札幌光星中学校・札幌光星高等学校

校長メッセージ

「心の目」をひらき、真理を追究し、豊かな未来を創るリーダーを育成

校長 駒井 健一郎

 われわれ人類は、有事には傷ついた人に我が身のように寄り添い、平時には他人の粗を探すことが往々にしてあり、そのような歴史を繰り返してきました。そして昨今も情報化、グローバル化、パンデミックの渦中で、これまでになく注目されるようになった「多様性」に、温かな眼差しを注いだり、同調圧力を掛けたりしています。未来を託されているみなさんには、目に見えるもの、見えにくいもの、見えないもの、急に見えてくるもの、この世のものすべてを「心の目」で観察する力を身に着け、物事の真理を悟り、正義に生きる人となることを望みます。本校での学びを通し、無条件に平和な、そしてすべての被造物への尊厳にあふれる持続可能な社会を築くための一員として、世界に大きく貢献する人物へと成長することを願います。

6月の全校朝会 2024年6月12日

 先週は今年度最初の定期試験でしたが、満足できる結果を残すことができましたでしょうか。結果という話をしましたが、プロセスがあっての結果です。結果に一喜一憂するのではなく、課題を受け止め、検証し、次回へ向けて対策を立て、同じ失敗をしないよう、あるいはより大きな成功を収めるよう行動しましょう。プロセスにこだわることでしか、私たちの成長はあり得ません。応援しています。
 さて、始業式で紹介した創立90周年事業のうち、中庭の整備と食堂のリニューアルがほぼ済みました。みなさんの憩いの場として大いに利用してほしいです。食堂に新たに入ったセブンティーンアイスと冷凍食品の自動販売機はいかがでしょうか。放課後の利用時間、マナーを守ってみなさんにとって快適な空間となることを期待しています。セブンティーンアイスは、初日だけで200本ほど売り上げがあったと聞いています。みなさんに喜んでもらえて、大変嬉しいです。
 ところでみなさんはセブンティーンアイスの名前の由来を知っていますか。セブンティーンアイスが1983年に発売された当時は子供向けのイメージが強かったアイスクリームを17歳の学生でも楽しんでもらえるよう、バラエティ豊かな17種類のラインナップで、外でも手軽に食べられるよう工夫し、セブンティーンアイスは誕生したのです。いろいろな工夫がされていて、外で食べることを想定し、アイスがズレ落ちないように、スティックに3つの穴が空いていたり、アイスのコーンの内側には、アイスのフレーバーに合わせたチョコレートを塗っていて、例えば、「濃い抹茶」のコーンには、内側にホワイトチョコレートを塗って味変を楽しめるのだそうです。またアイスをたくさん食べたい方は、コーンよりもスティックタイプの方がアイスの容量が多いそうです。
 セブンティーンアイスを販売している「グリコ」という会社の社名の由来を知っていますか。グリコの創業者は江崎利一さんという方です。1882年、明治15年に佐賀県に生まれ、幼少の頃より貧しい家計を支えるため、父親が営んでいた薬販売の手伝いをし、19歳の時に父親が亡くなると家業を継ぎました。薬の仕事のかたわら、ワインの販売やさまざま薬の開発にもチャレンジしていましたが、大正8年、漁港に水揚げされたカキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめ、これを使った食品の開発をはじめました。ちょうど同じ時期に、彼の長男がチフスという高熱に苦しむ病気にかかり、医師からも見放されていたところ、グリコーゲンを与えたことで一命をとりとめ、何とかして商品化できないかと試行錯誤の結果、キャラメルの中に牡蠣のエキスからとったグリコーゲンを入れた栄養食品「グリコ」を生み出したのです。
