札幌光星中学校・札幌光星高等学校

宗教講話2022

2023年(令和5年)2月22日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

おはようございます。皆さまいかがお過ごしですか。ロシアによるウクライナ侵攻から1年が経とうとしていますが今なお戦いの終結の気配もなく、多くの人が亡くなり続けています。また、2週間前のトルコ地震では5万人に近い人が命を落とし、数えきれないほどの人が家を失っています。皆さまは早速義援金の呼掛けに応じてくださっていて、とても素晴らしいことと感じました。これからも、平和のためにともに祈り働き、助けを必要としている人のために行動を起こせる人になれるよう、励まし合っていきましょう。 
今日の宗教講話では年間行事予定表の今日2月22日のところに記載されている「灰の水曜日」の意味などのお話しをいたします。まず最初に、旧約聖書に収められている『詩編』と呼ばれる書物の51番目の詩から一部分(1~14節)をお読みします。幸いに皆さんのお持ちの新約聖書には巻末に、元々は旧約聖書に所収の詩篇全150編も収められていますので、(詩)50~51ページのところを開いてみてください。

① 聖書の言葉

神よ、わたしを憐れんでください 御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。

あなたに背いたことをわたしは知っています。
わたしの罪は常にわたしの前に置かれています。
あなたに、あなたのみにわたしは罪を犯し 御目に悪事と見られることをしました。
あなたの言われることは正しく あなたの裁きに誤りはありません。

わたしは咎のうちに産み落とされ 母がわたしを身ごもったときも 
わたしは罪のうちにあったのです。
あなたは秘儀ではなくまことを望み 秘術を排して知恵を悟らせてくださいます。
ヒソプの枝でわたしの罪を払ってください わたしが清くなるように。
わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように。
喜び祝う声を聞かせてください あなたによって砕かれたこの骨が喜び躍るように。
わたしの罪に御顔を向けず 咎をことごとくぬぐってください。
神よ、わたしの内に清い心を創造し 新しく確かな霊を授けてください。
御前からわたしを退けず あなたの聖なる霊を取り上げないでください。
御救いの喜びを再びわたしに味わわせ 自由の霊によって支えてください。

② 話し

『詩篇』という書は紀元前10世紀ごろから長い年月をかけて編纂されていった詩を集めた書です。イスラエルの民族が個人的にあるいは集団として体験した出来事を通して吐露された神様への叫びや祈り、異国の支配からの解放や罪からのゆるし、あるいはさまざまな困難や戦いの終結と平和を求める切なる願い、あるいは神様への感謝や賛美の思いなどが、詩の形で表現されたものです。その多くは紀元前10世紀にイスラエルの2代目の王となったダビデ王の作、あるいは彼の子で3代目の王となったソロモン王の作と言い伝えられています。今読んだ詩篇51編にも、ダビデがバト・シェバと通じたので預言者ナタンがダビデのもとに来たとき、という但し書きが付けられています。
そのダビデ王ですが、彼はイスラエルの歴史の中で人々に最も愛された人物の一人に数えられると思います。まだ少年だった彼が、自分たちの国王と兵士たちを恐れさせていた敵軍のゴリアテという名の巨人兵を石のつぶて1個だけで打ち倒した話しはよく知られており、これまで多くの絵画彫刻の題材になっています。また、優れた知恵と勇気とリーダーシップで他国との争いのたびに武勲をあげていき国中にその名が轟いていったこと、また容姿にも恵まれていたこと、さらに自作の詩を自分で奏でる竪琴の音に合わせて朗々と歌う才能にも恵まれていたことなど、多才な人物として有名です。彼は王として国をよく統治するように神から使命を与えられていると自覚し、その役目を果たそうと熱心に努めました。
そんな彼もあるとき大きな過ちを犯しました。ウリヤという名の家来の妻バト・シェバに心惹かれ自分のものとしました。それだけでなく、その夫を前線に送り出し、敵軍に囲まれて死ぬように仕向けてしまったのです。この許しがたい非道な行為に対し、預言者ナタンは神から厳しい罰が下されると告げます。ダビデは自分のしでかしたことを深く悔い、戸を閉じて引きこもり、断食し、地面に身を横たえて、神の許しを願い求めました。このエピソードは旧約聖書のサムエル記下巻11章以下に記されていますが、そのときの、罪の許しを願うダビデの心情を詩の形で表したのが先ほど読んだ詩篇51です。この時、深く悔いて神の許しを真摯に願い求めたダビデ王に、預言者ナタンを通して神からの許しとダビデと子孫たちへの祝福が示されました。ちなみに、この詩編51篇は現在もカトリック教会では「教会の祈り」と呼ばれる祈りの中で、イエスの十字架場の死を記念する毎週金曜日の朝、唱えられ続けています。

 聖書には、このダビデ王に限らずいろいろな過ちを犯した後で、深く悔いながら、神からのゆるしを願って償いの業を実践する人が描かれています。ある人は自分の過ちを激しく悔い、着ていた晴れ着を破り、あるいはこれを脱ぎ捨てボロボロの粗布を身にまとい、何日も断食しました。ある者は頭からかまどの灰をかぶり地面に身を横たえ塵にまみれながら神からの許しを願い続けました。
「粗布をまとう」とか「断食する」、あるいは「地面に身を横たえ塵にまみれる」とか「灰をかぶる」という行為は、聖書の中では、神様の前に自分が弱く罪を犯してしまいがちな小さい存在に過ぎないものであることを謙虚に認める心の表れであり、罪を犯すことで塵や灰にまみれたような汚れた状態から清らかに洗い清めてくださることができるのは神様だけであるとの信仰心の表明でもありました。
キリスト教では、罪を犯し倒れているわたしたちを救い、立ち上がらせるために、イエス・キリストが十字架の苦しみを引き受けてくださったと信じています。また、復活されたお姿を通して罪や死によって消されることのない永遠の命への希望をもたらしてくださったとも信じています。

