札幌光星中学校・札幌光星高等学校

校長メッセージ

自ら社会を照らす「光」となり 平和で豊かな未来を創るリーダーを育成

学校法人 札幌光星学園 札幌光星中学校 校長 札幌光星高等学校 校長   駒井 健一郎

札幌光星は、「徳育は知育に勝る」というメッセージも発し続けます。校訓「地の塩 世の光」(マタイによる福音書第5章)が生涯にわたり実践されるよう若く柔軟なみなさんに提供されるすべての学びが、将来、平和で豊かな社会を作り上げるために用いられることをイメージしながら、本校の教育プログラムを厳選しています。このようなことから本校の進路指導において「大学はゴールではない」という言葉が繰り返し生徒へ伝えられるのです。
本校へ集まる生徒たちは、進路に高い関心を持ち、探求し、主体的に学習に取り組んでいます。また、強い正義感と優しい心を持つ生徒が多く、仲間を大切にしながら生徒会活動や部活動にも積極的に取り組み、学校全体が活気に満ちています。私たちは「学校は楽しいところ」というメッセージも大切にしています。毎日の学校生活が健康的で希望に満ちていればこそ、様々な苦難に立ち向かう勇気が与えられます。また、一人ひとりを支える先生や仲間がいつもそばにいてくれるという安心感は、自分もまた他者を大切にしようとする心を育みます。
本校での学びを通し、「普遍の価値観、恒久の倫理観」を備え、真の「エリート」として社会を照らす「光」となることを強く願っています。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        

全校集会の挨拶

冬休み明けの全校集会  2021年1月15日

 みなさん、明けましておめでとうございます。
 まずはじめに、山﨑神父様からみなさんに次の聖書の個所を読み聞かせてくださいと託されましたので朗読します。
 新約聖書「ローマの信徒への手紙」第12章 14節~21節です。

 あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。だれに対しても悪に悪を返さず、すべての人の前で善を行うように心がけなさい。できれば、せめてあなたがたは、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。「あなたの敵が飢えていたら食べさせ、渇いていたら飲ませよ。そうすれば、燃える炭火を彼の頭に積むことになる。」 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。

 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。互いに思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わりなさい。自分を賢い者とうぬぼれてはなりません。」
これは、私の好きな聖書の一節でもあります。仲間が成功したとき、私たちは一緒に喜びます。悲しんでいるとき、ともに悲しんで祈ります。
 すべての人と互いに平和に一致するための鍵は、へりくだることです。弱い立場の人、困っている人、身分の低い人に心を合わせることです。能力があって活発な若い人も、年老いて、あるいは健康上の問題で自由に外に出て行くことができない人も皆、尊ばれ、優しくされ、愛される社会を築くためには、皆がおごり高ぶることなく、いつも他者に心を合わせることです。そのことによって、私たちはへりくだることができ、すべての人と互いに平和に一致することができるのです。