 ちなみにグリコーゲンとは、私たちの体内の肝臓に蓄えられ、必要に応じて分解され、ブドウ糖になり、血液に乗って身体の各組織へと届けられ、エネルギー源として活用されます。マラソン選手などアスリートが取り入れている食事法として、カーボローディングという言葉を聞いたことがありませんか。カーボローディングは、グリコーゲンを体内に蓄積する食事法のことです。運動時間が長くなると、必要なエネルギーが枯渇するので、事前に体内に糖質(炭水化物)を蓄えておき、これによって、レース後半での持久力の向上などを図るものです。
 「グリコ」は、発売当初はキャラメルではなく「栄養食品」として紹介したため、なかなかお菓子の卸売業者に受け入れてもらえませんでした。そこで江崎氏は、有名なお店に商品が並べば評判となって売れるようになるのではと考え、何度も商談を重ね、1922年2月11日、ようやく三越大阪店の店頭に「グリコ」を並べることに成功しました。もちろん売れ行きはすぐには改善しませんでしたが、江崎氏は、これまでになかったアイデアを次々と絞り出し、例えば現在のクーポン券付きチラシや試食品を配布したり、お客様アンケートの結果をもとに味の改良に取り組むなどし、2年余りで黒字に転じさせました。その後も経営に波はありましたが発売当初から「グリコ」に込めていた“遊び”の想いを進化させ、菓子とは別の箱に収める「おもちゃ小箱」にオマケを入れることを発案し、業績は劇的に向上しました。
 「グリコ」の成功で業績を急拡大させた江崎氏は、これに続く第二の栄養菓子として、酵母入りクリームサンドビスケット「ビスコ」を発売しました。「ビスコ」は、熱に弱い酵母を守るため、牛乳でつくったクリームにヤシ油を添加するこれまでにない製法で作られました。また販売拡大のための創意工夫として「ビスコ」という名前や「ビスコ坊や」のキャラクター作成なども行いました。当時は昭和の恐慌の影響で不況が長引き、グリコも厳しい経営環境に苦しんでいましたが新聞にグリコの文字と簡単な文章やイラストを配した広告を掲載したり、浅草雷門や神戸の新開地、道頓堀など各地にネオン広告を展開したり、購入年齢層を引き上げるため、商品のパッケージに入った引換証を集めると豪華な賞品がもらえる販売促進策を考案し、業績拡大に努めました。こうしてグリコの販売数は1940年に戦前の最盛期を迎え、ビスコも順調に売り上げを伸ばしました。しかし次第に戦争の足跡が忍び寄り、さまざまな統制が広がり、グリコもビスコも生産中止命令が出されました。そして終戦時、62歳にして江崎氏は奇跡的に焼け残った大阪工場の食堂を除いて国内外すべての資産を失いました。
 しかし江崎氏は、従業員に「グリコは破産同様になってしまったが、私は悲観していない。工場も機械も焼けてしまったが、さすがの戦火にも焼けなかった資産がある。それはグリコの名前であり、マークであり、ノレンである」と意気高らかに復興への意気込みを語り、協力を呼びかけました。バラック工場での乾パンづくりから5年後にはおもちゃ小箱が付いた「グリコ」が、さらに翌年には「ビスコ」も復活し、業績は急速に回復しました。高度経済成長期に入ると生活の洋風化もあり、肉類や乳製品の消費が増える一方、インスタント食品の発売も相次ぎ、商品の種類も拡大しました。また“アーモンドのグリコ”の評価を確立した「アーモンドグリコ」「アーモンドチョコレート」をはじめ、新商品を相次いで販売しました。1960年代に入ると新商品の乱開発と過剰な設備投資から経営が悪化し、莫大な借金を抱えましたが、「少品種大量販売」「重点集中主義」を掲げ、既存の商品に付加価値を与えて価格改定する販売戦略をとるとともに、次代を担う商品開発に取り組んでプリッツやポッキーなどを誕生させ、ピンチを乗り切り、二度にわたるオイルショックの後も、創業者江崎氏の斬新なアイデアでグリコは業績を拡大させていきました。また江崎氏は流行をとらえ続け、一般家庭にカラーテレビが普及するとコマーシャルに着目し、アイドルを起用した青春路線のテレビCMを展開し、10代の若者層にアピールしました。こうして江崎氏は「食品による国民の体位向上」という強い願いを最後まで持ち続け、1980年までの97年の生涯をグリコの発展にささげたのです。