今日『灰の水曜日』にカトリック教会では灰を頭にいただく式が行われます。この日から始まるおよそ6週間に及ぶ四旬節と呼ばれる期間を通じて、自分自身の弱さや罪深さから目を背けず誠実に向かい合いながら、その状態からわたしたちを救うために、イエス・キリストが十字架上で死なれたこと、またその3日後に復活されたこと、などの意味をよく理解しかみしめることが出来るように、そしてイエス・キリストからのわたしたちへの愛に応えてわたしも利己主義の殻を破り、新しい自分に生まれ変われるようにと、祈りの内に決意を新たにするのです。

2023年(令和5年)1月20日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

 おはようございます。今日の宗教講話ではシャミナード神父のことについてお話しします。彼は1761年4月8日にフランス南西部のペリグー市で、洋服や生地を売る商人の13番目の末の子として誕生しました。そして、家の近くのカトリック教会に足繁く通う信仰心篤い母親の影響を受けて育ち、カトリックの司祭となりました。熱心な司祭として信徒たちの信仰生活のために活動し始めたばかりのとき、フランス革命の大混乱に巻き込まれ、命の危険にさらされながらも、神様への賛美のため、また人々の魂の救済のために男子修道会のマリア会などいくつかのグループを立ち上げ、これを支え励まし続けました。1850年1月22日に89歳で神様に召されて息を引き取るまで、彼は神を信じその意志に従おうと努めました。また、人々の心の底にある願い、社会からの要求に真摯に耳を傾け、これに誠実に応えようと努力し続けた人でした。
今日は最初に、「使徒言行録」2章44~47節までをお読みします。皆さんがお持ちの新約聖書では217ページにあります。

① 聖書の言葉
信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。
そして、毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである。

② 話し
 今読んだのは、紀元後33年頃と言われているイエス・キリストの十字架上での死からまだ1年も経っていない頃、エルサレムの町で誕生して間もない頃の、イエスの弟子たちと信徒たちの様子を描いた箇所です。イエス・キリストとその教えに反感を抱いていた人たちが多数生活する町で、彼の弟子たちはイエス・キリストを殺せと叫んでいた人々がいつその矛先を自分たちに向けるかわからない状況下にあって、恐れて閉じこもり口を閉ざすことをしませんでした。祈りの内に励まし合い、師であるイエス・キリストの教えた兄弟的愛にあふれた善意ある行動で外部からの不信や悪意に向き合っていこうとしました。

 シャミナード神父が生きていた時に起こったフランス革命の中で、王や貴族たち、教会や修道会の広大な土地、建物、財産が没収されました。多くの人たちが種々の権威からの解放を求め、教会や修道会や聖職者の存在に疑いを抱き、神への信仰に意味を見いだせなくなっていきました。王や貴族たちだけでなく、司教や司祭、修道者たちもしばしば殺されたりしました。フランスのあちこちで生きることの目的や意味を見失い、自分本位で道義的関心の薄れている人が多く見られるようになっていたと言われます。シャミナード神父が1800年頃に活動していた頃のボルドーの町も似たような状況でしたが、そんな逆境にあっても、シャミナード神父の胸には確信にも似た強い思いがありました。司祭や司教が呼びかけても冷たい反応しか返ってこないかもしれないけれども、人々が自由や平等に何よりも激しい飢餓感を感じている今だからこそ、どんな生まれや職業であろうとまったく差別されることのない、心をひとつにして喜びのうちに共に事に当たる、そんな信者のグループができたなら必ず人々の心に訴えかけられる、と。
 そのときに彼の確信の根っこにあったのは、先ほど読んだ新約聖書の使徒言行録1~2章に描かれている、聖母マリアを囲んで熱心に祈り、神を賛美し、男女・貧富の差もなくひとつの心ですべてを分かち合い、喜びをもっていっしょに食事している初代教会の信者の姿と、それを見て好意を寄せ仲間に入りたいと願う民衆の様子でした。1801年2月2日、彼は自分のところに集まった12名の青年たちに呼びかけて、「聖母会」と名づけた信者のグループを組織しました。
 シャミナード神父の勧めで誕生したこのグループは、初代教会の信者にならい、いつも聖母マリアと心をひとつにして祈り、静かに祈る黙想のときをもちました。あらゆる階層の人が一緒に集い、善意のうちに物を持ち寄り、必要に応じて分かち合い、教会外の困っている人たちのために喜んで差し出しました。家も家族も失い物乞いや犯罪でしか生きられない子どもたちに読み書きを教えるメンバーもいました。彼らの行う儀式や集会は決して秘密裏になされるようなものではなく、教会内から響く賛美歌の歌声はしばしば往来の人の足を止めさせました。グループの集まりでは参加者の自主性に敬意が払われ、レクレーションの機会ももたれていたようです。彼らの醸し出す積極的であたたかい雰囲気は、教会や信仰に無関心だった人たちの心をしだいに惹きつけていきました。聖母会の活動は、他の市にも広がっていきました。
 
 こうした信徒たちのグループから、いつしか結婚という道を選ばず、独身で共同生活を営む男女の修道会も生まれました。1816年5月25日には女性のための「汚れなきマリア修道会」が、1817年10月2日には男性のための「マリア会」が創立されました。それぞれに当時としては革新的な性格を持っていたようです。例えば、マリア会は次第に教育活動に比重を置いていきますが、創立後の早い段階から、シャミナード師の指導の下で、司祭の任務を果たす会員もそうでない会員も同じ権利と義務を持つ同一の修道者であり、教壇で教える会員も購買部や食堂で働く会員も、また事務や会計に従事する会員も何の差別もない、同じ修道者だとはっきりと打ち出していきました。
 また、世俗とは一線を画すような旧来の修道服ではなく、同時代の人たちが着る服装を着用しました。これは、司祭と信徒の間には大きな違いがあり、司祭と司祭でない修道者の間にもはっきりと違いがあると考えられていた当時のカトリック教会においてはかなり独創的な考え方でした。
 それは、シャミナード神父が、フランス革命以降、国中で響き渡っていた平等を求め新しい社会を作りたいという人々の声や、初代教会の信徒たちの中に生き生きとみなぎっていた兄弟愛の精神にインスパイアされることで生み出されてきたものだったと思います。シャミナード神父の生涯も彼の指導によって生まれた団体も、決して順風満帆の歩みだったわけではありません。しかし、彼は何か試練が生じるたびに、それが外からのものであれ内からのものであれ、神と聖母マリアへの祈りの中で歩むべき道を探りました。信仰において強固な人でした。また、いろいろと前例のないことに取り組みましたが、反対にあっても柔軟で忍耐強く臨機応変の人でした。また、基本的に人間を信頼し受け入れようとする人でした。

