皆さん、おはようございます。北海道は厳しく長い冬の季節があり雪深い地域も多いですが、春になり雪どけの頃になると、道内のあちこちの広々とした畑が耕され、そこにさまざまな種類の野菜が植え付けられ、陽光を浴びて日一日と成長していく様子が見られます。また田んぼには水が張られ、苗が植えられすくすくと育ち始めます。そして、5月や6月の声を聞くと、アスパラガスやメロンやスイカなどが収穫され全国に出荷されていきます。この後もそれぞれの収穫の時を目指して空模様を案じながらの、農家の皆さんのご苦労が続いていくのでしょう。テレビのニュースで、そんな光景を目にする機会が度々ありましたので、今日の宗教講話では、まずコリントの信徒への手紙第二9章6~7節という短い箇所をお読みします。
聖書の言葉『コリントの信徒への手紙第二』9章6~7節
つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
イエスが生きていたころのユダヤ人社会でも、畑に小麦や大麦が植えられ、豆類や、青菜、香辛料などが育てられていました。それぞれの収穫時期が来ると一部は次のシーズンの種や種もみとして取り分けられ、壺などに保管されていたようです。そして頃合いを見てまた畑に蒔かれるというわけです。収穫されたものをみんな食べてしまったりすれば、次の季節に植えるものがなくなります。
ところで、当時のユダヤ人たちは畑の耕し方に関しては日本人のやり方とは異なっていたようです。日本では昔からまず畑の中から岩や小石をできるだけ取り除こうとしてきました。それが可能ならば牛や馬の助けも借りたりしながら、石ころや木の切り株などもできるだけ根こそぎ掘り起こし、できる限り柔らかい土だけにしようと努めました。そこに肥料などをすきこんで栄養充分な土づくりをしようと頑張りました。まず種が根を伸ばしやすい寝床になるようにと耕作してきたのです。
それに対して、イエスの時代のユダヤ人たちは、それほど土づくりに奮闘努力していなかったようです。マタイによる福音書13章1~9節には、石ころだらけの所に蒔かれた種や、茨の中に蒔かれた種があったことが記されています。全面がよく耕され、肥沃な柔らかい土というわけではなく、石ころが多くて土が浅かったり、茨や他の雑草が生えていたりする、そんな畑が珍しくなかったのでしょう。そうすると、種をケチってわずかしか蒔かないと、根づきの悪いものが出たり、上を雑草などで遮られてよく育たないものが出たりすることもあって、収穫量も少なくなってしまうことになったのでしょう。イエスも農作業の時のよく目にするそのような光景を思い起こさせながら、聴衆に何かを伝えようとしているのでしょう。
今日の宗教講話では、皆さんに日本と聖書の世界の農耕技術の違いに注目してもらいたいのではありません。今読んだ短い聖書箇所が、たんに種蒔きの方法論に留まらず、わたしたちの仕事や勉強への取り組み方、あるいは生き方そのものをも考えるきっかけになるのではないかと思ったのです。
近年耳にすることの多い言葉に、「コストパフォーマンス(コスパ)」や「タイムパフォーマンス(タイパ)」などがあります。コスパは、物事を、かけた金額費用に対する満足度でもって評価しようという考え方のようであり、タイパは、かかった時間に対して効果や満足度がどうだったかという点から物事を評価しようという考え方のようです。かけることのできるお金や時間に限りがある中で、またいろんな情報があふれている中で、より効率的に良い結果を手に入れたいという願望を持つ人が増えているのかもしれません。できるだけ無駄なことに時間やお金をかけたくないという考え方が広がってきているのかもしれません。
スポーツの世界では、稽古や練習にどんな風に取り組んだかが、その後の結果に大いに影響するとよく言われてきました。野球やサッカーでも、それぞれの選手の生来の体格やセンスが大いにパフォーマンスに影響していることはあると思いますが、それ以上に、日々のバットの素振りやドリブルなどの反復練習が、その競技に必要な筋力や体力や技術の向上につながっていき、またケガの予防にもつながっていく、大切なものだと言われることがよくあります。大相撲の世界でも、地味に見える「四股踏み」や「鉄砲」、「腰割」や「すり足」などの基本動作を繰り返していくことによって、力士の体幹や下半身が鍛えられ、股関節の柔軟性や全身のバランス感覚も鍛えられていくそうです。