 決して豊かではない家庭に生まれ育ち、明治、大正、昭和初期の経済が不安定な時代や第二次世界大戦という激動の時代を常に新しいアイデアと人々を商品を通して楽しませたいという信念をもって社会に貢献した江崎氏の生き方には、私たちが「どう生きるか」という問いへの多くのヒントが隠されていると感じます。
 そんな江崎氏が残した言葉を紹介します。
 「商売は、共存共栄がなかったら、発展はない」
 江崎氏は、子ども時代の恩師に「商売というものは、自分のためにあるとともに、世の中のためにもあるもの。商品を売る人は、物を売って利益を得るが、買う人もまたそれだけの値打ちのものを買って得をする。この共存共栄がなかったら本当の商売も成り立たないし、発展もない」と諭され、以来、この教えを生涯の信念として守り続けました。
 また、江崎氏の父親は、薬の販売業を営んでいましたが、決して経営者として順風満帆ではなかった中で、いつも江崎氏にこう話していたそうです。「金を借りている人の前では、たとえそれが正論であっても取り上げてもらえず、意見が通らない。正しい意見を通すためにも、まず貧乏であってはならない。浪費をつつしみ、倹約につとめ、商売に精を出し、ある程度の財産を作らなければならない。しかし、そのためにお金の奴隷になってはならない。世の人からケチな奴と非難されてまで財産を築こうとしてはならない。そしてある程度のお金を稼いだら、交際や寄付金は身分相応より少し程度を上げ、相手に喜びや安心をあたえなさい。そしてさらに儲かったお金は、自分のためではなく社会のために使うようにしなさい。そうでなければ、立派な人間とはいえない。」
 実際に江崎氏は、厚生労働省という機関がない1933年に莫大な資材を投じ、母子健康協会を作り、貧しい母親と子どもの健康増進のための活動を積極的に支援しました。
 みなさんの中には、将来、お金持ちになりたいと願っている人もいるかもしれません。しかしなぜそのような願望を抱くのでしょうか。一体何のためにお金持ちになりたいのでしょうか。あるいは、お金持ちになってどうしたいのでしょうか。その答えをしっかりと持ち、しかもそれが自分のためだけではないという確信をもって生きることが大切です。
 新約聖書の「マタイによる福音書 第6章25節~34節」の「思い悩むな」というタイトルの箇所を紹介します。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 私たち人間は貪欲な生き物ですから、口では贅沢しすぎてはいけないと言いつつも、心の底では「いくら与えられても満ち足りない、もっと欲しい」と考えてしまいがちです。しかし欲望にはゴールがありません。強欲な人は、いくら手に入れても、たとえ全世界を手に入れたとしても満ち足りることはないでしょう。どんなに豊かになっても、お金に安心を求めたり、お金に固執し、人間関係を壊してしまうようでは、何の意味もありませんし、自分の人生を幸せに感じることもないでしょう。
 お金ではなく、あなたの人生で最も大切なことが何なのかを心の底から丁寧にイメージすることです。なぜならお金はその最も大切なことを達成するために与えられた道具でしかないのです。ですから、「お金に固執しない」「自分に必要以上に任せられたお金を愛や必要のために使う」「必要なお金や知恵はいつも正しい生き方をしている人に与えられる」ということをいつも心に留めてください。これこそが、私たちが本当に豊かに生きる秘訣です。みなさんが大人になり、まっとうに働き、運良く大金持ちになったとしても、あるいはそうでなかったとしても、お金との付き合い方を間違えない人となれるよう心から願っています。