 彼は、18世紀から19世紀という時代に生きました。しかし、変動する社会の中にあって人はどう生きうるのかという問いかけに対するひとつの誠実な答えを示してくれていると思います。だからこそ、2000年9月3日、カトリック教会が彼に「福者」の称号を与えてくれたのでしょう。
 明日は福者シャミナード神父の没後173年目にあたります。皆さんは、これから先いくつもの試練や困難にぶつかるでしょうが、シャミナード神父の取りなしによって、辛抱強く進んでいけるようお祈りいたします。

2022年(令和4年)11月25日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

 おはようございます。今日の宗教講話ではイエス・キリストと出会いたいと強く願ったザアカイという人の話をします。まず「ルカによる福音書」第19章1節から10節をお読みします。徴税人ザアカイというタイトルがつけられている箇所で、皆さんがお持ちの新約聖書では146ページにあります。

① 聖書の言葉
 イエスはエリコに入り、町を通っておられた。そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。
そこを通り過ぎようとしておられたからである。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
イエスは言われた。
「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」

② 話し
 聖書にはさまざまな人物が登場します。『旧約聖書』の、アダムやエバ、アブラハムやモーセ、ダビデ王やソロモン王など、よく知られた人物もいます。『新約聖書』では、イエスはもちろん一番知られた人物でしょうが、イエスを育てたマリアやヨセフ、またイエスの弟子となったペトロやパウロなどもよく知られているのではないでしょうか。
 では今日取り上げたザアカイはどうでしょうか。ルカによる福音書のこの箇所にしか出てこないので、あまり知られていないかと思います。彼はエリコという町で徴税人の仕事をしており、しかもその頭であったと書かれています。当時のユダヤ人たちはローマ人の支配下に置かれており住民税や通行税などをローマ人に納める必要があり、それを徴収する役目を担っていたのが徴税人たちでした。彼らは、同じユダヤ人でありながら、同胞からお金を搾り取りローマ皇帝に納める売国奴・非国民と嫌われていました。また、規定以上の額を取り立てることで私腹を肥やす者もいて、金は持っていたとしても普通のユダヤ人は徴税人と親しく交際しようとはせず、心の中では軽蔑と憎しみを向けていたようです。
そういう人間関係の中で、ザアカイがどのような思いで生活していたのか気になります。周囲の人は金持ちの有力者として表面的には当たらず障らずの接し方をしていたかもしれませんが、真の友人、心から信頼し合える友人は彼の周りにはあまりいなかったのではないでしょうか。心の奥に孤独を感じて生きていたのではないでしょうか。
 そんなザアカイが住んでいたエリコの町にイエスが来ます。人々が噂しています。イエスがあちこちで行ったという病人の奇跡的な癒やしの数々や、悲しみと絶望の中にあった人々に生きる勇気をもたらした力に満ちた言葉のあれこれを。心の中に何か満たされないものを抱えているザアカイはそわそわします。

 会いたい、イエスの姿を一目見てみたい。

 でも、通りに並んでいる人たちは背の低いザアカイを見ても場所を譲ってくれません。イエスという人が近づいてくる様子なのに、人々の興奮した声がそれを教えてくれているのに、見ることが出来ません。自分のプライドを大事にする人なら、素知らぬ顔をして自分の家に戻るのでしょうが、彼は諦めません。まるで子供のように、近くにあったいちじく桑の木によじ登ります。必死です。
イエスが木の下まで来たとき、ザアカイの名を呼びます。イエスの方から声をかけます。
 
 あなたに会いたかったのだ、あなたの家に迎え入れてくれないかと。
 
 一途にイエスを求めていたザアカイの気持ちがイエスに届いたようです。ザアカイは大喜びで木から下りてイエスのところに走り寄り、イエスの手を取って我が家まで案内します。宴会を開いてもてなします。イエスを受け入れた彼は生き方まで変わります。自分が蓄えてきたものを誰かのために差し出せる人に変えられていきます。
その一方で、ザアカイを罪人のように見なして除け者扱いし、親しい友として受け入れることができなかった人々は、イエスとザアカイの出会いを祝福できず、結果的にザアカイの心を満たした喜びの輪に入ることが出来ませんでした。
 新約聖書には、このザアカイのように、周囲の人からどんなに嘲られても、うとんじられても意に介せず、一心不乱にイエスを捜し求める人たちが出てきます。マルコ5章25~34節に出てくる出血症を患っていた女性、マルコ10章46~52節のエリコの盲人バルティマイなどもそうです。彼らの叫びがイエスの足を止めさせます。イエスとの出会いが始まります。ちょうど1ヶ月後はイエスの誕生を祝うクリスマスです。本当の安らぎや解放や癒やしを、心の底から願い求めている人たちにイエスの方から近づいてくれる、そんな出会いの時が与えられたらいいなと思っています。

2022年(令和4年)10月25日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

おはようございます。日増しに冬が近づきつつありますが、元気に過ごせていますか。これからの季節、新型コロナウィルス感染症とインフルエンザの流行が重なる可能性も取りざたされています。どうぞ気をつけてお過ごしください。
 ところで、ロシアによる侵攻で始まったウクライナでの戦いは、平和を願う多くの人の切なる祈りにも関わらず、8か月経過してなお戦火が消える気配はなく、多くの人が命を落とし、傷ついています。
先月の宗教講話でもシスター江角ヤスさんのことに触れながら、平和について話しましたが、今日の宗教講話でも平和について少し考えてみようと思い、まず新約聖書のペトロの手紙第一の3章8~12節をお読みします。皆さんがお持ちの新約聖書では431ページの最後の行から次の432ページの上の段にあります。

①聖書の言葉
終わりに、皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、憐れみ深く、謙虚になりなさい。悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。
かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。
「命を愛し、幸せな日々を過ごしたい人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」

