みなさん、おはようございます。
6年生が卒業し、3年生も9時からの卒業式が終わり、この場にいないので、1年生、2年生、4年生、5年生の少し寂しい終業式ではありますが、今年度最後の日に、こうして一同が介してメインアリーナで集会を行うことができることに、私は、決して普通のことではない、そして一体感を味わえることへの喜びを深く噛みしめています。今年度もコロナの第7波や第8波に翻弄され続けましたが、ようやく出口が見えてきたという感覚があります。今週初めから、日常生活においてマスクの着用が多くの場面で個人の自由な選択となり、屋外では少しずつですが、マスクを外して歩く人が増えているように感じます。学校生活においても、新学期からマスクなしでの活動が認められることになっています。もちろんこれは「マスクを外しなさい」というメッセージではありません。マスクを着けることも外すことも、強制しない、個人の自由である、広い意味で一人ひとりの価値観や多様性を尊重する社会へと舵を切るということです。大切なことは、お互いに「無理をしない」、そして「相手を思いやる」ことの日常化ではないのでしょうか。
次にみなさんと会う新学期の始業式には、4年ぶりに取り戻される風景もあるでしょうし、似たような風景ではあるが、微妙な変化を伴う、アフターコロナの新しい風景であるのかもしれません。ただその時、変化に弱い私たちが、連帯し、支え合い、些細な変化も一緒に乗り越えていくような、真の優しさや真心にあれる光星ファミリーでありたいと願います。
今日は、私が、そしてみなさんが思いを等しくする、光星ファミリーの温かな雰囲気を感じ取れる出来事をいくつか紹介します。
まずは、カトリック研究部や生徒会執行部の生徒のみなさんが中心となって先月行った「トルコ大地震緊急募金」。学期末試験直前にもかかわらず、多くのみなさんの温かい気持ち、今この瞬間も生死をさまよい、苦痛に耐える人々を救いたいという願いは、4日間で337,925円の募金を集め、国境なき医師団、日本ユニセフ、カリタスジャパンの3団体に寄付されました。ウクライナ緊急募金の時と同様、私たちの学校がどこよりも早く行動に移すことができた素晴らしい活動でした。
次に、3月9日の北海道新聞夕刊の「まど」というコーナーに掲載されていた記事を紹介します。「12本のレモネード」という題がつけられた記事の内容は、本校の中学3年生が他の中学校の友人と一緒に市内の商業施設で行われていた小児がん患者支援のためのイベントで売られていたレモネードを、お年玉で12本購入したという内容でした。本当は「スタバの新商品」を飲む予定でしたが、偶然目に留まったそのイベントの力になりたいとの思いで、参加し、飲み干したペットボトルも「記念に」と持ち帰ったとのこと。さらに記事によると、レモネードによる寄付や小児がん患者支援についてSNSで紹介したとまとめられていました。苦しむ人を思い、自分ができることをすぐに実行したことに対し、清々しさを覚えました。
最後に、一般の方から次のような電話がありました。3月5日(日)、自家用車を運転中、雪道の轍にはまり、動けなくなったところを、光星の野球部員がかけつけ、雪まみれになりながら脱出を助けてくれました。本当に感動しました。お礼をしたくて、その時は何も持ってなかったので、お礼金を渡そうとしましたが、「そういうものは受け取れません」と言って、立ち去って行きました。本当に助けられてありがたかったです。これからは、野球部をはじめ、光星の部活動を応援します。いつも大きな声のあいさつで、光星のイメージをあげてくれる野球部が、校外でも人のために積極的に行動する姿に、私も深く感動しました。
こうしたみなさんの心ある姿勢に、私は、この学校に通う皆さんが、本当に大切にすべきことが何なのかをしっかりと理解し、行動できることを改めて知り、誇りに思います。これからも、ルカによる福音書の第6章31節に「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」とある通り、他者のために心を尽くして行動することができる人になってほしいと思います。
さて、話は変わりますが、2週間前に胸を張って本校を巣立った6年生の活躍を、恐らく多くのみなさんが本校HPの大学合格者実績で確認し、喜びと勇気をもらっていることと思います。前期日程の判明分で、京都大学、大阪大学、一橋大学、東京工業大学をはじめとした国公立大学に、84名の現役合格者が出ています。今年の6年生は293名で例年よりも在籍数が少ない学年でしたので、この後の中期、後期の合格発表で100名を越える結果が出ると、3人に1人以上が現役で国公立大学合格の栄冠を勝ち取ることになります。来週末にかけ、さらに吉報が届けられるはずです。6年生の先輩方の頑張りは、後輩のみなさんにも大きな自信を与えてくれることでしょう。
5年生の皆さん。今度はみなさんの番です。時間はあっという間に過ぎます。この春休みは、スタートダッシュを仕掛ける絶好のチャンスです。期待しています。1年生、2年生、4年生のみなさん。学年が一つ上がり、もうすぐ新しい光星ファミリーを迎え入れます。光星の良き伝統が新入生にも備わるよう、先輩として温かなサポートをお願いします。期待しています。
明日から20日間ほどの春休みに入ります。新学期へ向け、十分な休養、十分な復習、十分な目標設定のために時間を有効に活用してください。忙しいかもしれませんが、春休み中に自分の成長を助けてくれそうな本を一冊読んでください。また静かにじっくりと自分を見つめる時間も持ってください。
本日、卒業される85名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
ご来賓の父母の会副会長 阿部晴香様とともに、皆様のご卒業を心からお祝いいたします。また、今日の日まで、いつも温かく見守り、大きな愛で包み、支えてこられた保護者の皆様、ならびに関係者の皆様にも、心からお慶び申し上げます。
みなさんにとって、この3年間を振り替えると、コロナとともに始まり、コロナに振り回され、たくさんの我慢を強いられた中学校生活だったと思います。小学校の卒業式も中学校の入学式も、正体不明のコロナによるパニック状態の中で行われ、またそれ以上に辛かったのは、学校での学びすら奪われてしまった「全国一斉休校」。わずか12歳のみなさんが、ただでさえ自宅の近所の小学校から公共交通機関を利用して遠くの札幌光星中学校へ通うという生活環境の大きな変化の中で、また多くのみなさんが見ず知らずのクラスメイトとの人間関係作りから始めなければならない、あるいは担任の先生以外にも簡単に覚えきれないほどたくさんの先生方の指導を受けなければならない、そんなコロナ禍ではなかったとしても心配事だらけの新生活スタートのタイミングで、新型コロナウイルス感染症によるパンデミックは世界中を大混乱におとしいれました。恐らく、その当時のみなさんの動揺や将来への不安、無力感は、今になって振り返っても想像を絶するものがあったことでしょう。私も校長になった直後にこの大混乱を受け入れることを強いられ、来る日も来る日も、誰もいない校舎を魂が抜けたように歩いたことや、通勤のJRの車両にたった一人で乗車した不思議な光景を生涯忘れません。そして、学校再開後も多くの活動が制限される中、みなさんの一生に一度の大切な時間が過ぎ去っていきました。
たくさんの方々の命が奪われ、たくさんの方々が深い傷を負いました。今もなお、傷付いている多くの方々のために心からのお見舞いを申し上げます。今もなお、医療従事者の方々をはじめ、傷ついた方々のために懸命に働いてくださっている方々に心からの感謝を申し上げます。
しかしあれから3年が経ち、もちろん完全に終息していないものの、世界はアフターコロナへと舵を切りました。遅ればせながらわが国も、より一層コロナ前の生活スタイルを取り戻すことを目指し、動き出したように感じます。そして、みなさんは、今月、アフターコロナの世界をオーストラリア研修旅行を通じて一足先に体験してきました。
Do you remember my message, when we were flying back New Chitose airport from Australia.
