皆さんのことを歓迎します。まだまだ馴れない新生活で不安に感じることも多いと思いますが、私たち光星ファミリーは、みなさんのことを全力でサポートします。ぜひ、頼りにしてください。
今朝も校門の前で皆さんと元気な挨拶を交わすことができました。今日一日を活き活きと生活するためのパワーを受け取ることができました。中学生247名、高校生1061名、全校生徒1308名、そして教職員139名、清掃してくださる方や警備の方、学生食堂の方々を合わせると、毎日この学園に関わる方々は1500名前後になります。この学園で一緒に生活するファミリーが、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。また、みなさんの御家族や同窓会、後援会の方々を含めますと、3万から4万名の方々が光星を支えてくれています。本校に関わる全ての方々にとって信頼と安心の場となるよう今年度もみなさんの協力をお願いします。
先月の終業式の際にも先輩たちの大学合格実績について紹介しました。その後も吉報は続き、国公立大学合格は176名(うち現役154名)、東京大学をはじめ、大阪大学2名、東北大学3名、神戸大学2名、そして北海道大学には25名の合格など、大きな実績を残してくれました。また、私立大学にも早慶上理17名、MARCH(明治、青山学院、中央、立教、法政)55名の実績を残しました。3月に卒業した先輩たちは、319名と例年に比べ、在籍数の少ない学年でしたが、約半分の先輩が、2人に一人が現役で国公立大学合格を果たしました。最後まで粘り強くチャレンジした先輩たちは、本当に立派でした。まだまだコロナの影響が残る中での高校生活でしたが、多くの先輩が部活動を3年間全うし、あるは光星祭などの行事、生徒会活動も全力で取り組み、与えられた環境に心から感謝し、仲間との連帯を大切にし、自分たちのベストを尽くし、志を高くもって力強く巣立っていきました。後輩のみなさんにたくさんの勇気をあたえてくれた先輩たち。こういった先輩たちの姿勢こそが本校の校訓である「地の塩 世の光」の意味するところです。自らの才能に気付き、その才能を磨き上げ、あなたの才能を必要とする人のために惜しみなくあたえ、平和な社会を作るための一員となるという「光星プライド」を、是非みなさんも引き継いでください。
さて今年度、札幌光星は創立90周年という大きな節目を迎えます。2月にみなさんに募集した90周年記念ロゴマーク、たくさんの素晴らしい作品の中から4年生の最上尋史君の作品を採用することにしました。また、すでにご案内している通り、記念事業として5月ころに学生食堂のテーブルと椅子をリニューアルし、学校祭前までにみなさんの憩いの場である中庭の整備を行う予定です。さらに7月中旬からはグラウンドを全面人工芝にする工事をスタートさせ、11月1日の記念式典までに完成させる予定です。記念式典は、同窓会関係者や学校関係者など多くの御来賓をお迎えし、90年の歩みを振り返り、100周年へ向けてますます飛躍することを生徒のみなさんにプレゼンしてもらう企画にしていきます。多くのみなさんが、様々な場面で記念式典に参加してくれることを願っています。
創立90周年関連以外にもいろいろな変化がありそうな2024年度ですが、最後に新年度をスタートするみなさんに先ほどの聖書朗読の箇所の一つ前の章になりますが、新約聖書の「ローマの信徒への手紙 12章 2節~3節」を紹介します。
「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」
この聖書のメッセージが理解できますか。古い自分を脱ぎ捨て、心を新たにし、自分自身が心から望み、あなたのことを支えてくれている方からも望まれる生き方をしなさいということです。みなさんには叶えたい目標があり、思い描く将来があり、その実現のために札幌光星を選んだ初志を貫く決意を、始業式の日に改めて確認し、腰を据えて努力する覚悟をしてください。誘惑にフワフワと流されず、薄っぺらな誉め言葉に惑わされず、驕り高ぶらず、謙虚で強い自分を作ってください。そのような行いをブレずに続けることが大切です。みなさんには将来、様々な方法で多くの方々を支える生き方をしてほしいですし、真の優しさを身に着けてほしいです。みなさんの健闘と成長を心からお祈りします。
大きな希望、そして目標を胸に、この先の自らの学びへの強い意志をもち、この場に臨まれた6カ年コース57名、マリスコース255名、ステラコース16名、合計328名のみなさん、今お名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。本日ご来賓のPTA会長、上戸陽一様とともに、この良き日を心よりお祝い申し上げます。また、これまでみなさんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