②話し
 3年前の2019年11月23日に来日されたカトリック教会のフランシスコ教皇様は、11月26日に日本を離れるまで、長崎、広島、東京において、日本人はもとより世界のすべての人に向かって戦争と核兵器使用を放棄し、平和を作る努力をしましょうと繰り返し呼びかけ続けました。今日の宗教講話は、そのとき教皇様が被爆地長崎と広島で発せられたメッセージから一部分を紹介してみます。
11月24日に長崎の原爆爆心地公園では、こう語られました。
 「この場所(長崎の爆心地公園)は、私たち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。
 人の心にある最も深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みに対する最良の答えではありません。それどころか、この望みを絶えず試みにさらすことになるのです。
 国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相容れないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する「相互尊重と奉仕への協力と連帯」という、世界的な倫理によってのみ、実現可能となります。ここ(長崎)は、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。」
 
また、その日の夕方訪れた広島の平和公園では、教皇様はさらに強い口調で次のように語られました。「ここ(広島)で、大勢の人が、その夢と希望が、一瞬の閃光と炎によって跡形もなく消され、影と沈黙だけが残りました。一瞬のうちに、すべてが破壊と死というブラックホールに飲み込まれました。その沈黙の淵から、亡き人々のすさまじい叫び声が、今なお聞こえてきます。
 確信をもって、改めて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、私たちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています。
 これについて、私たちは裁きを受けることになります。次の世代の人々が、私たちの失態を裁く裁判官として立ち上がるでしょう。「平和について話すだけで、国と国の間で何の行動も起こさなかった」と。
 自分だけの利益を求めるため、他者に何かを強いることが正当化されてよいはずはありません。実際、より正義にかなう安全な社会を築きたいと真に望むならば、武器を手放さなければなりません。武器を手にしたまま、愛することはできません。紛争の正当な解決策として、核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。」

 戦争を中止し、平和を築き上げようとする人類の願いは何度も何度も踏みにじられてきました。平和への願いは実現不可能なことに思えますが、教皇様はあきらめてはいけないとわたしたちに訴えます。
 「だからこそ私たちは、ともに歩むよう求められているのです。理解と赦しの眼差しで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです。希望に心を開きましょう。和解と平和の道具となりましょう。それは、私たちが互いを大切にし、運命共同体で結ばれていると知るなら、いつでも実現可能です。
 現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。共通の未来を確実に安全なものとするために、責任をもって闘う偉大な人となるよう、それぞれのグループや集団が排他的利益を後回しにすることが、かつてないほど求められています。」

わたしたちは、誰かの欠点や不完全さをあげつらい、誰かのせいで世の中のあれやこれやの悪がなくならないのだと非難し糾弾することで終わりにしがちですが、教皇様は呼びかけます。自分自身が和解と許しを生み出すパン種になるために、一人一人が一歩踏み出す勇気を持てるように、祈りのうちに希望を持って生きていきましょう、お互いに声を上げ、手を取り合って進みましょうと励まします。

 そうした祈りながら挑戦していく姿勢を日々保ち続ける助けになれるように、最後に、12世紀末から13世紀初めにかけてイタリアのアシジで活躍した聖フランシスコの言葉を紹介します。彼のよく知られた祈りー「平和を求める祈り」の中の一節です。

「神よ、わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、もたらすものとしてください。」

2022年(令和4年)9月20日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

 おはようございます。まず最初に、この度の台風14号によって死者が出たり各地に甚大な被害をもたらされたりしていますが、亡くなられた方のために、また、被害に遭われた方々の一日も早い生活の再建のためにお祈りいたします。
さて、今日の宗教講話では謙虚さということを考えてみようと思い、まず新約聖書のマタイによる福音書20章25~28節をお読みします。皆さんの聖書の39ページにあります。

①聖書の言葉
そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

②話し
謙虚さという言葉は、わたしたち日本人にとってなじみ深いものではないでしょうか。たまたまわたしの手元にあった『講談社カラー版日本語大辞典』では「謙虚」の意味を「すなおで、ひかえめなさま。つつましげ。」と記しています。一般的に、謙虚とは「ひかえめでつつましく、へりくだること」というような意味で用いられる言葉だと思います。そして、そういう心の持ちようは、わたしたち日本人が身につけていくべき美徳ととらえられているように感じます。
誰かから褒められたら、「いやあ、たまたま運が良かっただけですよ。わたしの能力なんてたいしたものではないんです。」あるいは、「支えてくれた仲間や家族のおかげです。」と答えると、「ああ、この方は謙虚だな。」と好意的に受け止められる文化が日本の社会にはあります。自分の能力を低くみなすこと、自分が能力や冨などをもっていないかのように、そしてあまり恵まれた境遇に育ってなかったかのようにふるまうこと、それが一般的に謙虚なふるまいとして評価されているように感じます。
ところで、そんな謙虚なふるまいをよしとする人たちでも、初めから低い者とみなされ、列では後ろに、宴席では隅っこにまわされたら、あるいは発言する機会を後回しにされたりしたら、心穏やかでいられないかもしれません。自尊心を深く傷つけられたと感じ、怒り出すかもしれません。自分はそれなりに価値あるものであり、無視されて仕方ないような小さい存在ではない、自分は自分の思い通りに生きたい、誰かにペコペコ頭を下げる人生なんていやだ、そういったある種の高慢さもわたしたちは心のどこかに持っているように思います。だから、周りから小馬鹿にされたり、軽く見られても、いつも穏やかに微笑んでいられるような心境にはなかなか到達できません。