わたし個人の話しをすれば、学生の頃にあまり苦労しないで試験で高得点を得るための道というか、合格への簡単なノウハウみたいなものを手に入れられないものかと思っていたことがあります。でも結局は、急がば回れという言葉をかみしめることが多かったように思います。毎日の授業に集中して臨み、日々の予習や復習にもきちんと時間を割いていくことが、基礎学力の維持向上に結びついていくのだと思い知らされることがありました。また自分自身の恥ずかしい失敗や、読書していて出会った誰かの言葉から学んだこともあります。人生に無駄なことはないのかもしれない、今はそういう気持ちが強いです。
最後になりますが、先ほどの聖書の箇所には、喜んで与える人という言葉も出てきました。誰かのために自分の時間や持ち物や心を喜んで差し出そうという生き方と、どうすれば効率的に自分の利益を手にできるかということを始終追い求める姿勢との間には、かなりの隔たりがあるように感じます。コスパやタイパの言葉が飛び交い、誰かのために汗を流すことなんて無意味だとうそぶき、自己の快適さや満足を何よりも優先する人が多くなっているように感じるこの時代にあって、誰かのために労苦を惜しまず喜んで自己を差し出す生き方もあることに気づいてほしいと、イエスはわたしたちに語りかけているように思います。皆さんの愛の心からなされるわざの一つひとつを神様が勇気づけ祝福してくださるよう、お祈りします。
おはようございます。今週は午前授業の週となっています。夏に開催される全国高等学校総合体育大会(いわゆるインターハイ)の予選や、野球やゴルフなどインターハイとは別の枠で全国大会が開催される種目の地方予選が行われている時期です。参加している部員たちの活躍にエールを送ります。一方、再来週には一学期中間試験も控えています。また、生徒会を中心に学校祭の準備も着々と進められています。皆さんが、それぞれの目的に向かって一日一日を大切に過ごしてほしいと願っています。
ところでカトリック教会では、イエス・キリストの十字架の死を黙想しその復活を喜び祝う季節に続くこの5月を古くから聖母月と呼び、イエスの活動に母として関わられたマリアに感謝の思いを向けてきました。札幌光星学園では、5月の末に学園聖母の祝日を定め、イエスが示してくれた愛の生き方に倣おうと努める生徒たちを、学園の保護者と仰ぐマリアが温かく見守り寄り添ってくれるようにと祈ります。今日の宗教講話はイエスの母マリアのことを話題にしようと思います。
聖書『マルコによる福音書』3章31~35節
イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
今読み上げた箇所は、「マルコによる福音書」の3章の終わりにあたるところです。マルコは、成人となったイエスが自分の育った村ナザレを出て宣教活動を始めるところから書き始めています。故郷のナザレの村から30キロメートルほど北に位置するカファルナウムの町を中心に、ガリラヤ湖と呼ばれる大きな湖のほとりの町や村を回りながら、神様の愛の手が貧しい人、弱い人、病気の人に差し伸べられていることを言葉と奇跡的ないやしの業をもって証ししていきます。そして神様を中心に据えた新しい生き方をしようと呼びかけ、集まった者たちから数人を選び弟子として彼らと行動を共にしながら宣教活動を進めていきます。
そういうイエスの行動は、一部の人からは好感を持って受け止められましたが、いかがわしさを感じる人たちもいて、イエスの行う奇跡は悪魔の助けでなされているに違いないとつぶやく人たちもいました。奇跡見たさなど、いろんな思いでイエスの後をついて回る群衆もいました。そのようなイエスに関する噂は故郷の人たちの耳にも伝わります。自分の家族が、他人から非難されることはつらいことです。我が子が正気を失っているなどと噂されるのは母としては耐え難いことです。心配した母マリアや親族の人たちが確かめに来ます。もしかしたら、事と場合によっては力ずくでも故郷に連れて帰ろうと思っていたかもしれません。
子である自分の身を案じて訪ねてきた母マリアの心配はイエスにも理解できたでしょう。しかし、イエスは世間の評判を気にしていません。イエスの心にあったのはどのように行動することが神様の望みに応えることなのか、その1点にありました。それは、すべての人が神に愛され、神からいのちを与えられている兄弟姉妹なのだと伝え続け、証し続けていくことであり、この宣教の歩みを放棄するつもりはありませんでした。