 あらためまして、この冬休みは、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため、みなさん、ご家族の方々、関わるすべての方々の健康・命を守るため、学園寮を早く閉め、部活動を停止し、冬期講習も短縮や中止をし、年明けの6年生の直前講習もオンラインで実施するなど、例年よりも学校の活動を大幅に縮小しました。こうしたみなさんの協力のおかげで、本日から予定通り学校を再開することができました。今朝もみなさんと正門で元気に挨拶を交わすことができ、嬉しかったです。また、正門前の横断歩道で転倒したおじいさんを助けている女子生徒がいると信号待ちの運転手さんが教えてくれました。みなさんの優しい行動に清々しい気持ちになりました。
 各ご家庭でも今年は年末年始を「巣ごもり」し、じっと我慢の時を過ごしたことと思います。この状況が早く回復することをお祈りします。私もほとんどを自宅で過ごしていましたが、この年末年始にもっとも心に残った出来事は、箱根駅伝の最終区間での大逆転でした。往路4区からの首位を守り、最終10区にタスキをつないだ創価大学から遅れること3分19秒で出発した駒澤大学が、ゴールまで3kmを切ったところでの逆転は、改めて最後まで諦めないことの大切さを教えられました。私の趣味がマラソンでもあり、この二つの大学のアンカーの走りを記録から分析しましたが、優勝した駒澤大学の選手は、最終区間23kmを1時間9分12秒で21選手中最速で走り抜けました。一方、創価大学の選手は1時間13分23秒でした。その差4分11秒。3分19秒差でタスキをもらい、52秒の差をつけてゴールをした駒澤大学の選手の快走に心から称賛を送りたいと思います。しかし二人の記録の1kmごとの平均タイムは、駒澤大学が3分ジャスト、創価大学が3分11秒とわずか11秒の差、100mごとの平均タイムでは、駒澤大学が18秒、創価大学が19秒、わずか1秒のしか差がないのです。ちなみに一般的おじさんランナーの私が23kmを一生懸命に走っても、1km約5分、100mを30秒前後かかり、創価大学の選手から40分以上遅れてのゴールです。二人ともトップアスリートに相応しいレースをしたのです。もちろん、終わってしまった勝負に「もしも」はないのですが、もしも創価大学の選手が、優勝への重苦しいプレッシャーから解放され、あのレースで100mにつき0.5秒ずつ速く走ることができていたならば、計算上は駒澤大学に1分24秒差で勝っていたのです。まさしく二人とも大学日本一を競うに相応しい素晴らしい戦いをしたということです。
 箱根駅伝という長距離を走る若者たちのあこがれの舞台に立つため、365日、必死で練習を積み、それでも本選への出場がかなわなかった多くの大学。本選出場を果たしても選手として走ることができなかったたくさんの学生。箱根路という晴れの舞台に立ち、レースに勝った人、負けた人。そこにはテレビの画面に映し出されていた何十倍ものドラマがあり、選手一人ひとりにとってかけがえのない財産が残ったはずです。
 6年生のみなさん、明日はいよいよ「晴れ舞台」です。みなさんがプレッシャーから解放され、日頃の練習の成果を十二分に発揮することができるよう、心からお祈りします。紹介した箱根駅伝の勝負のように、第一志望を目指しているみなさんは、それぞれが尊い努力を積み、今は本番で100mにつき、0.5秒速く走るための最終のコンディション作りをしているところなのです。ですから、自信をもって大勝負に臨んでください。真剣勝負の先に必ず人生の財産が蓄えられます。
 今年をスタートさせていくにあたり、もう一度、山﨑神父様が紹介してくださった聖書の一節にある「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」について考えてみましょう。何か思い通りにいかない時、誰かへの恨みや妬み、諦めなどの感情が自分自身の成長につながるでしょうか。みなさんには、この学校でそれぞれの目標に向かってベストを尽くし、その姿をお互いに認め合える関係を築いてほしいです。ありがとうございました。