ところで、イエスは弟子たちに対して、皆に仕える者となりなさい、皆の僕になりなさいと説きます。表面的に無能力な人、小さい人、身分の低い人のようにふるまいなさいと諭しているのでありません。実際に低い人、仕える人になれと求めます。自分たちイエスの弟子の中で誰が一番偉いかと言っては比較し合い、自慢し合うこともしばしばだった彼らには、それを実践するのはなかなか容易なことではありませんでした。
そんな彼らに、イエスは最後の晩餐の場面で自身の行動で具体的な手本を見せました。そのエピソードはヨハネによる福音書の13章1~20節に記されています。イエスは弟子たちの足下に、召使いがするように身をかがめ、膝をつき、水を入れたたらいから弟子たちの足に水を注ぎ、一人一人の足を手ぬぐいできれいに拭き上げたのです。そして、「先生、そんな召使いみたいなことはお止めください」と驚いて断ろうとする弟子たちに向かい、わたしがしたように、あなたがたも互いに足を洗い合う者になりなさいと命じました。
 もう一つ謙虚さの模範を見つけることができます。ルカによる福音書1章26~38節にある、天使のお告げに接したときのマリアの態度です。結婚もしていないし、男性もまだ知らない自分が救い主の母になるという、常識的には信じがたい予告を受け、「そんな馬鹿なことがあろうはずもない」と、自己の判断で拒絶しませんでした。自分の理解を超えた予告ではありましたが、マリアは天使に答えて言います。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」神様が望まれるなら、わたしはすべてお任せしますという、マリアの謙虚な答えによって、彼女に神の力がはたらくことになりました。

 わたしたちはどうすれば本当の謙虚さを身につけていくことができるのでしょうか。イエスの望むような、へりくだって仕える者になれるのでしょうか。おそらく、わたしのいのちは神から与えられたもの、わたしは神によって生かされてあるもの、わたしの持っているものはそのほとんどが神から無償で前もって与えられたもの、それを自覚するところから、そして、与えられたもろもろのことを感謝の思いで受け入れていくところから始まるのではないでしょうか。旧約聖書の創世記の初めに、神様が人間に命と能力を与えられたとき、人間がそれを自分の満足のために用いるようにとは望まれませんでした。人が互いに助け合うようにと、共に生きる仲間を造られ、彼らを祝福したと書いてあります。
 自分は力弱く限界をかかえているけれど、そんなわたしが何か良いものを持っているとしたら、それは、他者を喜ばせ、笑顔にするために与えられたものである。そういう姿勢で生きていく人は、自分が豊かになればなるほど、誰かが手に取りやすいように、そして存分に味わっていただけるように、頭を垂れていくのでしょう。一学期をもうすぐ終え、二学期を迎えようとしている皆さんも豊かな実りの秋を過ごしていけるよう願っています。

2022年(令和4年)8月25日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

 おはようございます。今日の宗教講話ではまず新約聖書のマタイによる福音書5章1~12節をお読みします。山上の説教と呼ばれるイエスの説教をまとめた箇所の出だしのところにある、“幸い”というサブタイトルがつけられているところです。皆さんの聖書の6ページにあります。

① 聖書の言葉
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。
喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」

② 話し
 今日は、江角ヤスという一人の修道女(シスター)のことを中心にお話しします。彼女は長崎に本部を置く純心聖母会というカトリック女子修道会を、当時日本人として初めて誕生した司教として長崎の信徒たちを導いていた仙台出身の早坂久之助司教様に要請されて、1934年に共同で創立し、自らも修道女として生活しながら、その純心聖母会の最初の会長となった方です。
彼女は明治32年(1899年)に島根県に生まれており、当時唯一女子の入学を認めていたと言われる仙台の東北帝国大学の理学部数学科に学び、在学中に仙台の教会でカトリックの洗礼を受けています。そして、京都府立第一高等女学校の数学教諭として勤めているときに、おそらく30歳の頃かと思いますが、早坂司教様からの長崎における女子教育修道会創立のための協力要請を受けます。彼女の中に大学在学中に芽生えた長崎での26人の殉教者への尊敬心と、それに仙台で受洗した自分への仙台出身の司教様からの依頼という縁、こうしたことからこの依頼を天命と感じて受け入れます。そして、34歳の時フランスで修道誓願を宣立した後帰国し、翌年1934年に大浦天主堂の「サンタマリアの祭壇」前で、純心聖母会が創立され、江角シスターは初代会長となりました。
 1935年に純心女学院(翌年から長崎純心高等女学校として認可)を創設し、彼女は学園長も兼務していきます。聖母マリアを手本とした生徒たちへ注ぐ慈母的なまなざし、殉教者たちに倣う信仰に基づくきちんとした情操教育、江角シスターが仲間のシスターたち、協力する教職員たちと実践する活動は長崎の人たちに好意を持って受け入れられていきました。
 個人的なことになりますが、わたしの両親は結婚するときにふたりで誓い合ったそうです。もし子供に恵まれ、その子たちが望むなら、男の子は神父に、女の子は修道女に育てようと。そして一番上の娘が高等小学校を卒業しようかという年齢が近づいた頃、長崎に出来て間もない純心高等女学校というカトリックの女子校があることを聞き、父が学校まで訪ねていき、学校のこと、修道会のことなど、江角シスターのお話を伺ったそうです。「なんと穏やかで、笑顔があたたかく、頭もよくて、肝っ玉の据わった人物だろう」、これが彼女から父が受けた印象でした。その時から、両親は江角シスターに惚れ込み、結果的に自分の4人の娘をその修道会に預けることになりました。
 さて、少しずつ生徒数も増え、修道女になりたいと志望する人たちも出ていく一方、第二次世界大戦が勃発します。そして戦局が厳しくなる中で、政府は深刻な労働力不足を補うために学生や生徒を工場へと駆り出そうとします。1944年1月の「緊急学徒勤労動員方策要綱」や8月の「学徒勤労令」公布などが立て続けに出され、全国的な「学徒動員」体制が作り上げられていきました。長崎でも、三菱造船所のいくつかの工場に、市内の学校から学生や生徒たちが組織的に送られ、兵器の部品組み立て作業などに従事していたそうです。純心の女子生徒たちも学校から近い大橋工場に送られていました。入学して間もない17歳のわたしの姉もそこに交じっていました。
 そして、1945年8月9日のあの「ピカドン」。7万人を越える人が押しつぶされたり、熱線や火に焼かれたり、吹き飛ばされたりして亡くなったと言われます。それと同じくらいの数の方が負傷や、被爆の後遺症に悩まされることになりました。純心の生徒たち207名と引率教職員7名もこの原爆によって亡くなっておられます。
 わたしの姉は建物の下敷きになり大けがをしましたが、幸いにも実家から探しに来た父と伯父に翌朝見つけ出され、雨戸に乗せられて田舎の家に帰り着くことが出来ました。しかし、もちろん放射線を浴びていましたから、めまい、40度を超す高熱、悪寒、激しい下痢、皮膚のやけどのただれ、髪の毛の抜け落ち、喉の炎症などが幾日も続いたそうです。ようやく11月1日に親に連れられて教会に行けたそうですが、それから1年かけて体力がいくらか回復してからようやく修道院に戻ることができたそうです。そして、江角シスターたちに迎え入れられ修道女となり、教壇に立ち女子生徒たちのために働き続けましたが、僕が高校2年生の時、原爆の後遺症でしょう、白血病で亡くなっています。
 爆心地から近いところにあった学校にいた江角校長も校舎が倒壊し大けがをしますが、次々に入ってくる生徒たちの死亡通知に、さらに打ちのめされたと言います。自分があの日工場に送り出さなければ、あの子たちは死なないでもすんだのではないか、自分が殺してしまったのと同じではないか、その自責の念は、その後の彼女の生涯においてずっと消えなかったと言います。自分にはもう学校を続ける資格はないのでは?そう自問しながらも、江角シスターは原爆によって亡くなった生徒や教職員に恥ずかしくない生き方をしよう、彼女たちのことを記憶にとどめてくれて、平和のために働きたいと願ってくれる若者たちを育てよう、次第にそう思い定め、教育への熱意を燃え立たせていきました。その熱意は、長崎、鹿児島、東京において実を結んでいます。
 また江角シスターは、あの明るく思いやりのあった生徒たちが生きていたなら、原爆の後遺症に苦しむ人たち、とりわけ高齢者の方を何とかしてあげようと、きっとそう願ったであろうと、被爆者や高齢者のための施設も創設しその介護にも力を尽くしていきました。女子教育と社会福祉の分野で残したその功績に対し、61歳の時に藍綬褒章を受章し、77歳の時には勲三等宝冠章を叙勲しておられます。そして、1980年11月に81歳で神様の下に帰って行かれました。
「あなたも、誰かのために、神様のために生きなさいね」これは両親に連れられて、シスターになった姉たちを訪ねて修道院に言ったときに、江角シスターが小学生の僕にかけてくれた言葉です。