5月の全校朝会 2024年5月16日

 みなさん、おはようございます。
 みなさんの元気な挨拶のおかげで、毎日清々しい気持ちになります。さて、今日は私の話の後でクラブ表彰を行います。それぞれの競技の春季大会での健闘を讃え、夏の全国大会へ向けてさらにギアをあげていく仲間たちに力強いエールを送りたいと思います。
 さて、新学期が始まって1か月が経ちましたが、1年生と4年生は、そろそろ新しい友人ができた頃でしょうか。あるいは、他の学年のみなさんもクラス替えで、顔は知っていたが話したことのなかった新しい友人ができた人もいることでしょう。また、友との絆をより強く太くするような関わりを日々繰り返している人もいるでしょう。特に部活動ではこれからの戦いに向け、仲間との結束をより強くし、ともに目標を叶えるために力を尽くす時期でもあります。もちろん受験勉強にも同じことが言えると思います。仲間の支えは、私たちに大きな勇気をあたえてくれるものです。そこで今日は「友人」について話をします。まず始めに新約聖書「ヨハネによる福音書」の15章9節~13節を紹介します。

 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。

 みなさんには、友人といえる人が何人いますか。私は、自分が恵まれた人生を送っているといつも感じていますし、毎日幸せな気持ちで生活させてもらっているといつも感じていますが、それはたくさんの友人に恵まれているためであると心から思います。私は、この学園でも多くの友人に囲まれ、毎日を活き活きとハッピーに過ごすことができています。みなさんには、心から信頼し合い、何でも話し合える、あるいは勇気をもって間違いを正し合える友人がいますか。そのような友人のことを「親友」と呼びますが、小学校、中学校、そして現在を丁寧に振り返り、お互いに「親友」だと認め合える人がいますか。もしも今、頭に思い浮かんだ友人がいたとしたならば、それは素晴らしいことですし、その人はあなたを支える大切な存在なのだと思います。ただ本当に生涯の親友かどうか判別するためには、もう少し時間がかかると思います。今のところその人は「親友候補」、この先「本当の親友になる可能性が高い人」だと思うのです。私は50年以上生きて、ようやく分かったことですが、「親友」とは、何年、何十年経っても、どんなにおかれた環境が変わっても、再会の機会が巡ってきた時に、心から時間を惜しむことなく「会いたい」と思える人、何とかして会おうとする人だと思います。ですからこれからたくさんの出会いがあるみなさんには、今から「親友」を絞ることなく、「親友候補」をたくさん作ってほしいと思います。
 私の親友のひとりを紹介します。私は、大学を卒業してから5年間、大手生命保険会社に勤務しました。これからの話は、今から30年前の話ですので、現在はそのような会社ではないことを理解して聞いてください。私と同期で入社した仲間が168名いました。最初の2年間は、将来、管理職としてセールスマンを指導するための訓練として、保険をセールスする研修を受けました。1年目は個人保険を、2年目は企業体への保険を販売する研修でした。特に1年目の研修は過酷でした。上司が私たちの前に見知らぬ街の地図を広げ、世帯数が50戸くらいになるように定規で線を引き、番号をふり、くじ引きで当たった地区を1年間訪問し、そこに住む人とそこから紹介してもらった人だけに保険を販売するという研修でした。上司からは、朝昼晩と1日3回同じ家を訪問するよう指示されたものです。しかも研修とはいえ、営業成績をオフィスの掲示板にグラフで貼られ、優秀だと表彰され、ひと月に2件以上の契約をあげなければ、成績が悪いと上司からの厳しい指導が入りました。毎月、全国順位が発表され、2年間の総合成績でその後の配属先が決まり、恐らくは出世の早い遅いにも影響が出る仕組みになっていたはずです。何名かの同期はこの研修に耐え切れず、会社を辞めていきました。私は入社直後の2か月間の机上研修で全国トップになり、その後、札幌に配属された同期24名の中で、そこそこの順位をキープすることができました。一方、私が今日紹介する「親友」は、机上研修は上位の方でしたが、セールス研修になると振るわず、いつも下位に低迷していました。当時、生命保険会社には年に3回、保険をたくさん売る月というのがあり、その月には普段の月の3倍の営業成績を目標とするよう指示されていました。