クリスマス祈りの集い・冬休み前の全校集会  2020年12月17日

 今年度多くの6年生がチャレンジした世界遺産検定において、合格者213名、合格率92.2%という素晴らしい成績を収めたということで、NPO法人世界遺産アカデミーから「団体優秀賞」を受けました。6年生のみなさん、おめでとうございます。表彰状は生徒玄関ホールに飾っておきます。
 では、今日の話を始めます。
 その年の世相を漢字一文字で表す師走恒例の日本漢字能力検定協会主催「今年の漢字」が今週の月曜日に発表され、26回目となる今年は「密」(ミツ、ひそか)に決まりました。京都・清水寺で力強く「密」の字が墨で書かれたニュースを見た人もいたのではないでしょうか。この字を書いた森清範貫主は「密という字には『親しむ』という意味も込められています。今は物理的には離れなければならないが、心はさらにしっかりとしたつながりをもっていきたいものです」と話されていました。それより2週間ほど前の今月1日に、その年話題となった新語・流行語を決定する『2020 ユーキャン新語・流行語大賞』が発表され、年間大賞に「3密」が選ばれました。選考委員の一人で言語学者の金田一秀穂さんは「“3密”の“3”は健気な日本語である。結婚条件としての“3高”。大変な肉体労働を表す“3K”。いくつかある大切な項目をまとめる言い方が日本語にはあって得意技ともいえる。この悲劇的厄災の中にあっても、日本語はその特性を発揮して注意すべき心得をまとめて表し、予防を喚起した」と評した。という記事を読みました。
 国内ばかりでなく、世界中が新型コロナウイルス感染症に振り回された一年になりました。カトリック福岡教区のヨゼフ・アベイヤ司教様は、「今年、コロナ禍でよく耳にした言葉にpandemic パンデミックがありました。パンデミックとは、国境や大陸を越え、世界中で感染症が流行すること。世界流行、世界的流行とも訳されますが、語源は、ギリシア語のpandēmosで 、panは『全て』、 そしてdēmosは『人々』、という二つの言葉が合体してできた言葉です。世界中のすべての人々に広く及ぶものという意味が、パンデミックであるならば、『愛』がすべての人に及ぶものであってほしい。そういう意味でのパンデミックに世界中がなってほしい」と話されました。
 人類は600万~700万年ほど前に誕生し、これまでも幾多の困難を克服し、地上を統治しています。そして今回の危機も世界中の医学の英知を結集させ、来年のどこかのタイミングで人類がこの危機から脱出できることを強く願っています。ただその際に危機の乗り越え方がこの先の人類に大きな影響を残すかもしれないということを、注意して観察しなければなりません。そのことを話題のCMのセリフで表現するならば、「そこに愛はあるんか 信じられる愛はあるんか」ということです。
 ワクチンが一握りの開発国で供与され始めました。経済力のある一部の国で全国民分のワクチンの確保が進む一方、今なお、公衆衛生の不備から感染爆発を食い止めることすらできずにいる国や地域があります。あるいは、同じ国の中でも何らかの格差によって等しく医療を受けることが困難な地域もあります。この問題は、人類にあたえられているたくさんの課題の中のほんの一部にすぎません。そして、例えば環境問題という大きなテーマに照らしてみても同じような危惧が存在することは、みなさんにも理解できるはずです。自分さえよければいい。経済力のあるものが優遇されることは仕方のないことだ。本当にそれでいいのでしょうか。人類がパンクしそうな勢いで膨張し続けている今こそ、人類が共生する方法を真剣に考えなければなりません。何の疑いも持たずに情報の洪水に身を任せているだけでは、自分で自分の身を守ることはできないでしょう。みなさんには全力で情報の洪水から抜け出し、岸に上がり、沈黙し、静観し、確信を持って決断するための時間が必要です。
 もちろん、6年生にとって直前に迫った進路決定のために全力を尽くすことは大切なことですし、先生方もみなさんを全力でサポートします。そういった日々の生活で一人ひとりに求められていることに全力で取り組むことは大切なことです。それと同時に、世界の大きな変化の中でこれからをどう生きていくべきなのかを沈黙のうちに深く考えることも大切です。沈黙のうちに考えることと孤独とは違います。自分自身と対話し、周りから受けた愛情ある言葉や行動の何が自分に響いたのかを感じること。そして今度は外に目を向け、それぞれの心に響いたものを多くの人々と分かち合う方法を考えること。私たち人類は、自分たちの行いが、いつも「愛」を前提とし、その行いが価値あるものであると確信し、全世界に伝えていく責任を負っています。クリスマス祈りの集いにあたり、神様がイエス様をこの世に遣わしたというメッセージについて、私たちがどう受け止めるべきかを考えたいものです。
 明日からの冬休みが、みなさんにとって、そしてみなさんのご家族にとって健康で幸せなものであることをお祈りいたします。
 6年生の皆さん、この先の戦いは決して一人ではありません。みなさんがみなさんらしく胸を張ってこの戦いに臨めるようお祈りいたします。