2022年(令和4年)6月29日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利


皆さん、おはようございます。お元気ですか。皆さんの中には来週の学校祭を目前にして、あるいは全国大会を目指して準備に余念がないという感じで、慌ただしく生活している人もいるでしょうね。仲間と支え合いながら、ケガ無く、善い形で本番を迎えられることを願っています。
 さて、昨年も6月29日に宗教講話をさせていただいたことを思い出します。カトリック教会ではこの日は、イエス・キリストによって集められ誕生したばかりの教会が発展していく上で大きな働きを為した二人の人物、ペトロとパウロを記念する日に当たっています。昨年は二人のうちの特にペトロに焦点を当てて、自分の弱さや限界、挫折や失敗の体験を重ねながらも、イエスの励ましに勇気づけられて自分の使命を果たそうと前を向いて歩いて行ったペトロの人生を紹介しました。
 今日は、もう一人のパウロを紹介します。彼はキリスト教がユダヤ人の枠を超えて世界に広がっていく上で最大の貢献をした人物と評価されています。新約聖書には彼が書いたと言われる手紙がいくつか納められていますが、その中から、今日はコリントの信徒への第2の手紙12章7~10節をお読みします。皆さんのお手元に新約聖書がありましたら339ページの下の段から340ページの上の段にかけてのところです。

①聖書の言葉(コリントの信徒への手紙二12:7-10) 
 それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。
それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。