ある月に私は運良く、3倍どころか5倍近くの営業成績をはじき出し、2日に1回は何らかの契約をいただくことができたのに対し、私の親友は、月末になっても2件程度しか契約をとることができずにいました。そんなある日の夜に、同期4名でお酒を飲みながら話していた時、私がどのようにして保険の契約をあげているのかという話になりました。私はトップに近い成績を上げていたので自信満々に自分のやり方を話しました。生命保険の営業成績は、死亡保険金が高いほど良くなる仕組みでした。保険料が安く設定できる若い方から契約をいただくことが多かったのですが、私の「親友」は「それはおかしい。そんな販売の仕方でいいのか」と激しい口調でかかってきたのです。彼の指摘はこうでした。1、2回しか会ったことのない人に、本当にそれだけの死亡保険金が必要かどうか十分に理解していない可能性があるうちに契約していいのか。独身の方は死亡保険よりも貯金の方が大切だからそういった商品を勧めるべきではないか。契約をいただいた人からの紹介で更に契約をもらっているようだが、もしもその保険が必要のないものだと後でわかったら、紹介してくれた人に迷惑がかかるのではないか。などなど。私の親友は、死亡保険金がほとんど出ない貯金のような商品を年配の方を中心にセールスしていました。その結果、営業成績が伸びず、上司に厳しく指導を受けていました。私は、自信をもって必要な保険をセールスしていると当時は思っていましたので、そのような言われ方をされ、腹立たしく、成績を出している私への妬みではないかと反発し、その晩は激しく口論しました。数日間、同じ職場でぎくしゃくした雰囲気が続きました。結局、私は成績トップで表彰されました。親友は、あの日の夜の口論を謝罪し、心から祝福してくれました。もちろん私も順調にいかなかった時もあり、契約が伸び悩んだ月もありましたし、契約のいくつかが短期間で解約され、上司から厳しく指導を受けたこともありました。そんな時、私の親友は、落ち込んでいる私に「上司の指導が悪いとこっちが苦労するよな」などと慰めてくれたものです。苦労をともにしながら、彼との付き合いは深まり、結婚式の発起人代表をしてくれたり、子どもが生まれれば、お祝いをもってきてくれたりしました。結局いろいろあり、私は5年間勤めた生命保険会社を退職することにしましたが、その際も彼は、家族がいるのに食べていけるのかと随分心配してくれたものです。退職後も札幌光星での私のはたらきぶりをどこからともなく聞きつけ、例えばゴルフ部の監督として全国大会で団体戦3位になった時には、短い年末年始の休みに帰省した際に時間を割いてお祝いしてくれたり、校長に就任した時には、私自身が校長職という大変な重責に不安で複雑な心境を打ち明けると「すごい、すごい、やっぱり駒井はすごいよ。駒井なら絶対うまくいく」と自分のことのように喜んでくれ、励ましてくれました。一方彼は、生命保険会社をやめることなく、今も続けています。2年間の研修が終わった後も、配属先で思うような成績が出ず、出世も決して早い方とはいえず、東北地方の街を2年周期で転勤していましたが、そこでの地道にセールスマンを育成する手腕が評価され、2年ほど前に横浜の支社長として約2千名の社員をマネジメントするポジションに就く、同期で一番の大出世を遂げました。昨年のGW中にコロナの後、久しぶりに東京で会うことができました。夜遅くまで一緒にお酒を飲みましたが、そこで話したことのほとんどは、30年前、大学出たての社会人として、土日祝日もなく、来る日も来る日も朝から晩まで上司から怒鳴られながら保険をセールスしなければならなかった頃の思い出ばかりでした。
 私は、自分のこと以上に私のために行動してくれる、自分のこと以上に誰かのために行動できる、彼のような友人を待てたことを幸せに感じます。私のことを思い、遠慮なく、真心からアドバイスしてくれる友人がいてくれることを幸せに感じます。私には、そんな友人が人生の他の場面でも何人かあらわれ、今も私の心の支えとなってくれていることに感謝しています。みなさんにも、今日紹介したような、私が幸せに感じるような友人に恵まれることを、大切な友人のために自分の都合を後回しにしてでも、その瞬間は嫌われるかもしれない意見の食い違いさえもぶつけ合うことができる人と巡り合うことができるよう、心からお祈りします。