光星学園寮6年生のためのみことばの祭儀  2020年12月5日


 今日は、3年間、あるいは6年間の寮生活に区切りをつける日となりました。親元を離れ、札幌という大きな街で生活することへのたくさんの不安と、でもそれを上回る自分への大きな期待を胸に寮生活を始めた日から、いろいろなことがあり、恐らくは思い描いた通りではない月日が流れ、今日を迎えていることと思います。世の中の情報化が急激に進み、人付き合いが疎遠になり、生身の人間と正面からぶつかって何かを成し遂げる機会がどんどん減っていると言われる中、みなさんの寮生活は「アナログ」の時代そのまま。そして否が応にも仲間とかかわらなければ成立しない日々に、「俺のプライバシーはどこにあるんだー」なんてことをぼやいたりもしたはずです。ただ、どうでしょうか。思い描いた通りではなかったとしても、自分を褒めてあげられる、長い人生の中で自分の成長を支える財産を築いたと評価できる寮生活だったのではないでしょうか。そして普段離れているからこそ、親御さんや兄弟・親戚・地元の仲間などとの繋がりや愛情を、より強く実感することができたのではないでしょうか。この感覚は自宅生には、なかなか身につきにくいものです。こんな偉そうに話している私でさえ、心から両親に感謝できたのは大学を卒業し、就職をした春のある出来事だったと記憶しています。初めて家を出て、一人暮らしをすることになり、引っ越しを手伝った母が、おせっかいなくらいに日用品を買いそろえ、その置く場所まで細かに指示し、一週間分の食材まで冷蔵庫に入れて、「あとは頑張りなさい」と言って帰る際、近所の地下鉄の駅の入り口までその背中を送った時、急に「じわーっ」とこれまで気づかなかった感謝の思いが体中から溢れかえって、涙が止まらなかったものです。きっとみなさんには、ここでの寮生活を通し、どこかの瞬間に、きっとそんな感覚が心に刻まれているはずです。そして、お金やモノや部の実績や学力などでは支えきれない「何か」、「私」をこんなにも「ふわっ」と、でも「しっかり」と支えてくれ、守ってくれている「何か」に、言い尽くせないだけの感謝をしているはずです。どうぞ、その「優しい」気持ちを大切に、ここで「強くなれた」自分を大切に、これからの人生を自信をもって歩んでください。そして「われらが母校」は、いつでもみなさんが帰って来ることを楽しみにしています。嬉しかったこと、つらかったこと、いや何もなくてもいいんです。札幌に戻ったら学校や寮に顔を出してください。いつでも待っています。みなさんの門出を心からお祝いします。そしてこれからの活躍を心から祈っています。ありがとうございました。

11月全校集会  2020年11月25日

 札幌市での新型コロナウイルス感染症の急拡大の影響で、昨日は「Go To トラベルキャペーン」から札幌市が一時的に外れ、多くの学校で学級学年閉鎖や休校の措置が取られるなど、予断を許さない状況が続いています。そんな中、本校でも昨日から時差登校を始めました。連休中から気温も低く、教室の換気も大変でしょうが、感染を予防し、拡大を最小限に食い止めるために、皆さんの協力をよろしくお願いします。そして、感染防止のために自宅待機をしてくれている多くの仲間が、一日も早く日常を取り戻せるよう祈りましょう。もう繰り返す必要がないかもしれませんが、今の状況はいつどこで感染してもおかしくありません。犯人探しや誹謗中傷は自分自身の弱さをさらすだけの悲しい行為です。自分自身も誰かを感染させるかもしれないという危機感をもって、そうならないよう、すべての命を守るため、今できることを徹底して守りましょう。そして、この瞬間も病に苦しむ人のため、身を粉にして働いてくださっている医療関係者の皆様への感謝を忘れず、世界中が笑顔を取り戻せるよう祈りましょう。

 札幌光星の生徒は、この状況をしっかりと理解し、ふさわしい振る舞いができる人ばかりです。これは、根拠のないお世辞ではありません。今月8日から5年生が無事に修学旅行に行くことができました。全校生徒のみなさんの協力で出発までに感染症の影響が大きく出なかったことで、楽しい修学旅行を実施することができたのです。そして、旅行中の5年生の態度も大変立派でした。広島空港のJALのスタッフの方々が、「あれだけ多くの生徒が列を乱さず、大きな声を出したり、ふざけることもなく、整然と短時間で搭乗手続きをしていった。こんな学校があるのですね」と、後日、本校のことを話題にしていたと聞かされました。これが光星です。この先も「光星プライド」を大切にし、この苦しい状況を優しい心で一丸となって乗り越えていきましょう。

 さあ、定期試験一週間前です。学習に落ち着いて取り組み、みなさんが試験で実力+αを発揮できるよう心から応援しています。頑張ってください。

二学期始業式  2020年10月5日

 4日間の秋休み、十分にリフレッシュすることができましたか。全道大会に臨む部は、練習や大会で忙しく過ぎ去ったことでしょう。また、6年生にとっては受験へ向け、昨日も学校での模擬試験に100名近くが熱心に取り組んでいました。一人ひとりがベストを尽くし、自分自身の限界を超えられるよう、みなさんの奮闘を心から応援します。