イエスの言葉と行動の中にそのことを確認した母マリアは、もうイエスを引き止めようとはしなかったと思います。親族の者たちと一旦はナザレの村に帰ったかもしれませんが、おそらく我が子のことを思いながら毎日を過ごしていたのでしょう。我が子が何よりも大事にしている神様が、我が子を守り導いてくれるようにと祈り続ける毎日だったと思います。心の中で、祈りの内に、母マリアとイエスは結ばれていたと思います。そして、いよいよ我が子を取り巻く状況が危うくなったと感じると、我が子のそばに駆けつけたようです。「ヨハネによる福音書」は、十字架にはりつけにされる我が子のそばにその母がいたと書き記しています。
わたしたちは日々生きていく中で思い悩むことも度々だろうと思います。自分の考えは間違っていないだろうか、自分の選択はこれで正しかったのだろうかと悩む中で、できればそばにいて「それでいいんだよ」と力強く承認し支えてくれる味方がほしいと願うこともあろうかと思います。家族の存在は、時に重たく、自分を拘束しがちなものと見なされることが多いかもとしれませんが、誰よりも真剣に心配してくれるのは家族であり、母親ではないでしょうか。母の日や父の日ということが話題にされるこの季節、新たな気持ちで家族一人ひとりに思いを巡らしてみるのはいかがでしょうか。
最後に、前教皇のフランシスコについて一言触れさせてください。カトリック教会ではここ1か月の間に教皇フランシスコの死去と教皇選挙による新しい教皇レオ14世の選任という大きな出来事がありました。信徒からだけでなく世界中の多くの人から尊敬されていた教皇フランシスコが亡くなられたのは先月の21日でした。4月20日の復活祭を共に喜び祝おうとヴァチカンの聖ペトロ大聖堂前の広場に集まった人々の前に車いすからその姿を見せてくれた教皇フランシスコでしたが、翌朝介護の方に見守られながらその魂を神に委ねて息を引き取られました。
教皇フランシスコはその在任中の13年間、常にイエスの教えを胸に、教会は小さい人や弱い人のそばにいて共に歩むものとならなければいけないと訴え続け、憎しみや復讐を止めて和解と赦しに基づく平和の実現に尽くしましょうと呼びかけ続けました。また、この地球はそこに生きるすべての命にとって大切な場所であり、人間は地球とすべての命を守るために尽くさねばならないと警鐘を鳴らし続けました。そして、自分は教皇と呼ばれているが、愛と正義に飢え渇いている人たちに奉仕する僕にすぎませんと日頃から話し続けていた教皇フランシスコの亡骸は、その意思によってつつましい棺におさめられました。そして彼が生涯にわたって敬愛してやまなかった聖母マリアのふところに抱かれるかのように、ローマ市内にある4大バジリカの一つで、マリアに捧げられたサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂内に埋葬されています。
おはようございます。新年度が始まって10日ほどたちますが、皆さんお元気ですか?今年度最初の宗教講話の時間です。中学1年生の皆さん、3カ年コースの高校1年生の皆さんにとっては初めての宗教講話になりますから、どんな内容なのかまだわからないでしょうが、昨日新入生の皆さんにお渡しした『新約聖書』の中のどれかの文書から短い個所を選び、それに関連したお話をさせていただくという形式で展開されるのが通例となっています。たまに、『旧約聖書』から選ぶこともあります。カトリックのミッションスクールとしての校風を形作っていく上で大切な時間とされているこの宗教講話、わずか10分から15分くらいの時間ですが、皆さんに何か伝わるものがあり、生き方のヒントになるものがあれば幸いです。
さて、年間行事予定表の本日の欄に“聖金曜日”と記載されています。一言で言えば、キリスト教徒が救い主と信じているイエス・キリストが十字架上で亡くなったことを記念する日です。今日の宗教講話では、この“聖金曜日”に関連することを話してみます。
聖書『マルコによる福音書』11章7~11節
二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。
我らの父ダビデの来るべき国に祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。