令和6年度 始業式  2024年4月9日

 本日より令和6年度の学校生活がスタートいたします。昨日の中学校入学式で87名、高校入学式で328名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。先輩、先生、その他たくさんの学園で働く方々は、心より皆さんのことを歓迎します。まだまだ馴れない新生活で不安に感じることも多いと思いますが、私たち光星ファミリーは、みなさんのことを全力でサポートします。ぜひ、頼りにしてください。
 今朝も校門の前で皆さんと元気な挨拶を交わすことができました。今日一日を活き活きと生活するためのパワーを受け取ることができました。中学生247名、高校生1061名、全校生徒1308名、そして教職員139名、清掃してくださる方や警備の方、学生食堂の方々を合わせると、毎日この学園に関わる方々は1500名前後になります。この学園で一緒に生活するファミリーが、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。また、みなさんの御家族や同窓会、後援会の方々を含めますと、3万から4万名の方々が光星を支えてくれています。本校に関わる全ての方々にとって信頼と安心の場となるよう今年度もみなさんの協力をお願いします。
 先月の終業式の際にも先輩たちの大学合格実績について紹介しました。その後も吉報は続き、国公立大学合格は176名(うち現役154名)、東京大学をはじめ、大阪大学2名、東北大学3名、神戸大学2名、そして北海道大学には25名の合格など、大きな実績を残してくれました。また、私立大学にも早慶上理17名、MARCH(明治、青山学院、中央、立教、法政)55名の実績を残しました。3月に卒業した先輩たちは、319名と例年に比べ、在籍数の少ない学年でしたが、約半分の先輩が、2人に一人が現役で国公立大学合格を果たしました。最後まで粘り強くチャレンジした先輩たちは、本当に立派でした。まだまだコロナの影響が残る中での高校生活でしたが、多くの先輩が部活動を3年間全うし、あるは光星祭などの行事、生徒会活動も全力で取り組み、与えられた環境に心から感謝し、仲間との連帯を大切にし、自分たちのベストを尽くし、志を高くもって力強く巣立っていきました。後輩のみなさんにたくさんの勇気をあたえてくれた先輩たち。こういった先輩たちの姿勢こそが本校の校訓である「地の塩 世の光」の意味するところです。自らの才能に気付き、その才能を磨き上げ、あなたの才能を必要とする人のために惜しみなくあたえ、平和な社会を作るための一員となるという「光星プライド」を、是非みなさんも引き継いでください。
 さて今年度、札幌光星は創立90周年という大きな節目を迎えます。2月にみなさんに募集した90周年記念ロゴマーク、たくさんの素晴らしい作品の中から4年生の最上尋史君の作品を採用することにしました。また、すでにご案内している通り、記念事業として5月ころに学生食堂のテーブルと椅子をリニューアルし、学校祭前までにみなさんの憩いの場である中庭の整備を行う予定です。さらに7月中旬からはグラウンドを全面人工芝にする工事をスタートさせ、11月1日の記念式典までに完成させる予定です。記念式典は、同窓会関係者や学校関係者など多くの御来賓をお迎えし、90年の歩みを振り返り、100周年へ向けてますます飛躍することを生徒のみなさんにプレゼンしてもらう企画にしていきます。多くのみなさんが、様々な場面で記念式典に参加してくれることを願っています。
 創立90周年関連以外にもいろいろな変化がありそうな2024年度ですが、最後に新年度をスタートするみなさんに先ほどの聖書朗読の箇所の一つ前の章になりますが、新約聖書の「ローマの信徒への手紙 12章 2節~3節」を紹介します。