I said to you, This study trip was Great success! Because all of you experienced every activity, were not absent from this trip period, and coming back here! Did you enjoy in Australia? Of course you say "YES!"
But Why did you enjoy there? Who supported you? Local guides, JTB tour conductors Mr.Okushi and Ms.Sugaya, Your Teachers, and your family. All of them wanted to see your smile and cheered on.
The Bible says, "Do to others what you would like others to do." Now that you have gained a lot of experience, please make an effort so that one day you can give back to those who support you for your smile.
And I also told you." Don't do to others what you would not like others to do." Those who received any attentions during this trip still need to grow.
Please make use of this reflection and work harder for those who believe in your growth.
みなさんには、オーストラリア研修旅行が、生涯に残る楽しい思い出となったことの理由を深く考えられる人になってほしいのです。今回の研修旅行中、みなさんの笑顔のために多くの方がサポートしてくれたことに思いを馳せてほしいのです。そしていつの日か、誰かの笑顔のために心を尽くして働くことができる人になることを願っています。
ルカによる福音書の第6章31節に「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」とあります。マタイによる福音書の7章12節にも「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」とあります。この教えは、新約聖書の中のイエス様の黄金律と呼ばれています。黄金律とは、イエス様の教えの中でも最も大切なものであり、根本となる教えということです。
われわれには、人として誰もが意識すべきこと、守るべき大切なことがいくつかありますが、その中の一つとして、今は、しっかりと勉強し、将来の選択肢を広げるために多くの時間を費やすことがもとめられていますし、その価値観や評価軸が、今のみなさんの日々の生活や意識の中に大きなウェートを占めていることでしょう。もちろんその通りなのですが、その努力は結局何のためになされているのかを見失わないこと、優越感や劣等感で心がゆがまないこと、惑わされたり、ぶれたりしないことが大切です。本校の校訓である「地の塩 世の光」がメッセージするところの意味とは何でしょうか。あなたにあたえられた才能をしっかりと磨き上げ、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くしなさい、社会に貢献できる大人に成長しなさいということを求めているのではないでしょうか。それは、自分自身の優位性をひけらかすことではなく、自分の持てる力を浮き沈みなく差し出す姿なのではないでしょうか。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」という、イエス様の黄金律を貫き通すことができるよう、本校での学びを通し、そのように生きることの尊さを知り、弛まぬ努力を続けられる姿勢を身に着けてほしいのです。
誤解していないとは思いますが、小学校から中学校までの義務教育とは、みなさんが学校に通う「義務」ではなく、みなさんのお父さんお母さんが、みなさんをしっかりと学校に通わせる「義務」です。みなさんにあったのは、「義務」ではなく、学ぶ「権利」であり「自由」です。ですから、この先は自分自身の学びへの強い意志が問われます。「義務」ではなくとも、この先もみなさんに学びの機会をあたえ続けてくださる、みなさんの笑顔のために協力し続けてくださるお父さんお母さんに、いつの日か応える「義務」がみなさんにはあります。みなさんを支えてくださる方々に、いつも感謝しながら、いつの日か恩返しができる人になれるよう、ますますの精進をする「義務」が、みなさんにはあると私は考えます。「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」というイエス様の黄金律を、多くの方々に心を込めて出来る人となれるよう、ますます精進してください。この先の高校での活躍を心から期待します。
本日はご卒業、誠におめでとうございます。
本日、卒業される293名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
ご来賓の同窓会会長・横山敏章様、PTA会長・駒木宏光様とともに、この良き日をお祝い申し上げます。あわせて卒業生をこれまで支えてこられた保護者の皆様、ならびに関係者の皆様にも、心からお慶び申し上げます。
わが国は、近代以降、おおよそ3回の大転換期を経て現在に至っています。そのスタートは1860年代の幕末から明治維新にかけてです。江戸幕府に代表される武家社会や封建制度、「井の中の蛙、大海を知らず」の国家体制から欧米列強の仲間入りを目指す国作りへと舵を切った時期です。そこからおよそ80年が経過し、1940年代の第二次世界大戦と終戦から朝鮮戦争を経て1955年以降の高度経済成長へとつながる、平和で経済的にも豊かに変化していく国作りの時期。この時期は国と人々の関心が比較的同じ方向へと歩む時代へと推移していきます。さらにそこから80年が経過し、現在は、情報化やグローバル化などの社会の大きな変革の中で、突如として発生した2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる世界規模での危機からも見て取れる通り、世界が連帯して持続可能な社会を作ることが求められ、日本もその一員としての役割を果たさなければならない時代を迎えています。