舞台は今からおよそ2千年前の春先のある日曜日、ユダヤ人たちの都だったエルサレムの町にイエスという人物と弟子たちが近づいている場面です。それまで、エルサレムから見れば北のガリラヤ地方を中心に、病人を奇跡的にいやしたり、悲しみにある人を慰め力づけるあたたかい言葉をかけたり、のけ者扱いされていた貧しい人や女性や子供たちに自分から親しく近づいて友となったり、伝統的な考えに縛られずに本当に神様が求める生き方がどういうものかを熱心に説いて回る、とにかく一風変わった人物として噂の主となっていたイエスが、今多くの人が集まっている都エルサレムに近づいています。
イエスの乗った子ろばの足もとに人々が着ていた上着や木の枝を敷き詰めながら、大声で叫んでいます。「ホサナ、ホサナ」と。これはユダヤ人たちの当時の言葉で「神よ、われらを救いたまえ」という意味だそうです。エルサレムの城壁内に入っていこうとするイエスを、神様が自分たちを救うために遣わしてくださった救い主とみなして熱烈に歓迎しようとしている声と理解していいと思います。ちなみに、カトリック教会ではイエスが死から復活したことを記念する“復活祭”の1週間前の日曜日を“受難の主日”(あるいは枝の主日)と呼び、ミサのために教会に集まった信徒たちは、用意された枝を手にしながらイエスのエルサレム入城を記念します。
ところが、こういう庶民たちの受け止め方とは別に、ユダヤ人たちの指導的な立場にあった人たちの間には、伝統的なことを軽んじるかのようにしばしば革新的な発言を繰り返すイエスのことを疑わしい目で監視し、チャンスがあればイエスの口を封じなければいけないとの見方が広がっていたようです。こうしてイエスのエルサレム入城後のわずか数日の間に、イエスを捕らえて裁判にかけようとする機運が高まります。そして、4日後の木曜の夜にイエスは、弟子たちと一緒に“最後の晩餐”と称される夕食を共にした後、城壁外の静かな場所で祈っているところを捕らえられます。そして、夜が明けた金曜日、ローマ総督ピラトの官邸に連行され、ローマ法に則り尋問がなされ判決が下されます。祭司長をリーダーとするユダヤ人指導者たちは息のかかった者たちをピラトの屋敷周りに集結させ、ピラトに圧力をかけます。その場面を、先ほど読んだマルコ福音書のもう少し先にある15章11~15節から引用してみます。
聖書『マルコによる福音書』15章11~15節
祭司長たちは、バラバの方を釈放してもらうように群衆を扇動した。そこで、ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」ピラトは言った。「いったいどんな悪事を働いたというのか。」群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び立てた。ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
こうして、群衆の怒号に押し切られるような形で、ローマ総督ピラトの口からイエスを十字架にはりつける死刑が宣告され執行されていきます。イエスは城壁の外にあった処刑場で2人の犯罪者と一緒に十字架にかけられ、金曜日の午後3時ごろ息を引き取ったと聖書に記されています。数日前の、イエスを神様から送られた救い主として受け入れ歓呼の声をあげた人々と、ピラトの官邸を取巻いて「イエスを殺せ、殺せ」と叫んだ人々とは違っていたかもしれません。しかし、弟子のリーダーであったペトロでさえ、最後の晩餐の場面でイエスへの終生変わらない忠誠を誓いながら、数時間後にはイエスなんて知らないと口走ってしまう様子も福音書に書き残されています。
人々の頑なさや、人間の心の移ろいやすさ、そうした人間的な思惑に振り回されるようにして死刑に処されながら、福音書によれば、イエスは最後まで人間に背を向けようとか、うらみや憎しみをぶつけようとはしませんでした。人間の弱さや過ちにも関わらず、神は人間を見捨てることなく、変わらず人間を赦し愛し続けておられるということを、最後まで人間の暴力に対して静かに受け止めていこうとしたイエスの姿の中に感じ取りながら、キリスト教徒たちは毎年聖金曜日を迎えるたびに、イエスの死を嘆き悲しむだけでなく、そこに示されたイエスからの愛、神様からの愛に深い感謝の心をもって過ごしています。