 さて、今日は午後から脳科学者・茂木健一郎さんの文化講演会があります。茂木先生のことを少しだけ知ってもらうために、先生のオフィシャルブログ「クリオア日記」の紹介をします。
 先月、9月1日に更新された内容です。タイトルは、「クイズ番組をやるんだったら、フェアにやってほしい。」です。
 
 「東大王」などの、東大生がフィーチャーされているテレビ番組の問題だけど、やっぱり、ダメなところの本質は「東大」ということを特別扱いしてブランド化しているところに尽きる。
 人工知能の時代に今更クイズかよ、というツッコミは当然あるわけだけど、頭脳スポーツとしてのクイズは別にあってもいい。それは、アルファゼロが圧倒的に強いけど頭脳スポーツとしての将棋や囲碁はいぜんとして意味があって隆盛しているのと似ている。
 ただ、その時に、当然ゲームとしてフェアで開かれていないといけないわけで、「東大」だろうが、どこの大学だろうが、そもそも大学行っていなかろうが、オープンに参加して競えなかったら、そんなのスポーツじゃなくて談合だろう。
 「東大王」みたいな番組は、小学生とかが見ていて、影響力が大きいから、「東大」が特別だというような番組づくりや演出は、本当に罪が重いとぼくは思っている。公共の電波をつかってやることじゃない。クイズ番組をやるんだったら、フェアにやってほしい。
 ぼくがかつてかかわった高校生クイズは、どの学校も同じレギュレーションで参加して競い合っていた。もちろん、開成とか強かったけれども、同じ土俵の上でのことだから、県立の星とか、いろいろな下剋上があって、それは楽しかったし、そこには大切なメッセージがあった。

 みなさんご存じの通り、茂木先生は東京大学の出身です。みなさんはこのブログをどう感じましたか。「東大出身なのにこんなブログを書くのか」、逆に「東大出身だからこんなブログが書けるのか」。感じ方は人それぞれでしょう。
 ただ、私はこんな風に感じました。みなさんは、この学校を受験する際に、本校の学校説明会などで、あるいは進路学習などで、「大学がゴールではない」というメッセージを何度も聞いたと思います。私は、今日紹介したブログとこのメッセージ、何かが重なるなと感じたのです。
 東京大学に合格することは、確かに高い学力と相応の努力を必要とします。しかし、そのことと「東大はすごい」「東大生にはかなわない」というクイズ番組の宣伝効果に踊らされた一般論とは、何かが違うということを感じ取ってほしいと思います。ブログの最後にある「いろいろな下剋上があって、それは楽しかったし、そこには大切なメッセージがあった」これこそが真実ではないでしょうか。これからいろいろな戦いを控えているみなさん、たとえ目の前の敵が手ごわくても、戦う前から気持ちで負けることなく、下剋上を信じ、ベストを尽くしてください。

一学期終業式  2020年9月30日

今日は、8月29日に私宛に送られてきた手紙を紹介します。

駒井健一郎学校長殿
 突然のお手紙お許しください。日頃より教育に貢献されていることに心より敬意を表します。さて、実は先日ある飲食店にて、貴校の学生さんと思われる三人の男の子の振る舞いに大変感銘を受けましたので、差し出がましいとは存じますが、ご報告させていただきたく存じます。
 そのお店はカウンターだけの席で、お昼時でそれなりに混雑しておりました。私が入店した時には、すでに三人さんは食事を終了する頃でした。私が注文を待っていると、三人組は食事を終え食器を下げやすいように重ねて寄せてテーブルを綺麗にして、隣に座って先に店を出て行った他人の座りっぱなしのイスをちゃんとカウンターに納めて、もちろん自分たちのイスもきちんとしまって、大きな声で「ごちそうさまでした」と三人声をそろえて言って出ていきました。貴校の近くでもあり、土曜日でしたので、授業後か、部活の後か本人方に直接確認はしておりませんが、服装、持ち物からして恐らく貴校の学生さんだと思われます。近頃の若い方々は・・・云々言われているご時世ではありますが、それはそれはすがすがしく、気持ちよく、美味しい食事の時間となりました。
 これもひとえに、貴校の日頃の教育の賜物と感じております。私も人の親ではありますが、本来であれば親が礼儀作法など教えなければならないところを、今は学校にゆだねている。そんな気がしてなりません。本当にお恥ずかしい限りです。今後とも勉強だけではなく、この三人組のような人としての気持ちのいい学生さんを一人でも多く輩出していただきますよう心よりお願い申し上げます。大変なご時世ではございますが、貴校の益々のご発展をお祈り申し上げます。
札幌光星学園のファンになりました者より