みなさんにとって、この3年間を後に振り替えると、コロナ禍も相まって、時代の大きな大きな転換期の真っただ中だったということになるでしょう。6カ年コースのみなさんにとっては、あんなに楽しみにしていたのに、出発の4日前に中止せざるを得なかったヨーロッパ研修旅行。もちろん、3カ年コースのみなさんにとってもまた、中学校の卒業式も高校の入学式も、正体不明のコロナによるパニック状態の中で行われ、またそれ以上に辛かったのは、学校での学びすら奪われてしまった「全国一斉休校」。私も校長になった直後の出来事でしたが、来る日も来る日も、誰もいない校舎を魂が抜けたように歩いたことを生涯忘れません。そして、学校再開後も多くの活動が制限される中で、みなさんの一生に一度の大切な時間が過ぎ去っていきました。
たくさんの方々の命が奪われ、たくさんの方々が深い傷を負いました。今もなお、傷付いている多くの方々のために心からのお見舞いを申し上げます。
しかしあれから3年が経ち、もちろん完全に終息していないものの、世界はアフターコロナへと舵を取り、遅ればせながらわが国も、より一層コロナ前の生活スタイルを取り戻すことを目指し、動き出したように感じます。
先月中旬に行政機関から「今年の卒業式は、生徒と教職員はマスクを外して行うことを基本とする」との指示がありました。そのことを受け、本日の卒業式もマスクの着用は、各個人の判断に任せることといたしました。この3年間、ほとんどお互いに顔を見ることなく過ごした仲間との最後の日に、高校を巣立つ節目の日に、晴れがましいこの瞬間に、マスクなしでお祝いしてあげたいという思いからの決定であったと感じています。みなさんの門出を心から祝福したいと願う多くの方々の思いは、素直に受け止めたいと思います。しかし、私はこうも思うのです。マスクがあってもなくても、私たちはお互いの顔を「心の目」で見てる。認識している。お互いに今日の門出を笑顔で祝福している。この先何年たっても、見た目が変わっても、皺が増えても、白髪になっても、この3年間の仲間との思い出は、そして様々な表情は、一人ひとりの「心の目」にしっかりと焼き付いてる。そう思うのです。
ここで、ヨハネによる福音書9章1~7節を紹介します。
「さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ(先生という意味)、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。わたしたちは、わたしをお遣わしになった方の業を、まだ日のあるうちに行わねばならない。だれも働くことのできない夜が来る。わたしは、世にいる間、世の光である。』こう言ってから、イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。 そして、『シロアム(遣わされた者という意味)の池に行って洗いなさい』と言われた。そこで、彼は行って洗い、目が見えるようになって、帰って来た。」
イエス様が行った奇跡と同時に盲目の人の目が開かれたという出来事が伝えようとしているメッセージを読み取る必要があります。イエス様が活動していた時代のユダヤ人社会では、盲人というだけで、その人やその家族が何か悪いことをしたためにその代償を背負わされていると考えられていたり、目が見えない原因は何らかの災いを招いた本人の責任であると決めつけられていたり、障害は近寄っただけで感染するとさえ考えられ、理不尽な差別を受けていました。このため、生まれてからずっと差別を受けてきたこの盲人の目が開かれたという奇跡は、視力の回復以上に心の解放という効果の方が大きかったはずです。そして、盲人を差別していた周囲の人の「心の目」を開くことにもなったのです。この出来事を通し、本人には、まったく原因がない不幸な出来事を救う力がどこにあるのか、そしてそういった不幸は、絶対にそのまま放置されることはないと信じること、すべての人が「心の目」を開き、目に見えない差別を振り払うことの大切さを伝えているのです。
肝心なこと、一番大切なことは、視力や視覚の目では見えないものです。「心の目」で見ないと見えないものなのです。私たちは、目に見えるものこそが全てだと考えてしまいがちですが、喜怒哀楽や悩み事は、目に見えないものの中から生まれ、「心の目」を開いていないと大切なことを見過ごしてしまうことが多いものです。私も50数年の人生の中で、思慮深くなかったがために、「心の目」で十分に観察しなかったがために、未だに後悔していることが幾つかあります。そしてまた感じることは、現時点でコロナから病める人々を救ったのは、目に見える医学や科学の力によるところが大きかったとのだろうか。依然として人類がコロナを根本的には克服していないという事実を鑑みれば、コロナから病める人々を救ったのは、究極のところ人々の「愛の業」だったのではないだろうか。そう感じるほどに、目に見えること以上に「心の目」で見ることの大切さを、そして人間を救うことができるのは、人間でしかないのだということを信じる強さを大切にしたと感じます。
みなさんのこの3年間を振り返った際、コロナ禍だったからこそ「心の目」でしっかりと観察し、勇気をもって判断しなければならないことがたくさんありました。そして、みなさんはそのことがしっかりできたという「逞しさ」や「しなやかさ」を備えて、今日、この学び舎を巣立っていきます。この先、「コロナ世代」という言葉が生まれるかどうかわかりませんが、もし、そういった言葉が流布した時には、ポジティブなイメージの言葉であってほしいと願っています。多感な思春期をコロナと共に過ごしたみなさんが、物事の多くを「心の目」で見ることができる、思慮深く、温かく、自らを差し出すことを惜しまない、そんな逞しい未来を築く世代となることを願っています。
冒頭の歴史観を繰り返します。現在は、情報化やグローバル化などの社会の大きな変革の中で、突如として発生した2020年の新型コロナウイルス感染症のパンデミックによる世界規模での危機からも見て取れる通り、世界が連帯して持続可能な社会を作ることが求められ、日本もその一員としての役割を果たさなければならない時代を迎えています。みなさんが、見えないもの、見えにくいもの、急に見えてくるもの、未知なるもの、それらに勇気をもって「心の目」で観察し、世界中が笑顔であふれる未来を、無条件に平和な未来を築くための一員として大きく貢献することを願っています。
札幌光星での学びを糧に大きく羽ばたいてください。
校訓「地の塩 世の光」の聖書のメッセージに適う人間となれるよう益々の精進を期待します。