 「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。」

 この聖書のメッセージが理解できますか。古い自分を脱ぎ捨て、心を新たにし、自分自身が心から望み、あなたのことを支えてくれている方からも望まれる生き方をしなさいということです。みなさんには叶えたい目標があり、思い描く将来があり、その実現のために札幌光星を選んだ初志を貫く決意を、始業式の日に改めて確認し、腰を据えて努力する覚悟をしてください。誘惑にフワフワと流されず、薄っぺらな誉め言葉に惑わされず、驕り高ぶらず、謙虚で強い自分を作ってください。そのような行いをブレずに続けることが大切です。みなさんには将来、様々な方法で多くの方々を支える生き方をしてほしいですし、真の優しさを身に着けてほしいです。みなさんの健闘と成長を心からお祈りします。

令和6年度 高校入学式  2024年4月8日

 大きな希望、そして目標を胸に、この先の自らの学びへの強い意志をもち、この場に臨まれた6カ年コース57名、マリスコース255名、ステラコース16名、合計328名のみなさん、今お名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星高等学校へのご入学、誠におめでとうございます。本日ご来賓のPTA会長、上戸陽一様とともに、この良き日を心よりお祝い申し上げます。また、これまでみなさんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 本校は1934年の創立から数え、今年の11月で90周年という大きな節目を迎えます。みなさんは本校の第90期生となります。札幌光星は、これまでに3万名を超える多くの優秀な卒業生を輩出してきました。本校の歴史と伝統は、先輩方が築き上げた財産の積み重ねによるものです。みなさんも札幌光星の生徒として、その名に恥じぬよう責任と自覚をもって行動してください。
 およそ4年にわたる新型コロナウイルス感染症によるパンデミックの影響をようやく受けることなく、コロナ前の日常が戻ってきたという印象をうける今年の春ですが、みなさんの小学校6年生、中学校1年生、2年生の頃の衝撃的な日々は、この先も歴史の1ページに深く刻まれることでしょう。いまさら辛かった日々の記憶を蒸し返そうというのではありません。しかし、あの時、何が起き、どんな行動をし、その結果どうなったのか。あるいはどうすべきであったのか。私は、歴史的出来事に対する検証作業を様々な立場で行う必要があると感じます。未来がよりよいものとなるために歴史から学びとる姿勢は、いつの時代にも求められます。コロナ禍の出来事だけを見ても、パンデミックの初期には、日々未知のウイルスによって命を奪われる方のあまりの多さに、無力感や恐怖感を覚えました。次いで世界が一致団結し、「すべての命を守る」ことを真剣に考え、マスクの着用や密集を避けるなどの公衆衛生への積極的な協同作業を始めました。しかし、徐々にウイルスの正体らしきものが分かりはじめると、「すべての命を守る」ための行動は、徐々に窮屈でストレスの重なる作業へと意識され、また、ワクチン開発をはじめとする様々なコロナ外交やマネーゲームに見られる覇権争いへと変貌していったように記憶しています。さらに世界的なパニック状態は、複雑な要因が交錯する中でいくつかの地域紛争へと進んでしまいました。
 わたしたち人類は、有事には傷ついた人に我が身のように寄り添い、平時には他人の粗を探すことが往々にしてあり、そのような歴史を繰り返してきましたが、本来、繰り返すべきではなかったこともたくさんありました。昨今も情報化、グローバル化、パンデミックの渦中で、これまでになく注目されるようになった「多様性」にも、同じ人間が温かな眼差しを注いでいたかと思えば、「多様性」の名のもとに個々の主義主張を一方的に示したり、同調圧力を掛けたりすることもありました。
 わたしたちには、自分自身が今ここに生き、生かされている一瞬一瞬の出来事について、検証し、真理を追究する姿勢が求められます。歴史を学び、歴史から学ぶ姿勢を、未来を託されているみなさんには、ぜひ身に着けてほしいと願います。人として最も大切にすべきものを知り、大切なものを見極め、大切なものを守り通す知恵と勇気を身に着けてほしいのです。目に見えるもの、見えにくいもの、見えないもの、急に見えてくるもの、この世のものすべてを「心の目」で観察する力を身に着け、物事の真理を悟り、正義に生きる人となることを望みます。本校での学びを通し、無条件に平和な、そしてすべての被造物への尊厳にあふれる、持続可能な社会を築くための一員として、世界に大きく貢献する人物へと成長することを願います。
 コロナ禍もそうでしたが、自分の身に降りかかった出来事を「運命」というのかもしれませんが、私たちは未来を予知できない以上、どこかで自分の「運命」を受け入れなければなりません。みなさんの中には15の春がイメージ通りにいかなかった方もいると思います。今この瞬間も心の整理が完全についていない状態で入学式の席についている方もいるかもしれません。しかし私たちは自分自身の力で過去を変えることができない以上、現在を受け入れ、前を向き、未来に向かって歩いていくことしかできません。ただ変えることができない過去に対し、受け入れざるを得ない現在に対し、いかなる「運命」にも意味があるはずであると洞察し、未来をよりよく、強く、しなやかに生き抜くための教材とすることはできるはずです。ぜひ、「運命」が自分を成長させてくれることに感謝できる人となるよう札幌光星でベストを尽くしてください。心を開き、本校での学びを通し、自分自身の夢や目標を見定め、その実現のために多くのチャレンジをしてください。札幌光星には、お互いを大切に思う仲間がたくさんいます。いつも明るく挨拶を交わし、優しい心で支え合い、成功を願い、応援する雰囲気にあふれています。安心して学校生活を送ることができる日々を支えてくれる、たくさんの先生方、先輩、そして共に新生活を始める328名の仲間がいます。この学園で関わる多くの方々と連帯し、分かち合い、赦し合う素晴らしさを実感してほしいと願います。そのような温かな雰囲気に守られながら、「運命」を肯定的に受け入れ、あたえられた環境でベストを尽くし、弛まぬ努力を続け、自分にあたえられた才能を丁寧に磨き上げ、多くの人の助けとなる人になってください。これこそ本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、自分自身の優位性をひけらかすことなく、自分の持てる力や才能を、それを必要とするすべての方に惜しむことなく差し出すこと、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くし、社会に貢献できる大人へと成長しなさいということです。「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という聖書の教えの通り、札幌光星は、常にそのような姿勢をみなさんに求めます。他者との関わりによってしか、自分の幸福の実現に至る道が開かれないことを知り、他者のために尽くすことを歓びとする人になってください。札幌光星は、みなさんがその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これから3年間の御支援と御協力をお願いいたします。
 新入生のみなさん、これからの3年間、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。みなさんが3年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。