本校は1934年の創立から数え、今年の11月で90周年という大きな節目を迎えます。みなさんは本校の第90期生となります。札幌光星は、これまでに3万名を超える多くの優秀な卒業生を輩出してきました。本校の歴史と伝統は、先輩方が築き上げた財産の積み重ねによるものです。みなさんも札幌光星の生徒として、その名に恥じぬよう責任と自覚をもって行動してください。
およそ4年にわたる新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの影響をようやく受けることなく、コロナ前の日常が戻ってきたという印象をうける今年の春ですが、みなさんの小学校6年生、中学校1年生、2年生の頃の衝撃的な日々は、この先も歴史の1ページに深く刻まれることでしょう。いまさら辛かった日々の記憶を蒸し返そうというのではありません。しかし、あの時、何が起き、どんな行動をし、その結果どうなったのか。あるいはどうすべきであったのか。私は、歴史的出来事に対する検証作業を様々な立場で行う必要があると感じます。未来がよりよいものとなるために歴史から学びとる姿勢は、いつの時代にも求められます。コロナ禍の出来事だけを見ても、パンデミックの初期には、日々未知のウイルスによって命を奪われる方のあまりの多さに、無力感や恐怖感を覚えました。次いで世界が一致団結し、「すべての命を守る」ことを真剣に考え、マスクの着用や密集を避けるなどの公衆衛生への積極的な協同作業を始めました。しかし、徐々にウイルスの正体らしきものが分かりはじめると、「すべての命を守る」ための行動は、徐々に窮屈でストレスの重なる作業へと意識され、また、ワクチン開発をはじめとする様々なコロナ外交やマネーゲームに見られる覇権争いへと変貌していったように記憶しています。さらに世界的なパニック状態は、複雑な要因が交錯する中でいくつかの地域紛争へと進んでしまいました。
わたしたち人類は、有事には傷ついた人に我が身のように寄り添い、平時には他人の粗を探すことが往々にしてあり、そのような歴史を繰り返してきましたが、本来、繰り返すべきではなかったこともたくさんありました。昨今も情報化、グローバル化、パンデミックの渦中で、これまでになく注目されるようになった「多様性」にも、同じ人間が温かな眼差しを注いでいたかと思えば、「多様性」の名のもとに個々の主義主張を一方的に示したり、同調圧力を掛けたりすることもありました。
わたしたちには、自分自身が今ここに生き、生かされている一瞬一瞬の出来事について、検証し、真理を追究する姿勢が求められます。歴史を学び、歴史から学ぶ姿勢を、未来を託されているみなさんには、ぜひ身に着けてほしいと願います。人として最も大切にすべきものを知り、大切なものを見極め、大切なものを守り通す知恵と勇気を身に着けてほしいのです。目に見えるもの、見えにくいもの、見えないもの、急に見えてくるもの、この世のものすべてを「心の目」で観察する力を身に着け、物事の真理を悟り、正義に生きる人となることを望みます。本校での学びを通し、無条件に平和な、そしてすべての被造物への尊厳にあふれる、持続可能な社会を築くための一員として、世界に大きく貢献する人物へと成長することを願います。
コロナ禍もそうでしたが、自分の身に降りかかった出来事を「運命」というのかもしれませんが、私たちは未来を予知できない以上、どこかで自分の「運命」を受け入れなければなりません。みなさんの中には15の春がイメージ通りにいかなかった方もいると思います。今この瞬間も心の整理が完全についていない状態で入学式の席についている方もいるかもしれません。しかし私たちは自分自身の力で過去を変えることができない以上、現在を受け入れ、前を向き、未来に向かって歩いていくことしかできません。ただ変えることができない過去に対し、受け入れざるを得ない現在に対し、いかなる「運命」にも意味があるはずであると洞察し、未来をよりよく、強く、しなやかに生き抜くための教材とすることはできるはずです。ぜひ、「運命」が自分を成長させてくれることに感謝できる人となるよう札幌光星でベストを尽くしてください。心を開き、本校での学びを通し、自分自身の夢や目標を見定め、その実現のために多くのチャレンジをしてください。札幌光星には、お互いを大切に思う仲間がたくさんいます。いつも明るく挨拶を交わし、優しい心で支え合い、成功を願い、応援する雰囲気にあふれています。安心して学校生活を送ることができる日々を支えてくれる、たくさんの先生方、先輩、そして共に新生活を始める328名の仲間がいます。