時には母校に羽を休めに帰って来てください。先生方は、みなさんが成長した姿を見ることを心から楽しみにし、みなさんを歓迎します。
本日は、御卒業、誠におめでとうございます。
今日はみなさんに二つの話をします。
一つ目は、今週、トルコで起こった地震についてです。現地時間の2月6日午前4時17分に、トルコ南東部でマグニチュード7.8の地震があり、現時点で12,000名以上の方々の命が奪われ、5万人以上の方々が負傷しているようです。倒壊した建物が多く、その下敷きとなり、今も救助されていない方々が大勢いて、被害はさらに大きくなりそうです。お亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、ケガをされた方々、家を失った方々に心からのお見舞いを申し上げます。皆さんは、トルコやシリアという国がどこにあって、どんな人々がどんな生活をしているかご存じでしょうか。沿岸部は東京と同じ程度の気温ですが、内陸部では寒暖差が激しく、氷点下になるところもあるようです。インフラが大打撃を受け、住むところや食べるものの確保が非常に困難な中、凍えながら救助を待つトルコやシリアの方々に、我々ができる方法で応援したいと思います。早速、カトリック研究部や生徒会の皆さんから募金活動の相談がありました。皆さんの行動力は本当に素晴らしいです。大変うれしく思います。来週、皆さんの登校時間に生徒玄関で募金活動を行うので、ぜひ、多くの皆さんの温かい気持ちが寄せられるようお願いします。我々日本人も12年前の3月11日の東日本大震災の際には、世界中の方々からの温かい気持ちや物資によって大いに助けられました。世界中で困っている人々を世界中で救う「連帯」を大切に守り抜きたいと思います。
二つ目は、2月も上旬が終わろうとしており、今年度も残りわずかになってきました。今日を除くと今年度はあと25日しか登校日がありません。2週間後には期末試験があり、それぞれの学年を締めくくる時期になってきました。
このタイミングで、皆さんにクラスや部活動や学校での一人ひとりの人間関係について振り返ってほしいと思います。人間ですから喜怒哀楽があり、1200人以上の生徒が在籍している札幌光星学園ですから、相性の良し悪しもあるでしょう。何らかの理由で話しにくくなっていたり、苦手意識を持っていたり、喧嘩状態であったり、恨み合っていたり、一方的に恨んでいたり、そんなつもりがなくても意地悪をしていたり、ひどい場合には複数で「イジリ」と称する意地悪をして面白がっていたり、そんなことはないでしょうか。あるいは自分自身が当事者ではないとしても、そんな雰囲気の仲間が近くにいませんでしょうか。あなたの周りには、欠席が気になるような仲間はいませんでしょうか。
ここで、ルカによる福音書 第6章37~38節を紹介します。
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤(はかり)で量り返されるからである。」
学校生活では人間関係の不調から孤立し、不登校になったり、イジメへと発展したりします。イジメは絶対許されません。そんなことは、みんな分かっていることです。しかし、残念ながらこの学園にも今現在、苦しんでいる人が存在します。「イジメられる方にも原因がある」とは、よく聞く話です。苦しんでいる人に向かって、そこまで冷たく切り捨てられることにもがっかりしますが、仮に原因があったとして、そのことを理由にイジメが肯定されていいのでしょうか。冷たく切り捨てられることが許されるのでしょうか。何の権利があって「その人」を裁き、罪とは言えない罪の償いを「その人」に強いることができるのでしょうか。
ルカによる福音書 第6章41~42節では、こうも言っています。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
私たちは、どうしても自分を基準にしがちです。自分が中心なので、そこから大きく外れるものに対し、違和感を覚え、「それは変だ」と否定的に接してしまいます。本当は、相手を恨み続け、傷付けるようなことをするよりも、相手を理解するように努力し、恨みが解消される未来を予想した方が精神衛生上も良いことが分かっているのに、なぜか悪くなる方を選択してしまいがちです。それが人間の弱さです。素直になれない。優しくなれない。赦せない。本当はその逆を選んだ方が、どれだけ自分自身も楽になることか、心優しい人間としてより多くの人に受け入れられることか、ということを理解していてもそれができない。そんな状況が長く続き、当初は迷いがあった自分の振る舞いを、次第に正当化するようになり、残念ながら善い選択をするための自分自身との対話を諦めてしまいます。こうして後味の悪い思いが積み重なり、さらにひどい状況になると、人を傷付けているという感覚すら麻痺し、自分自身がどうあるべきかを適切に判断することすらできなくなってしまいます。
だから今、勇気を出して赦してほしい。いつまで揉め事の原因を追究しているのですか。それ以上追及して何かが良い方向に解決しますか。例えあなたの赦しが一方通行であったとしても、お互いにいがみ合うよりは赦すことの方が、あなたの心は穏やかに変化を始めるのです。今年度が終わる前に、クラスが変わる前に、ひょっとしたら6年生が卒業する前に、傷つけた相手のことを、傷つけられた相手のことを、赦してください。相手が謝るのを待つよりも、自分から謝った方が何倍も楽になります。どうか自分自身のために、相手を赦してほしいのです。
もちろん、みなさんの中には、赦すとか赦さないとか、そんな難しい状況に関わっていないという人の方が多いのかもしれません。しかし、注意深く周りを見てください。あなたの周りに誰一人、苦しんでいる人がいないといえますか。学校を休んでいる人はいませんか。もしあなたの周りに落ち込んでいる人や気になる人がいるのであれば、一言でいいのです。優しい言葉をかけてほしいのです。優しい言葉をかけることができなかったとしても、そういったチャンスがあったら何とかしてあげたい。そういう心の準備をしていてほしいのです。そんなこともできない、面倒なことに巻き込まれたくない、そんな冷めたこと言わないでください。少々残酷な言い方をします。苦しんでいる人に気付いていながら、何もしないということ自体が、あなたが関わりたくないと思っている意地悪な人と同様に、その相手を苦しめているのです。傷は浅い方が治りやすいものです。取り返しがつかなくなる前に、あの人は今きっとこうしてほしいだろうなということをイメージすること、そしてそうなるように行動することです。