 みなさんは、この話を聞いてどう感じましたか。何気ない、見過ごしてしまいそうな出来事のようにも感じられます。でも、こうしてお手紙を書かずにはいられないほどに心が動かされた人もいる。誰かに見られているからするのではなく、いつもしていることが、あたりまえのこととして振舞った自然な光景が感動を与えたのだと思います。
私も今年度から校長として、正門で朝の挨拶をしていますが、みなさんの清々しい「おはようございます」に、毎朝たくさんの元気をもらっています。先週の吹奏楽部の朝の演奏も、私の全身に染み込み、心地よく響いていました。本当に素敵な時間をありがとうございます。誰にでも平等に与えられている1日24時間を、笑顔で送ることができる瞬間が多いということは幸せなことです。マクドナルドの「スマイル0円」というメニューの話ではありませんが、みなさんの笑顔、そして真心から出るスマートな振る舞いは、世界中を幸せにするパワーを持っています。これからもたくさんの人にそのエネルギーを与えていってほしいと思います。
 以上で、私からの挨拶を終わります。

夏休み明けの全校集会 2020年8月18日

 少し短めの夏休みが終わりました。心身ともに疲れを癒し、リフレッシュすることができたでしょうか。多くの6年生が夏休み最初の一週間、暑い中を朝から学校に通い、熱心に講習に参加していました。また、講習が終わっても先生に質問をしている姿に皆さんの意気込み感じました。新チームになった部活動もいい汗を流していました。それぞれが次の戦いに向けて有意義な時間を送ったと思います。心配していた感染症の拡大も、北海道は今のところ何とか持ちこたえているようです。しかし、いくつかの地域に目を向ければ、誰がいつどこで感染してもおかしくない状況です。ただ、必要以上に恐れるばかりではなく、これからも、自分たちができる予防を冷静に粘り強く続けていきましょう。
 今年はいろいろなことが制限され、様々なイベントが中止や延期、縮小を余儀なくされています。このような中で夏休み中に気になったことは、戦後75年にあたる今年の広島と長崎の原爆の日や終戦の日の扱いもまた小さかったということです。皆さんがそうであるように、私も第二次世界大戦を経験していません。今では皆さんのおじいさん、おばあさんでも戦争を経験した方は少なく、曾おじいさん、曾おばあさんでなければ、戦争の恐ろしさを直接語れる方に巡り合えないかもしれません。
 しかし、この国から戦争を体験した人が年々減ることと、戦争の恐ろしさを知り、戦争を簡単に選択してはいけないという信念をもって生きる人が減ることが同じであってはなりません。体験していなくても今から75年前にこの国に暮らす全ての人が心身ともに脅かされた、二度と繰り返すことがあってはならないあの戦争のことは、多くの記録や証言から学び、未来へ引き継ぐことができます。そういった過去を振り返る機会を持ち続けること、伝え続けることが私たちの使命のはずです。