この学園で関わる多くの方々と連帯し、分かち合い、赦し合う素晴らしさを実感してほしいと願います。そのような温かな雰囲気に守られながら、「運命」を肯定的に受け入れ、あたえられた環境でベストを尽くし、弛まぬ努力を続け、自分にあたえられた才能を丁寧に磨き上げ、多くの人の助けとなる人になってください。これこそ本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、自分自身の優位性をひけらかすことなく、自分の持てる力や才能を、それを必要とするすべての方に惜しむことなく差し出すこと、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くし、社会に貢献できる大人へと成長しなさいということです。「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という聖書の教えの通り、札幌光星は、常にそのような姿勢をみなさんに求めます。他者との関わりによってしか、自分の幸福の実現に至る道が開かれないことを知り、他者のために尽くすことを歓びとする人になってください。札幌光星は、みなさんがその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これから3年間の御支援と御協力をお願いいたします。
新入生のみなさん、これからの3年間、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。みなさんが3年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。
大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた87名の皆さん、今、名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星中学校への御入学、誠におめでとうございます。皆さんの入学を心より歓迎いたします。本日ご来賓の父母の会会長、田原恵美様とともに、この良き日をお祝い申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
札幌光星学園は、今年、創立90周年を迎え、これまでに3万名以上の卒業生を輩出し、先輩たちは北海道内にとどまることなく、さまざまなフィールドで活躍をしています。そしてこの6カ年コースが1994年にスタートしてから、今年で30周年を迎えます。この大きな節目の年に入学するみなさん一人ひとりが、次の時代を切り開く希望に満ちた存在として活躍することを心から願っています。
新入生のみなさんは、札幌光星での新生活の中で、特に何を楽しみに入学したでしょうか。教科書を使わない光星独自の探求的学びであるルクスプログラムでしょうか。フレンドシップミーティングやサマースクールなどの宿泊行事でしょうか。運動系や文化系の中から自分が興味のある活動に取り組むことができるサークル活動でしょうか。学校祭やスポーツデイ、遠足や芸術文化発表会などの行事でしょうか。それともたくさんの英語体験や異文化交流ができるイングリッシュキャンプや海外研修旅行でしょうか。これから始まる6年間の学校生活のすべての学びが、一つ一つ凝縮したものであり、それぞれの体験がみなさんの人間性に深い味つけをし、連動し、大きな財産を築いていくこととなります。みなさんは今日この瞬間からすべての学習、すべての行事、すべての出会いに心を開き、すべてを吸収し、自らの成長の糧としてください。
そして、そのような日々の積み重ねの延長に、その先の大学進学という大きな目標に向かってチャレンジする力を着実に備えていくのです。この春に卒業したみなさんの先輩方も、6年間を通し、札幌光星の生徒としてのプライドを身に着け、自らが希求する将来をしっかりとイメージし、夢を叶えるに相応しい進路へ、勇気をもってチャレンジしました。そして東京大学、大阪大学、東北大学、神戸大学、北海道大学など難関大学に現役での合格を果たしました。努力をし、目標である大学に合格することは素晴らしいことです。しかし、それ以上に大切なことや見失ってはいけないことがあります。それは、人として大切なことが何かを「知ること」、そして大切なことのためにブレることなく「行動すること」、さらには大切なことへの自分の解釈が間違っていないかを周囲の人に誠実に「聞くこと」です。あなたの人生は、あなただけのものではありません。世界中の方々の幸せのためにあなたの人生が大切に豊かに扱われなければなりません。謙虚さを身に着け、多くの人の幸せのために働ける人となってください。