ここまで話しても、今現在、複雑な人間関係のために、心が乱された状態で、なかなか好きになれない「ある人」を「赦す」という気持ちになれない人に考えてもらいたいことがあります。あなたの人生において、この先、どんな人に囲まれて生活していきたいですか。あなたの揚げ足をとったり、妬んだり、意地悪をするような人たちですか。それとも、あなたを励ましてくれたり、そっと寄り添ってくれたり、優しい言葉をかけてくれるような人たちですか。「類は友を呼ぶ」という諺があります。あなたの友だちは、あなたの日常の振る舞いの写し絵です。良い友に恵まれたいのであれば、まずあなたが周囲の人に安らぎや恵みをあたえられる人に変わることです。
「赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。」
わたしたちは、自分が赦されるために、相手を赦すのです。相手の為ではなく、自分の為に赦すのです。どうか、傷つける人ではなく、傷を、痛みを、分かち合える人になってください。こういった振る舞いができる人は、たくさんの笑顔に支えられる人生を送ることができるのです。皆さんが、生涯を通して優しく心地よい空気に包まれながら、穏やかに毎日を過ごしていくことを心から願います。
そして、今、皆さんの中に辛い思いをしている人がいたら、誰にでもいいので、その「辛い」気持ちを話してください。親でもいいし、友だちでもいい、担任の先生、副担任の先生、授業で教わっている先生、部の顧問の先生、保健室の先生、スクールカウンセラーの先生、学年主任の先生、教頭先生、副校長先生、そして、私、どうぞ遠慮なく校長室に来てください。どうしても学校に相談できる人がいなかったら、電話で話を聞いてくれる人もいますし、LINEなどSNSで相談に乗ってくれるカウンセラーさんもいます。みんな困っている人を放っておいたりしません。必ず助けます。困っている人を助けたいと思うのは、人間の本能です。この学校の小さな小さな人間社会での悩みが、あなたの人生を支配するようなことがあってはならないのです。あなたを支える人が、そしてあなたの支えを必要としている人が、今はまだ出会えていないだけで、世界中にはたくさんいます。そのことを忘れないでほしいのです。
今日、話したことを含め、みなさん一人ひとりがいろいろな総決算をして、心を整えて、新しい学年に進んでほしいと思います。
みなさん、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
3年ぶりにコロナによる行動規制のない年末年始を、どう過ごしたでしょうか。ご家族以外にも、祖父母や親戚の方々との穏やかな時間を過ごすことができたのではないでしょうか。とは言え、新規感染者数は高止まりしていることもあり、まだまだすべてを解放できるような状況ではありません。学校再開にあたり、年度末まで学校での活動が予定通りに実施できるよう、引き続き、皆さんのご協力をお願いいたします。
さて今年の干支は兎ですが、干支とはそもそも古代中国で占いや暦に用いられた十干十二支を略したものです。甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の順番で10年10種類からなる十干と、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の順番で12年12種類からなる十二支からそれぞれ1種類ずつを組み合わせで構成されるものです。同じ組み合わせは、10と12の最小公倍数である60年に一度しか来ません。60歳のことを「還暦」と呼びますが、これは生まれた年の干支に還るということです。2023年の干支は「癸卯(みずのとう)」です。「癸」は、十干の一番最後の年にあたります。生命が一巡し、次の新しい巡りへと移りゆくことを意味します。また、十二支の4番目の年となる「卯」は、うさぎがピョンピョンと元気に跳ねることから飛躍や向上を意味します。この二つが組み合わさった「癸卯」は、植物の種がエネルギーを貯めて発芽し、芽吹き、グングンと成長して実り始めるような年になると考えられています。
新型コロナウイルス感染症やウクライナでの紛争に翻弄され、世界中が重苦しい雰囲気に包まれてきたここ数年間からようやく解放され、息を吹き返すような、前向きな、元気な年になってほしいと願います。
6年生の皆さん、2日間の大学入学共通テスト、お疲れさまでした。恐らく「うまくいかなかった」と感じている人の方が多いことでしょう。でも、「絶対大丈夫」です。その理由をこれから3つ話します。
1つ目、そもそも大学入学共通テストとはそういうものです。2日間にわたり、複数科目にチャレンジする形式で、全科目を自分の予想以上、予想通りの出来栄えで終えることの方が奇跡です。
2つ目、うまくいかなかったからこそ、「ここからどうする」をより具体的にイメージしていくことができるのです。多くの受験生が「うまくいかなかった」のですから、ここからが本当の勝負なのです。自分の持ち点や得意科目、不得意科目、試験会場への移動も含めた入試日程などの確認をし、どう勝ち切るか、しっかりと戦略を練り上げ、立ち止まらずに進むことです。これまでも何人もの最後の最後まで走ることを諦めなかった先輩たち、走り切った先輩たちを見続けてきました。皆さんが「もうだめだ」と思う向こうに道があるものです。
3つ目、長いスパンで人生を俯瞰することができるならば、大逆転するのはこの先の二次試験や私大入試ではありません。今はどうしても高校卒業後の進路にこだわってしまうでしょう。しかし第一志望の大学に合格しても幸せになる保証などどこにもありません。常に与えられた環境で誠実にベストを尽くすこと。自分自身の生き方に納得すること。皆さんがそうした覚悟をもって目の前の戦いに臨むことを願っています。
大学受験は、よくマラソンに例えられますが、ちょうど今は37kmを通過し、残り5kmという、もっともキツイところではないでしょうか。恐らく皆さんはフルマラソンを完走したことがないと思います。私はマラソンが趣味で、これまで33回のレースを完走しています。こんなにたくさんのレースに参加しても、いつも残り5kmは、両脚の激痛に苦しみ、もうランニングフォームも滅茶苦茶。「もっと走り込んでおけばよかったな」「この疲れ具合では、目標タイムに届きそうにないな」「30km過ぎからお腹がすいたな。朝食の摂り方を失敗したな」など、たくさんの後悔が頭を過ぎります。そんな私を、同じように苦しそうなランナーが抜き去っていきます。「あの人より早くゴールしたい」「できればあと何分以内でゴールしたい」という欲望や、「次の信号まで走ったら歩こうかな」という誘惑とも戦いながら、悶々とした思いで走ります。そんな心が折れそうになるレース終盤、沿道で応援する人から「頑張れ!」「あと少し!」とたくさん励まされます。見ず知らずの自分を見ず知らずの多くの方が応援してくれる光景に胸を打たれ、我に返ります。そして最後は、他人との競争ではなく、自分らしく胸を張ってゴールをしようと思います。特に去年のレースはコロナの影響で3年間も大会がなかったこともあり、ゴールの瞬間は走らせてもらえたことへの感謝で胸がいっぱいになったことを憶えています。