②話し
パウロは、ペトロたちイエス・キリストの弟子たちとほぼ同世代の人でした。トルコのタルソスという町のローマ市民権を持つユダヤ教徒の家に生まれ、若い頃はサウロと呼ばれていました。彼はギリシア語にもヘブライ語にも通じていましたが、成長してエルサレムに出て、高名な学者の下で旧約聖書を初めとするユダヤ教の豊かな知識を身につけていきました。彼はヘレニズム文化にもヘブライ文化にも詳しく、また、雄弁家で文才にも長けていたと言われますが、それは後に彼がキリストの教えをヘレニズム世界やローマ社会に広めていく上で大きなアドバンテージとなったところです。しかし、パウロがエルサレムで初めてイエス・キリストとその弟子たちの活動を知ったとき、伝統的なユダヤ教の熱心な擁護者であったパウロは彼らを受け入れられませんでした。十字架で処刑されたイエスが復活したなどということも信じようとせず、キリスト教徒を頭から否定し迫害しました。「キリスト教徒は人々を惑わす、抹消すべき異教徒だ」と固く信じ、正義感あふれる彼は、率先して、キリスト信者を見つけては捕らえようとしていました。
 ところが、キリスト教徒がいると聞きつけてダマスコという町に行く途中のこと、突然、天からの光に目がくらみ、落馬します。そのとき、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかけるイエス・キリストの声を聞きます。この時から、パウロは、目が見えなくなり、三日間は飲み食いすることもできないほど苦しみました。しかし、その声が命ずるまま、ダマスコに入ってアナニヤという人から祝福を受けたところ、たちまち「目からうろこ」のようなものが落ち、目は元どおり見えるようになります。その後キリスト教徒のアナニヤたちからイエス・キリストの生涯や教えを学び、洗礼を受け、キリスト教徒へと回心していきます。当初のキリスト教徒への厳しい迫害者から、熱心な宣教者へと劇的に人生を転換することになります。その後の人生においても、ときどき自分に語りかけるイエスの言葉を聞いたと告白しています。
 しかし、ユダヤ教徒からもキリスト教徒からもなかなか理解してもらえず、さまざまな拒絶や迫害を経験していきました。当然ながらキリスト教徒からは初めは恐れられました。ユダヤ教徒からは裏切り者と非難され、石を投げつけられ半死半生の目にあったこともあります。何度か牢に投獄されたり、むち打たれたりもしました。最後にはローマにおいて斬首刑によって処刑されました。だから、彼を描く絵画や彫刻では、彼は手に剣を握っている姿が多いようです。
そのような想像を絶するような苦難試練の中にありながらも、彼は心の中で常に自分はイエスから声をかけられ、彼の教えを多くの人に伝えるために直接使命を与えられており、どんなつらいときもイエスご自身が自分と共にいて導いてくださっていると、強く確信していました。彼はイエス・キリストの直弟子たちと違い、生前のイエスと寝食を共にしたり、たくさんの教えやたとえ話しを直接に聞いたり、疑問に思ったことやわからないところをイエスに問いかけて応えを得るなどといった体験はありませんでしたが、自分も復活したイエスと出会って直接呼びかけられ、人生を180度変えられた者であり、今もイエスの存在を生き生きと感じ続けていることにおいては、他の弟子たちにも決して負けてはいないと自負していました。
 その一方で、彼は自分の内に身体的なものか、メンタル的なものか、はっきりとはしませんが何らかの弱点を自覚していたようです。先ほどお読みした箇所で、「一つのとげ」、「サタンからの使い」、などと表現されているものです。発作的に起こる何か病的な症状でしょうか、あるいは、頭の切れる人たちの中にややもすれば見受けられがちな他者を見下すような一面でしょうか、かつてキリスト教徒を迫害していたという黒歴史への消し去れない自責の念でしょうか、あるいは容貌や行動の面で感じていた劣等感でしょうか。よくわかりませんが、パウロは自分がとことん駄目で弱い人間だなあと感じることが度々あったのでしょう。この点を無くしてください、あるいは変えてくださいと何度も祈らずにはいられないほど、彼にとって切実な悩みがあったことはたしかでしょう。
 振り返ってみれば、あのときこのとげをすぐに消し去ってくださいと必死に祈ったそのとげは、今も変わらず自分の中にある。でも、そんな自分をイエスは呼び止めてくださり、倒れるたびに声をかけてくださり、涙するたびに支えてくださった。イエスがいつも共にいてくださり、イエスに生かされてきた自分はもう自分の弱さや罪深さに絶望しないでいられる。鞭が待っていようと剣が待っていようと、イエスが共にいてくださる限り何も恐ろしくない。自分と共にいてくださるイエスを感じる体験を何度か重ねる内に、弱さや挫折をも主イエスと出会える道だと言えるようになったパウロの万感の思いがあふれる言葉ですね。
 逃げ出したくなるような激しい痛みや大きな悩みを感じている人は少なくないかもしれませんが、パウロの人生に思いを巡らせながら、悩みの中にあってもふとした拍子に、「あなたのそばにいるよ」、「あなたは大切な人だよ」と呼びかけている誰かの存在に気づく可能性もあるのではないかと思っています。
皆さんにもそんな瞬間が恵まれますようにお祈りいたします。

2022年(令和4年)5月24日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利


おはようございます。今週土曜日が学園聖母の祝日にあたっていますので、今日の宗教講話はマリア様のことについてお話しします。いつものようにまず聖書の朗読から始めますが、今日は新約聖書のルカの福音書1章24~45、56節をお読みします。お手元に新約聖書をお持ちの人は100~101ページのところを開いてみてください。ここには、年老いるまで跡継ぎの子に恵まれなかったザカリアとエリサベツの夫婦が、神様の祝福を得て子を恵まれたこと、そしてエリサベツはしばらく身を隠していたことが記されています。年老いてからの妊娠ということで少し複雑な気持ちで受け止めていたのでしょうか。いっぽう、婚約期間中でありながら神様の不思議な力でおなかに子を宿したマリアは、身を隠そうとはせず、親戚のエリサベツの手伝いのためにと急いで彼女を訪問する様子が記されています。

①聖書の言葉 ルカの福音書1章24~45、56節

その後、(ザカリアの)妻エリサベトは身ごもって、五か月の間身を隠していた。そして、こう言った。「主は今こそ、こうして、わたしに目を留め、人々の間からわたしの恥を取り去ってくださいました。」六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。
そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。
エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

②話し
カトリック教会では、初代教会の時代からすでにイエス・キリスト様の母であるマリア様に特別な尊敬をささげる伝統がありましたが、13世紀ごろにはスペインやポルトガルの一部の教会で、5月に聖母マリアの像や絵の前にお花をささげる習慣ができていたと言われます。16世紀にはそうした信心行為はイタリアにも広がり、5月を「聖母月」と呼び、マリア像の前にバラなどの多くの美しい花々を手向ける習慣や、マリア様へのロザリオの祈りなどを唱えて、彼女に神様やイエス様へのとりなしを願う習慣が広がっていき、次第に全世界のカトリック教会に広がっていったようです。今日では、聖母月を締めくくる5月31日には「聖母の訪問の祝日」が祝われ、ミサの福音書朗読では先ほど読んだルカの福音書の箇所、マリアによるエリサベツ訪問の箇所が読まれます。
 マリア様が多くの人の心を惹きつけるのはどうしてでしょうか。いろんな方がその人なりの理由をあげることができるでしょうが、第一にまず、彼女が神様に選ばれて救い主イエス様の母親となることを求められたとき、勇気を出して承諾し、それを自分の使命として受け入れてくれた点にあるでしょう。彼女がいてくれたから、彼女がイエス様をおなかに宿して、産み育ててくれたから、わたしたちはイエス様と出会うことができ、彼の言葉や行いに勇気づけられ、生かされることができているという、多くの人の心の内にある彼女への感謝の思いをあげることができるでしょう。
第二に、マリア様の味わったご苦労に対する共感といったものもあげられるのではないでしょうか。
世の中の母親という存在はおおむねそうだと思いますが、子を宿し、産み育てるご苦労は並大抵のものではないでしょう。仕事をしながらであったり、他の家族の世話もしながらだと、さらにご苦労が多くなるでしょう。マリア様も、普通ではない受胎によってイエス様を宿した時点から、そのわが子が犯罪者として十字架にはりつけにされて殺害される現場に立ち会われるときまで、ありきたりではない心労の連続であったことでしょう。そうした苦難の中にありながら、謙遜に神様への信頼を貫いて、イエス様を思い祈り続けたマリア様の姿に、同じようなしんどさを味わった世の母親たちはもちろんのこと、苦しみの中であえいでいる多くの人が、心の拠り所を見出し、彼女に勇気づけられながら、絶望せずに神様からの助けを願い求める道があることを感じ取ってきたのではないでしょうか。
 さらに、マリア様がいろんな場面で見せる、自分の利益を追求するより先に周りの人の必要性に目を向け、そのために自分にできる最良のことを探し求める姿勢、その心の持ちように対する人々の称賛や信頼の思いをも上げることができるでしょう。今日読んだエリサベト訪問にも、年老いて出産の準備をしなければならないエリサベトを気づかって手伝いに駆けつけるマリアの姿が見られましたが、ヨハネによる福音書の2章1~11節のカナでの婚礼の場面でも、マリア様の周囲の人々に注がれるやさしい気配りがあふれています。さらに、カナの場面では、イエス様にまかせれば大丈夫だというマリア様のうちにあったイエス様への固い信頼感も感じられます。これまでたくさんの人が、何か切羽詰まった状況で助けを必要としているときに、マリア様を通してイエス様にとりなしの労を取ってもらえるに違いないと確信して、彼女に手を合わせて祈ってきました。かつてローマに少しだけ滞在したことがありますが、朝早くから、夜教会の扉が閉じられるときまで、いろんな人が教会堂内のマリア像の前で静かに祈り続ける姿を見ることができました。十字架の上から、マリア様を指して「見なさい。あなたの母です。」と弟子たちに声をかけられ、自分たちの母としてマリア様に頼りなさいと諭されたイエス様自身の言葉も、わたしたちのマリア様への思いを強めてくれていると思います。