札幌光星学園は、昨年、カトリックミッションという共通の教育理念で運営されている上智大学と高大連携契約を結びました。今後は、上智大学のさまざまな教育資源の提供を受け、これまでのルクスプログラムに代表されるような特色ある札幌光星の学習のバリエーションがさらに広がっていくことになりますが、今日は、本校での生活を始めるみなさんに上智大学の新入生にも配付された「教皇フランシスコ15の言葉」という本から、いくつかの言葉を紹介します。これらの言葉には、教皇フランシスコの「あなたには幸せでいてもらいたい」との祈りが込められており、すべての人が心に留めておくべき生きる姿勢を示しています。これからの学校生活の中で悩んだり、つまずいたりした時などに、ぜひ思い出してください。
一つ目。「自分の内面を読み解く」
私たちの人生は、私たちに手渡された最も貴重な書物です。自分の人生を読み解く。自分の内面を読み解く。自分の歩みがどうであったか。穏やかな心で、ぜひ自分の内に入ってみてください。
二つ目。「自分は唯一無二であることを忘れない」
私たち一人ひとりは、唯一無二の存在であり、そのユニークさゆえに人から愛され、また人を他の誰にもできない形で愛するためにこの世に存在しています。交代要員のようにベンチに座っているのとは違います。世界に一つしかない。自由な存在で、愛の物語、神様との愛の物語を綴るためにこの世に生きているのです。
三つ目。「自分自身を笑い飛ばすことを学ぶ」
ナルシスト(自己愛のつよい人)は、常に鏡の中の自分を見ています。でも、たまには鏡を覗いて自分のことを笑い飛ばすことをお勧めします。自分自身を笑い飛ばすこと。いいことだと思いますよ。
四つ目。「健康的な『落ち着きのなさ』を生きる」
さまざまな願望や志を抱きながら、決して「自分は到達した」と感じられないその落ち着きのなさこそ、常にあなたを前進させていきます。大人になりたくないピーターパンのように、世界から孤立して自分の部屋に閉じこもっているのではなく、常に開かれた、勇気のある人でいてください。
五つ目。「人と共に歩む」
一人で歩くのはよくない。よくないし、それにつまらない。コミュニティーで、友人と、あなたを愛する人たちと一緒に歩みなさい。そして、転んでもまた立ち上がる。失敗や転倒を恐れてはいけない。歩く技術で大切なのは、「転んだままでいない」こと。
最後に「あなたは最高の運命にあることを忘れないでいてください」
神さまは私たちに最高を願っておられます。私たちに幸せでいてもらいたいのです。際限のない幸せ、そしてそのために利息を要求なさいません。イエスのしるしには下心や見返りのスペースがありません。神さまが私たちの心に残してくれる喜びは、満ち足りた無償の喜びです。それは水で薄めた喜びではなく、私たちを新たにしてくれる喜びなのです。
本日入学されたみなさんには、本校での6年間の中で、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、自分自身の優位性をひけらかすことなく、自分の持てる力や才能を、それを必要とするすべての方に惜しむことなく差し出すこと、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くし、社会に貢献できる大人へと成長しなさいということです。「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という聖書の教えの通り、札幌光星は、常にそのような姿勢をみなさんに求めます。他者との関わりによってしか、自分の幸福の実現に至る道が開かれないことを知り、他者のために尽くすことを歓びとする人になってください。札幌光星は、みなさんがその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解、御協力をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、まだ12歳のお子様を遠くの学校に通わせること、あるいは親元から離し、寮生活をスタートさせること、何かと御心配なことも多いかと思います。担任副担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。本校は「学校は楽しいところ」をモットーとしております。どうぞ安心してお子様を送り出してください。多くの仲間との関わりの中で、人間味豊かに成長していく姿を毎日楽しみに送り出してください。これから6年間の御支援と御協力を重ねてお願いいたします。
新入生のみなさん。みなさんが6年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しております。