6年生の皆さん、あなたがどんな格好でゴールしようと、何番でゴールしようと、あなたがあなたらしく走り切ることが大切です。あなたを応援している方々は、心からそう思っています。私は、大学受験に2年チャレンジして、通算成績1勝3敗でした。もちろん第一志望の大学に進むことができませんでした。でも今は、あの時、自分に用意されていた運命を受け入れ、納得しています。そして、その運命を支えてくれた方々に感謝しています。「ぜんぜんうまくいっていない」このレースも、すでに残り5kmを切りました。そして苦しいこのレースにも、必ずゴールがやってきます。今は、このレースの「あなたのゴール」をあなたらしく駆け抜けてください。「絶対大丈夫」です。ここからの人生、何度もレースはあります。皆さんの残り5kmを心から応援しています。受験させてもらえていることに感謝しながら、レースを楽しんでください。
クリスマスおめでとうございます。今年もコロナと共に一年が過ぎ、あと10日ほどで新年を迎えようとしております。生徒のみなさん、保護者の皆様、また日頃から学園を支えてくださっている多くの関係者の皆様、この大変に難しい状況下においても、この一年の本校の教育活動への多大なご理解ご協力、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。おかげさまで、学園全体を通して、昨年、一昨年よりもいろいろなことができるようになった一年であったと感じております。
しかしながら、11月以降の第8波の影響で、北海道では、新規感染者数が1日1万人を越える日が出るなど、残念ながら穏やかではない年末を迎えております。これまでのような具体的な行動制限がない中、どう対応していくべきか不安が尽きず、心身共にリラックスできる日がいつ来るのか、そんな毎日をお過ごしのことと存じます。今も体調に不安を抱えていらっしゃる方には心からのお見舞いを、そして、この状況で医療従事者の方々をはじめ、皆様の生活を守るために懸命に働いていらっしゃる多くの方々には、心からの感謝を申し上げます。
おおよそ3年前に世界を震撼させることとなった新型コロナウイルス感染症という得体のしれない疫病に、当初はロックダウンで抑え込められる、あるいは、ワクチンができれば克服できる、などといった早期終息への予測に淡い期待を抱いた一方、疫学研究の専門家の一部から伝えられた、終息には最低でも数年はかかるとの慎重な見解に、どちらが真実なのかと戸惑い、大きなストレスを感じたことを思い出します。今となっては、慎重派の予測が的中したわけですが、この例からもイメージできるように、我々は、しばしば危機管理能力が低いことで大きなダメージを受けることがあります。「一生懸命に取り組んでいるのだから」「みんなが協力しているのだから」「真面目に忍耐しているのだから」という精神論で、物事が好転していくことを期待し、ある種の信仰に近い感覚で、目前の状況への対処法が科学的に立証されているかのように扱い、足元をすくわれることがあります。また、最悪のシナリオを用意することを敬遠し、トラブルへの初動の甘さを露呈する出来事に見舞われることもしばしばです。コロナ禍において、「同調圧力」「自粛警察」「マスク警察」といった他者批判や憎悪・嫌悪の感情を言い表すワードが流布したことも、確信が持てない混沌とした状況への私たちのストレスの反動であったような気がします。
もちろんコロナに関して、さすがにもう「ぬかよろこび」はないはずです。丸3年が過ぎようとしている、私たちの協同体に深い影を落としてきた疫災から、世界中で「連帯」を再構築することが、新しい年に、そして「アフターコロナ」の世界に、強く求められていると感じます。
カトリック教会では、神の独り子キリストの誕生を思い起こす日として古代からクリスマスが祝われてきました。そしてクリスマス(降誕祭)の4週前の日曜日から、クリスマスをお祝いするための準備を整える「待降節」と呼ばれる期間に入ります。
待降節とは、主の到来を待ち望む喜びに満たされた期間です。私たちは、何かすばらしいことが起きることを心躍らされながら待ち望んでいる時、その時間は、実際に「喜び」が与えられた際の充実感とはまた違った幸福感に支配されているものです。カトック教会では、神様がその独り子キリストを私たちのもとにプレゼントされた「主の御降誕(クリスマス)」をお祝いするための準備期間というだけでなく、神様が再び地上に来られ、私たちに救いをもたらしてくださる、救いを完成されるその時を待ち望む期間が待降節であると考えられています。ですから、必ずいつか到来する救いの完成を待つ「今」を、私たちは喜びに満たされ、そのことを感謝して過ごさずにはいられないはずと考えられているのです。しかし現実の世界では、今年もコロナ禍で多くのことが犠牲にされ、世界に目を向ければウクライナでの悲劇のように、1年近くにわたって死の恐怖と向き合わされているたくさんの人が存在し、身近なところでも日々の生活の苦しさや疎外感に必死になって耐えるしかない境遇の方々がたくさんいます。だからこそ、私たちは、待降節を通し、隣人の苦しみに寄り添う温かな心を持ち合わせ、支え合い、励まし合うことによって生み出される「光」を感じられるようにありたいと願います。自分だけの幸せを要求することのない、分かち合い、「連帯」によって生み出される全人類の「光」を、同じ地平で眺められることによって確信する「喜び」を、身にまとい、クリスマスを迎えたい。心からそう思います。
6年生の皆さんにとっては、勝負の冬休みであり、年末年始の賑やかな雰囲気は封印し、自分を越えるための挑戦を慎重に丁寧に静粛に実行していくことと思います。そして、その行いは、悲壮感ではなく、まさしく「アドベント(Advent):待降節」に象徴される心持ちであるべきです。いかなる結果も、未来は、誠実に立ち向かう君たちに温かな「光」を射すために用意されているのです。心から応援しています。
皆様、ご健康に留意され、どうぞ良いお年をお迎えください。
毎朝正門前で私に挨拶してくださる女性から、二学期が始まってすぐに「先日、光星の生徒さん3人が地下鉄駅構内でアリオに行こうとしていた方に優しく丁寧に道を教えているのを見かけました。素晴らしい教育をされていますね」とお声かけいただきました。札幌光星には、困っている人のためにすすんで働ける生徒がたくさんいることを私は大変うれしく思います。