光星学園では、5月末に近い一日を「学園聖母の祝日」と呼んで、休日にしています。その趣旨は、わたしたち一人一人は弱く小さい存在ですが、マリア様が母の愛をもってわたしたちを見守り支えてくださるように願うためです。また、彼女が神様からのお導きに信頼して、自分の使命に誠実に応えようと努め、周囲の人に喜びをもたらそうと努めたように、わたしたちも、自分の使命を探し求め隣人への愛を実践できるような、つまり彼女の子イエス様に少しでも似た者に成長していってほしいとの願いから制定されています。

2022年(令和4年)4月22日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

①聖書の言葉 「コリントの信徒への手紙一」12章14~26節 〈一つの体、多くの部分〉

「体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。」

②お話し
 新しく光星中学1年生、光星高校の1年生となった皆さん、入学式の日から2週間が経ちました。緊張感の中でいろんな新しい経験をしていることと思いますが、いくらか学校に慣れましたか?その他の学年の人たちも、クラス替えで新しい顔ぶれとなったことで、いくらか緊張気味に新年度をスタートしたところでしょうか。
 あんなに高く積もっていたこの冬の雪もすっかりとけてしまい、このところの陽気でわたしの部屋の窓の外にある山桜が昨日咲き始めました。正門そばのソメイヨシノも、今日か明日には開花するのではないでしょうか。さて、皆さんはそれぞれの思いを胸に光星学園に集まってきているわけですが、光星での一日一日の時間の経過が、皆さんにとって癒やしや新しい出会いのきっかけになったり、芽吹きと成長のときとなっていってくれたらいいなあと願っています。
 先ほどお読みした聖書の箇所は、新しい環境で新しいスタートを切ろうとしている人たちに味わって欲しくて選びました。この光星には1,200人を越す生徒が通っています。いろんな人がいて、それぞれ個性的です。ある一つの物差しを当てればなにがしかの優劣が見えてくるかもしれませんが、別の物差しで計ればそれとは違う結果が現れたりします。わたしたちは周りの誰かと自分を比較して、勝った負けたと一喜一憂しがちです。「なにクソ、負けてたまるか」という思いが、ときにその人を発奮させ向上させることもあります。しかし、常に誰かとの比較で自己を評価し、胸をなで下ろしたりがっかりするような生き方、誰かと比べて自分の幸や不幸の感じ方が左右される生き方は、心落ち着きませんし、あまり有意義なものではないと思います。 
 今日の聖書の箇所は、その前後の箇所まであわせて読みますと、復活したイエス・キリストに結ばれ、キリストの命に生かされているとき、多種多様なわたしたちが違いを越えて一つの体を作り上げていくことができるという考え方を展開しているのですが、イエス・キリストとの関係という枠を外して読んでも、わたしたちに何かを感じさせてくれる個所だと思います。
わたしたちは、一見して他より優れているように見えたり劣っているように見えることがあっても、神様からそれぞれ良いものをいただいてここに生きているとキリスト教では考えています。わたしたちが互いに自分の内の良いところを見出し、大切にし、それを周囲の人の善のために用いていこうとするとき、自分が生きているその場が、互いを受け入れ合い、支え合う生きた有機体、一つの家庭になっていくことができると教えてくれているように思います。わたしたちが、クラスの中で、部活動の場で、誰かの痛みを分かち合い、カバーし合い、そっと包み込んでいくとき、あるいは、自分の笑顔や明るさを、強さや知恵を、隣りにいる者のために差し出していくとき、そのような心のキャッチボールができるとき、温かく緊密な結びつきを作りだしていくことができるのではないでしょうか。それが本当に幸せになるということではないでしょうか。
 そのような他者への関わり方は、ときに勇気を必要とするでしょうが、皆さんが小さな一歩を踏み出して、身近な誰かの悲しみを和らげ、喜びの笑顔を増やしていこうとするとき、その勇気を神様が支え導き、祝福してくださるように、そして、いつしか皆さんが周りの人を生かす地の塩、誰かの歩む道を照らす世の光として社会に貢献していくことができるように祈っています。
最後になりましたが、長引く新型コロナウイルス感染の終息と、ウクライナにおける戦いの一日も早い終結と国土再興が実現しますように、心を合わせて「主の祈り」を祈りましょう。

「主の祈り」
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。
み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。