札幌光星中学校・札幌光星高等学校

宗教講話2025

2025年(令和7年)4月18日の宗教講話

札幌光星学園理事長
神父 山﨑 政利

 おはようございます。新年度が始まって10日ほどたちますが、皆さんお元気ですか?今年度最初の宗教講話の時間です。中学1年生の皆さん、3カ年コースの高校1年生の皆さんにとっては初めての宗教講話になりますから、どんな内容なのかまだわからないでしょうが、昨日新入生の皆さんにお渡しした『新約聖書』の中のどれかの文書から短い個所を選び、それに関連したお話をさせていただくという形式で展開されるのが通例となっています。たまに、『旧約聖書』から選ぶこともあります。カトリックのミッションスクールとしての校風を形作っていく上で大切な時間とされているこの宗教講話、わずか10分から15分くらいの時間ですが、皆さんに何か伝わるものがあり、生き方のヒントになるものがあれば幸いです。
 さて、年間行事予定表の本日の欄に“聖金曜日”と記載されています。一言で言えば、キリスト教徒が救い主と信じているイエス・キリストが十字架上で亡くなったことを記念する日です。今日の宗教講話では、この“聖金曜日”に関連することを話してみます。

聖書『マルコによる福音書』11章7~11節
 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

 舞台は今からおよそ2千年前の春先のある日曜日、ユダヤ人たちの都だったエルサレムの町にイエスという人物と弟子たちが近づいている場面です。それまで、エルサレムから見れば北のガリラヤ地方を中心に、病人を奇跡的にいやしたり、悲しみにある人を慰め力づけるあたたかい言葉をかけたり、のけ者扱いされていた貧しい人や女性や子供たちに自分から親しく近づいて友となったり、伝統的な考えに縛られずに本当に神様が求める生き方がどういうものかを熱心に説いて回る、とにかく一風変わった人物として噂の主となっていたイエスが、今多くの人が集まっている都エルサレムに近づいています。
 イエスの乗った子ろばの足もとに人々が着ていた上着や木の枝を敷き詰めながら、大声で叫んでいます。「ホサナ、ホサナ」と。これはユダヤ人たちの当時の言葉で「神よ、われらを救いたまえ」という意味だそうです。エルサレムの城壁内に入っていこうとするイエスを、神様が自分たちを救うために遣わしてくださった救い主とみなして熱烈に歓迎しようとしている声と理解していいと思います。ちなみに、カトリック教会ではイエスが死から復活したことを記念する“復活祭”の1週間前の日曜日を“受難の主日”(あるいは枝の主日)と呼び、ミサのために教会に集まった信徒たちは、用意された枝を手にしながらイエスのエルサレム入城を記念します。
 ところが、こういう庶民たちの受け止め方とは別に、ユダヤ人たちの指導的な立場にあった人たちの間には、伝統的なことを軽んじるかのようにしばしば革新的な発言を繰り返すイエスのことを疑わしい目で監視し、チャンスがあればイエスの口を封じなければいけないとの見方が広がっていたようです。こうしてイエスのエルサレム入城後のわずか数日の間に、イエスを捕らえて裁判にかけようとする機運が高まります。そして、4日後の木曜の夜にイエスは、弟子たちと一緒に“最後の晩餐”と称される夕食を共にした後、城壁外の静かな場所で祈っているところを捕らえられます。そして、夜が明けた金曜日、ローマ総督ピラトの官邸に連行され、ローマ法に則り尋問がなされ判決が下されます。祭司長をリーダーとするユダヤ人指導者たちは息のかかった者たちをピラトの屋敷周りに集結させ、ピラトに圧力をかけます。その場面を、先ほど読んだマルコ福音書のもう少し先にある15章11~15節から引用してみます。

聖書『マルコによる福音書』15章11~15節
 祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。

 こうして、群衆の怒号に押し切られるような形で、ローマ総督ピラトの口からイエスを十字架にはりつける死刑が宣告され執行されていきます。イエスは城壁の外にあった処刑場で2人の犯罪者と一緒に十字架にかけられ、金曜日の午後3時ごろ息を引き取ったと聖書に記されています。数日前の、イエスを神様から送られた救い主として受け入れ歓呼の声をあげた人々と、ピラトの官邸を取巻いて「イエスを殺せ、殺せ」と叫んだ人々とは違っていたかもしれません。しかし、弟子のリーダーであったペトロでさえ、最後の晩餐の場面でイエスへの終生変わらない忠誠を誓いながら、数時間後にはイエスなんて知らないと口走ってしまう様子も福音書に書き残されています。 
 人々の頑なさや、人間の心の移ろいやすさ、そうした人間的な思惑に振り回されるようにして死刑に処されながら、福音書によれば、イエスは最後まで人間に背を向けようとか、うらみや憎しみをぶつけようとはしませんでした。人間の弱さや過ちにも関わらず、神は人間を見捨てることなく、変わらず人間を赦し愛し続けておられるということを、最後まで人間の暴力に対して静かに受け止めていこうとしたイエスの姿の中に感じ取りながら、キリスト教徒たちは毎年聖金曜日を迎えるたびに、イエスの死を嘆き悲しむだけでなく、そこに示されたイエスからの愛、神様からの愛に深い感謝の心をもって過ごしています。