さて、最近、悲しいニュースが多い中で、今日は明るいニュースから皆さんにお話をしたいと思います。そのニュースとは、元日本ハムの大谷翔平選手がエンゼルスと年俸3000万ドルの1年契約を結んだニュースで、多くの皆さんが驚いたことでしょう。ところで、年俸3000万ドルは、昨日午前の東京外国為替市場の為替レート、1ドル149円20銭で計算すると、44億7600万円です。日本ハムの登録選手114名の今年の年俸合計は37億7930万円でしたので、大谷選手の年俸で日本ハム全選手の年俸をカバーできることになります。また、大谷選手は今シーズン157試合に出場しましたが、年俸が44億7600万円なので、1試合当たりの報酬は、2851万円になります。これは、宇宙旅行(といって宇宙空間に4分間だけ打ち上げられる程度のものですが)にかかる一人当たりの費用と同じくらいの額です。皆さんご存じのように大谷選手は投手と打者の二刀流として活躍していますから、エンゼルスは、投手の大谷選手と、野手の大谷選手に22億3800万円ずつ支払うことになったとも考えられます。すると、大谷投手は、今シーズンの投球回数が166イニングですから、1イニングあたりの年俸は、1348万円1900円になります。これは、普通のジェット機をポケモンジェットに塗装するためにかかる費用と同じくらいです。ちなみに球数は、28試合に登板し、合計2626球でしたので、1球あたりの年俸は、85万2300円になります。これは、エンゼルスの応援のために羽田からロサンゼルスに向かう際のビジネスクラス往復航空券の代金とほぼ同じ額です。打者としては、今シーズン666回打席に入りましたので1打席あたりの年俸は、336万円になります。これは、来月修学旅行で5年生が行く長崎空港へ新千歳空港から6人乗りの飛行機をチャーターした場合の片道料金と同じくらいの額です。厚生労働省が2020年に公表した国民生活基礎調査の報告書によれば、平均年収にあたる全世帯の年収中央値は437万円とされていまので、大谷選手の年俸は日本人の平均年収の1024人分に相当します。また、日本人が一生涯に得られる収入は平均すると2億2000万円程度といわれていますので、大谷選手は1年でその20倍を手に入れたことになります。
もちろん、3000万ドルの年俸からも税金が引かれます。そのことやお金の使い道について大谷選手に質問したところ、「ロサンゼルスは税率が高いので、自分の稼いでいる半分よりちょっと多いぐらいは納めないといけないので。それは納めます。ただ、特に消費するということはあまりない方なので。今のところは(お金は)貯まっていく一方かなと思っています」と答えたそうです。仮に年俸の半分を税金として引かれても約20億円が実際の収入として残ります。あと10年ほど今のペースで活躍すると200億円以上の収入を得ることになります。ちなみに、来年春にオープンするファイターズのホームグラウンドであるエスコンフィールドの建設費用は約600億円です。
ちなみに、税引き後の年収20億円を1年間で使い果たそうとしたら、1日に548万円も使えることになります。先ほど紹介した日本人の平均年収よりも大谷選手の日給の方が高いことになります。これは、一般庶民の私が想像するとても贅沢な暮らしという設定の計算になりますが、1回の食事に3万円かけても1年間で3285万円です。1泊10万円のホテルに泊まり続けても1年間で3650万円です。洋服代に毎週50万円かけても2400万円です。これに高級車2000万円とシーズンオフにリフレッシュ旅行で1000万円、時々は仲間にご馳走し、高級な時計などのアクセサリーを買っても1億5000万円もあれば十分足ります。しかも、あの大谷選手のストイックな野球への姿勢からすれば、必要以上に贅沢な暮らしをしないと思いますので、先ほどのインタビューの答えのように、「お金は貯まっていく一方」なのだと思います。
さて、今日私が皆さんに考えてもらいたいことは、こうして十二分に贅沢な生活が可能な金額の30倍近い年俸で契約をした大谷選手は、たくさんのお金を手に入れたことを喜んでいるのでしょうか。きっとそうではないはずです。年俸の額ではなく、自分自身の成績や偉業への高い評価について満足に感じているはずです。もしそうならば、大谷選手の真の喜びや満足感を満たすための方法が、金額でしか表すことができないという世の中の仕組みに私は違和感を覚えるのです。もちろんそれが新自由主義における平等でシンプルな評価方法なのだと言い切ってしまえばそれまでなのですが、本来、大谷選手の偉業はお金では買えないものです。
5年生の皆さんは、宗教の授業で「人はお金の為だけにはたらくのか」というテーマでディベートを行いましたが、大谷選手は、お金のためだけにはたらいているとは言わないと思います。同じような例として、努力をし、事業に成功し、莫大な富を築いた人が、プライベートジェットを手に入れ、宇宙旅行を実現させ、南の島を丸ごと買うなど、人が羨むような贅沢な暮らしをする。もちろん頑張って事業を成功した報酬として贅沢な暮らしを手に入れることは悪いことばかりではありませんし、努力が評価されることは正しいことであり、我々の成長にとって大切なことです。しかし、少し気になるのは、そういった方々の中に、それだけの贅沢をしても、その何十倍何百倍の財産を持ち、使い道に頭を悩ませ、マネーゲームに巻き込まれ、残念ながら多くの人が幸せになるような使い方をしていないケースがあるということです。もちろん、大谷選手はそのようなお金の使い方をする人ではないと思います。ただ、大谷選手のような大スターや偶然にも幸運を手に入れたような一個人が、彼らの莫大な財産について、相応しい使われ方の判断まで任せられてしまう責任やそのことへの評価、そしてそれに伴うプレッシャーは、相当に大きなものなのではと思うのです。