令和6年度 中学校入学式  2024年4月8日

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた87名の皆さん、今、名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星中学校への御入学、誠におめでとうございます。皆さんの入学を心より歓迎いたします。本日ご来賓の父母の会会長、田原恵美様とともに、この良き日をお祝い申し上げます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 札幌光星学園は、今年、創立90周年を迎え、これまでに3万名以上の卒業生を輩出し、先輩たちは北海道内にとどまることなく、さまざまなフィールドで活躍をしています。そしてこの6カ年コースが1994年にスタートしてから、今年で30周年を迎えます。この大きな節目の年に入学するみなさん一人ひとりが、次の時代を切り開く希望に満ちた存在として活躍することを心から願っています。
 新入生のみなさんは、札幌光星での新生活の中で、特に何を楽しみに入学したでしょうか。教科書を使わない光星独自の探求的学びであるルクスプログラムでしょうか。フレンドシップミーティングやサマースクールなどの宿泊行事でしょうか。運動系や文化系の中から自分が興味のある活動に取り組むことができるサークル活動でしょうか。学校祭やスポーツデイ、遠足や芸術文化発表会などの行事でしょうか。それともたくさんの英語体験や異文化交流ができるイングリッシュキャンプや海外研修旅行でしょうか。これから始まる6年間の学校生活のすべての学びが、一つ一つ凝縮したものであり、それぞれの体験がみなさんの人間性に深い味つけをし、連動し、大きな財産を築いていくこととなります。みなさんは今日この瞬間からすべての学習、すべての行事、すべての出会いに心を開き、すべてを吸収し、自らの成長の糧としてください。
 そして、そのような日々の積み重ねの延長に、その先の大学進学という大きな目標に向かってチャレンジする力を着実に備えていくのです。この春に卒業したみなさんの先輩方も、6年間を通し、札幌光星の生徒としてのプライドを身に着け、自らが希求する将来をしっかりとイメージし、夢を叶えるに相応しい進路へ、勇気をもってチャレンジしました。そして東京大学、大阪大学、東北大学、神戸大学、北海道大学など難関大学に現役での合格を果たしました。努力をし、目標である大学に合格することは素晴らしいことです。しかし、それ以上に大切なことや見失ってはいけないことがあります。それは、人として大切なことが何かを「知ること」、そして大切なことのためにブレることなく「行動すること」、さらには大切なことへの自分の解釈が間違っていないかを周囲の人に誠実に「聞くこと」です。あなたの人生は、あなただけのものではありません。世界中の方々の幸せのためにあなたの人生が大切に豊かに扱われなければなりません。謙虚さを身に着け、多くの人の幸せのために働ける人となってください。
 札幌光星学園は、昨年、カトリックミッションという共通の教育理念で運営されている上智大学と高大連携契約を結びました。今後は、上智大学のさまざまな教育資源の提供を受け、これまでのルクスプログラムに代表されるような特色ある札幌光星の学習のバリエーションがさらに広がっていくことになりますが、今日は、本校での生活を始めるみなさんに上智大学の新入生にも配付された「教皇フランシスコ15の言葉」という本から、いくつかの言葉を紹介します。これらの言葉には、教皇フランシスコの「あなたには幸せでいてもらいたい」との祈りが込められており、すべての人が心に留めておくべき生きる姿勢を示しています。これからの学校生活の中で悩んだり、つまずいたりした時などに、ぜひ思い出してください。
 一つ目。「自分の内面を読み解く」
 私たちの人生は、私たちに手渡された最も貴重な書物です。自分の人生を読み解く。自分の内面を読み解く。自分の歩みがどうであったか。穏やかな心で、ぜひ自分の内に入ってみてください。
 二つ目。「自分は唯一無二であることを忘れない」
 私たち一人ひとりは、唯一無二の存在であり、そのユニークさゆえに人から愛され、また人を他の誰にもできない形で愛するためにこの世に存在しています。交代要員のようにベンチに座っているのとは違います。世界に一つしかない。自由な存在で、愛の物語、神様との愛の物語を綴るためにこの世に生きているのです。
 三つ目。「自分自身を笑い飛ばすことを学ぶ」
 ナルシスト(自己愛のつよい人)は、常に鏡の中の自分を見ています。でも、たまには鏡を覗いて自分のことを笑い飛ばすことをお勧めします。自分自身を笑い飛ばすこと。いいことだと思いますよ。
 四つ目。「健康的な『落ち着きのなさ』を生きる」
 さまざまな願望や志を抱きながら、決して「自分は到達した」と感じられないその落ち着きのなさこそ、常にあなたを前進させていきます。大人になりたくないピーターパンのように、世界から孤立して自分の部屋に閉じこもっているのではなく、常に開かれた、勇気のある人でいてください。
 五つ目。「人と共に歩む」
 一人で歩くのはよくない。よくないし、それにつまらない。コミュニティーで、友人と、あなたを愛する人たちと一緒に歩みなさい。そして、転んでもまた立ち上がる。失敗や転倒を恐れてはいけない。歩く技術で大切なのは、「転んだままでいない」こと。
 最後に「あなたは最高の運命にあることを忘れないでいてください」
 神さまは私たちに最高を願っておられます。私たちに幸せでいてもらいたいのです。際限のない幸せ、そしてそのために利息を要求なさいません。イエスのしるしには下心や見返りのスペースがありません。神さまが私たちの心に残してくれる喜びは、満ち足りた無償の喜びです。それは水で薄めた喜びではなく、私たちを新たにしてくれる喜びなのです。
 本日入学されたみなさんには、本校での6年間の中で、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、自分自身の優位性をひけらかすことなく、自分の持てる力や才能を、それを必要とするすべての方に惜しむことなく差し出すこと、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くし、社会に貢献できる大人へと成長しなさいということです。「人にしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という聖書の教えの通り、札幌光星は、常にそのような姿勢をみなさんに求めます。他者との関わりによってしか、自分の幸福の実現に至る道が開かれないことを知り、他者のために尽くすことを歓びとする人になってください。札幌光星は、みなさんがその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解、御協力をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、まだ12歳のお子様を遠くの学校に通わせること、あるいは親元から離し、寮生活をスタートさせること、何かと御心配なことも多いかと思います。担任副担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。本校は「学校は楽しいところ」をモットーとしております。どうぞ安心してお子様を送り出してください。多くの仲間との関わりの中で、人間味豊かに成長していく姿を毎日楽しみに送り出してください。これから6年間の御支援と御協力を重ねてお願いいたします。
 新入生のみなさん。みなさんが6年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しております。

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