 先週、NHKで長崎のカトリックの修道士、小崎登明さんの特集番組がありました。彼は、長きにわたりアウシュヴィッツ強制収容所で死亡した聖人・マキシミリアノ・コルベ神父の研究をし、多くの著書を出版しています。コルベ神父様のことを皆さんは宗教の授業で教わりますので、今日はこれ以上触れませんが、彼の生涯もまた戦争の悲惨さや虚しさを我々に学ばせてくれます。小崎さんは長崎に原爆が投下された75年前の8月9日午前11時2分に三菱重工業長崎兵器製作所住吉トンネル工場で働いていました。あの日のことを小崎さんはこう語っています。「大きなドーンという音の後にトンネル内は原爆の強い風圧で停電になり、あたりは真っ暗になった。外から泣きながら入ってきた女学生の髪の毛が焼けてチリチリになり、顔が火傷でただれていた。外に出ると一面がれきの山、目玉と舌が飛び出したままの黒焦げの立ったままの死体、方々に呻(うめ)き苦しむ人々、地獄のような中を助けを求め、街を彷徨った。途中、橋が壊れ、川を渡って行こうとすると小学生に足をつかまれ、『助けてください』とお願いされたが、『もうすぐ警察か消防が来るから』と言って振り切って逃げた。建物が倒壊し、下敷きになった女性を大人に命令されて引きずり出し、板に乗せて駅まで運ぼうとしたが、途中で米軍の戦闘機が近づき、大人は女性を放り出して逃げ、自分もやられたくない一心で女性を置き去りにして逃げた。避難所へ行くと爆風の影響でお腹が裂けて血だらけの男性がいた。よく見ると同じ工場の先輩で、前の週に訳も分からず往復ビンタを何発も受けた相手だった。その相手に向かって自分は『ザマミロ、イイキミダ』と吐き捨て、見捨てた。これが、原爆投下の日の自分だ」と語った。しかし小崎さんもまた、幼少の頃に病気で父親が他界し、女手一つで病弱な小崎さんを育ててくれた母親を原爆で失っていた。あの朝、坂の上にある自宅玄関を振り返った時にやさしい笑顔で見送ってくれた母親は、爆心地から500mの自宅もろとも一瞬にしてなくなり、遺体すら発見できなかったのです。
 身寄りのない小崎さんは、長崎市内の聖母の騎士修道院を訪れ、そこでポーランド人の修道士に迎え入れられ、教会で生きていくことになりました。しかし、自分が戦争を通して体験してきたことの重さ、自分自身の原爆投下の日の心の弱さがいつまでも重くのしかかり、その体験を受け入れられるようになるまで、長い年月を費やし、母親の50回忌を機にようやく被爆体験を語る「語り部」の活動を始めたのです。
 第二次世界大戦での世界の死者数は6000万人から8000万人、日本の死者数は約310万人といわれています。いずれも当時の人口に対する割合は4%程度。こういった数字の紹介は戦争の恐ろしさの説明としてあまりにも軽々しく虚しいのですが、もう少しだけデータを紹介します。1945年の日本の人口は前年から100万人減少し、増加率も前年比-1.5%でした。もちろん我が国のことだけでなく、この戦争に巻き込まれたアジアの多くの犠牲者のことも忘れてはなりません。
戦争の悲惨さは、亡くなられた方はもちろんのこと、大切な人を失った方にも、自由に生きることを認められなかった方にも、深い傷を残しました。そう考えた時、国と国との争いである戦争を漠然と否定するのではなく、「すべての命を守る」ために、目の前の身近な人を大切に扱い、一人ひとりの人生が笑顔であふれるよう願い、支えあい、誰もが傷つけあわず、人として尊重しあう。そのような心の集合が「平和」を実現させるという強い意志で戦争を自分事として否定してほしいのです。
 戦争の記録でも映画でも小説でもどんなかたちでも構いません。75年前の戦争を知る機会を持ってほしいと思います。戦争の瞬間に居合わせた為政者の考えから、そして抵抗できなかった人々の心の叫びから、今の私たちが「平和」を守るためにどう行動すべきなのか、どんな心持で生活していくべきなのか、目の前の相手を大切にするとはどういうことなのか、それぞれの立場で考えてほしいのです

夏休み前の全校集会 2020年7月31日

 明日から夏休みです。新学期から、大きな災難の中で、これまでに誰も経験したことのない日々を送り、本日に至っています。もちろん、世界中が困難と向き合いながら終息のために力を合わせていく日々は、いましばらく続くのですが、ワクチンの開発が予想よりも早く進んでいるというニュースもあり、4月頃の「何もわからない」という状況から、「少しは出口が見えかけてきた」という状況に移りつつあるのではないでしょうか。感染予防の知識も備わってきた今こそ、希望をもって、でも慎重に生活していきたいものです。
 学校再開から今日までの2か月間、新しい生活様式の中で、窮屈なこともたくさんあったと思いますが、皆さんの協力のおかげで、大きな問題もなく、落ち着いた学校生活を続けることができました。皆さんの協力に心から感謝します。ありがとうございました。明日から、例年より少し短い夏休みになります。おそらくは外出も控えめになることと思います。必要な我慢を甘んじて受け入れ、新型コロナウイルス感染症を「正しく恐れて」8月18日に全員で元気に再開できることを祈っています。
 話は変わりますが、私は大学生の頃、ケンタッキーでアルバイトをしていました。厨房で、さばかれたチキンを洗い、下ごしらえをし、秘伝のスパイスを絡めた小麦粉をつけ、圧力釜で揚げていました。今でも、バラバラのピースを組み合わせて、一羽に戻すことができますし、それぞれのピースごとの味の違いが分かります。ケンタッキーといえば、創業者のカーネル・サンダースさん。お店の前の白いひげの像は、日本でもっとも有名なアメリカ人のおじいさんかもしれません。
 サンダースは、1890年にアメリカ合衆国のインディアナ州で生まれました。幼くして父を亡くし、工場で働く母を手伝い、6才で料理を始め、7歳の時には焼いたパンが絶賛される程の腕前になっていたといいます。この時の感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というケンタッキーの理念につながっているそうです。サンダースは、家計を助けるため10才から働きに出て、農作業、市電の車掌、裁判官の助手、保険外交員など40種類もの仕事を渡り歩くなど、順風満帆な人生ではなかったようですが、30代後半に初めて経営者としてガソリンスタンドを始めます。40歳の時にはガソリンスタンドの一角を改装して、たった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きます。当時は、ガソリンスタンドの支配人、調理係、レジ係の全てを担当していたそうです。その後、カフェはケンタッキー州を代表する評判の料理を出す店となり、その功績が認められ、45歳の時に州知事から「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号を授かり、ここから「カーネル・サンダース」と親しまれるようになりました。彼の本名は、ハーランド・デーヴィッド・サンダースと言います。しかし、彼の会社はその後もバイパスが出来て交通量が減ったせいでガソリンスタンドをたたむことになったり、大恐慌や大干ばつの影響で農家のお客さんが来なくなり、一時倒産したり、元通り再建しても火災に遭ったりと、何度も試練を受けましたが、そのような苦労の中で粘り強くカフェを続け、完成したのが、今も多くの人に愛される秘伝のオリジナル・レシピの“11のスパイス”でした。しかし、すでに65歳をこえ、いまだに借金を多く抱えていたカーネルは、なんと70歳手前にして車1台で全米中を走り回り、フライドチキンのノウハウをレストランで実演し、フランチャイズ契約を取る旅に出ます。もちろん始めは、おじいさんの飛び込み営業がそう上手くいくはずもなく、お断りされたレストランは1000軒を越えたそうです。しかし、諦めることなく、なけなしの年金でガソリンを買い、車の後部座席で夜を過ごし、翌朝再び営業にいくという不屈の精神で努力を重ね、73歳の時には600以上のレストランと契約を結ぶ大成功を収めました。その後カーネルは、経営権を譲り渡し、「味の親善大使」として世界中のケンタッキーフライドチキンの店舗を視察する生活を亡くなる90歳まで続けました。日本にも3度来て、日本のケンタッキーが一番おいしいと評価し、日本のことが大好きだと話していたそうです。
 カーネルは、こう言います。「私にはたった二つのルールしかなかった。一つは『できることはすべてやれ』、もう一つは『やるなら最善を尽くせ』だ。これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の道だ。」
 幼い頃に家族のために料理を作った経験から「おいしいもので人を幸せにしたい」というカーネルの想いの強さが、数々の困難を乗り越えるパワーとなったのです。
 6年生にとっては、「勝負の夏」になります。地域によって若干の差こそあれ、日本中のどの受験生にとっても不十分な学習環境の中で大学入試に臨むこととなります。私たちだけが不利な状況でないとすれば、先手を打つことができる者、発想の転換ができる者、そして諦めずに粘り強く挑戦する者に、より多くのチャンスが与えられるはずです。「ピンチはチャンス」です。どの人にとっても不十分な状況であればあるほど、自らの手で求めるものを掴もうとする意志の強い者が、確実にチャンスをものにすると思います。そして、そのようになるために必死になって払った努力が、その人間を真に大きくしていくと私は思います。
生徒のみなさん、カーネル・サンダースさんの言葉の通りに、ぜひ、「できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ。」で自分自身が納得できる夏休みにしてください。