では、努力や努力によって生み出されたものへの評価として、金額の高い低いに頼らない方法が他に何かあるでしょうか。この問題の答えは一つではありません。ただ、今のところ評価方法がお金しかないと考える人が大多数のため、使い切れない富を手に入れる一握りの大スターや大富豪がいる一方で、努力しても魅力がなかったり、必要だと思われなければ切り捨てられ、日々の生活すらままならず、人間としての尊厳にかかるような状況まで落ちぶれ、耐えがたい苦難を一生涯にわたって強いられている人が、世界中に何億もいるという現実があります。世界中の1%の人が、世界中の富の過半数を独占しているという現実があります。今も8億以上の人が生まれながらにして飢餓と戦っているという現実があります。先ほど紹介した大谷選手の1球あたりの報酬である85万2300円があれば、フィリピンでは小学校を一校建てることができます。皆さんには、こういった社会の仕組みに問題意識を持ち合わせる大人になってほしいのです。大谷選手が、その活躍に見合う十分な贅沢をし、老後の蓄えをし、大切な人にも幸せな生活を保障するだけの報酬を手にした上で、それでも生涯をかけて使い切れないお金が貯まる一方だとしたら、お金がその時々に応じて必要な人に有効に使われる社会になる方法を、皆さんには、考える人になってほしいと思います。そして、そのようなお金の使われ方が恒常化しても、大谷選手の偉大さが、今と変わらない価値をもって未来永劫高く評価される方法を考える人になってほしいですし、世界中の人がそういった考えを持ち合わせるような世の中になるよう行動できる人になってほしいと思います。少なくとも、皆さんが「人はお金の為だけにはたらくのか」という問いに対し、明確に「NO」と答えられる大人になることを願っています。
10月も下旬に入り、日に日に気温も下がり、冬の気配を感じます。6年生は大切な時期になりましたので、体調管理に十分気をつけてください。5年生は楽しみにしている修学旅行が半月後に迫ってきました。いつも以上に風邪などに気をつけ、そしてまだまだ油断できないコロナについても、これまで通りに皆さんで協力し、万全の対策をとっていきましょう。
みなさん、こんにちは。今日で一学期が終わります。中学生は昨日の遠足、そして、今日は学年ごとに新聞記者の方々との活動や近代美術館訪問、大学教授のオンラインでのミニ講義受講など、普段できない学びを体験したことでしょう。高校生は、月曜日から学年ごとのスポーツデイでいい汗を流しました。7月の光星祭で作ったクラスTシャツに袖を通し、一致団結した行事になったのではないでしょうか。
6年生にとっては、今日が最後のクラス行事になりましたが、この仲間とともに、この先も第一志望に向けてしっかりと戦い抜きましょう。その他の学年の皆さんも、それぞれの学年の折り返しを迎えます。学習面では、一学期総合成績から浮かび上がる一人ひとりの課題に正面から向き合ってください。それ以外にも、クラブ活動や習い事、あるいは家族や友人との関係など、それぞれに達成できたことや、これから諦めずに取り組んでいかなければならないことがあったはずです。明日からの4日間の秋休みは、自分自身の「作戦会議」を行い、進むべき方向の微調整をして二学期をスタートさせましょう。
さて秋休みが終わり、学校が再開する来週月曜日に今年度の文化講演会が行われます。今年は、アテネオリンピック、北京オリンピック、ロンドンオリンピック、リオデジャネイロオリンピックの4大会に連続出場を果たし、4つのメダルを獲得した元水泳選手の松田丈志さんです。松田さんは1984年に宮崎県延岡市に生まれました。4歳で地元のスイミングスクールに通い始め、その時から現役引退までの28年間、久世由美子コーチから指導を受けてオリンピックのメダリストになるほどのご活躍をされた方です。スイミングクラブといっても小さな街で活動資金も十分にない中での運営で、中学校の屋外プールを借り、後に冬の寒さに子供たちのことを可哀そうに感じた地元の方々が協力してプールをビニールハウスで覆った、そんな質素な施設からオリンピックで4つのメダルを獲得するアスリートが誕生することになった松田さんと久世コーチの28年間の物語は、まさしく二人三脚で世界の頂点を目指し、多くの人に感動をあたえ、学ぶべきことも大変に多く、私も今から来週の講演会を楽しみにしています。今日は、そんな松田さんと久世由美子コーチが書いた~夢を喜びに変える「自超力」~という本から、私が心に残った久世由美子コーチのメッセージを2つ紹介します。
1つ目は、「どんな環境でも強いメンタルは育つ」です。
松田選手の活躍を知って、多くの方がビニールハウスのプールの見学に来るようになったそうですが、ちょうどそのような見学者の中に、水泳ではない競技の日本代表メンバーが来た際に、久世コーチは、いつものように小中学生の水泳を指導しながら、「皆さんもプールに入って一緒に練習しませんか」と声をかけたところ、「いやいや、我々は日本代表ですから、この中に加わるのは無理があるでしょう」とやんわりと断ってきたそうです。そこで久世コーチは、ただ見ているだけと、実際にやってみるのとでは、得るものが違いますよと強く勧めると、彼らはしぶしぶといった様子で水に入る準備をはじめましたが、内心は「なぜ日本代表の我々が小学生と一緒に泳がなければならないのか」と納得していない様子だったそうです。ところが、実際に泳ぎ出すと大半のメンバーがぜいぜいと息を切らし、「こんなにキツイものなんですね」とびっくりした顔を見せたそうです。もちろん彼らは水泳の選手ではないので、小学生の練習とはいえ慣れないメニューが辛いのは当然なのですが、ここで彼らに感じてほしかったことは、練習の辛さではなく、場所や環境を選んでいては、せっかくの学びの機会を失うことになるということだったのです。小中学生に混じって練習することに抵抗を感じていたのは、彼らのプライドのせいであり、そうした精神的な垣根を取り払えるかどうかもまた、メンタルを強くするための一つの方法だったのです。この練習の後で、久世コーチは松田さんの普段の練習風景を撮影した動画を見せました。そこにはビニールハウスのプールで小中学生の横のレーンを独り黙々と自分を追い込む松田さんの姿が映し出され、日々恵まれた環境で練習する日本代表のメンバーに大きなショックを与えたのだそうです。
2つ目は、「礼節を欠かさない人間性を養う」です。
久世コーチは、松田さんが4歳の時から彼を預かるようになり、その時点でその後の人格形成を踏まえ、単に水泳だけを教えてはいけないと考え、口を酸っぱくして叩き込んだのが、「挨拶と返事、そして常に感謝の気持ちを忘れない」ことだったそうです。スポーツはたとえ個人競技であっても、自分一人だけで完結するものではなく、コーチやスタッフはもちろん共に練習する仲間や応援してくれる人など、多くの人々と関わり合いながら競技に打ち込むことになります。周囲の人と良好な関係を築くことは、そのまま練習環境にも直結します。人間関係がうまくいかず、常にどんよりとしたムードの中で練習するのと、周囲の人に好かれ、何事にもやりがいをもって臨める環境で練習するのとでは、成長の度合いにも大きな違いがあります。周囲の人とのコミュニケーションがよく取れていれば、トレーニングに有用な情報もどんどん入ってきます。礼節を備え、周囲の人と良好な関係を育むことは、たくさんの人の力を自分の力に変えることになります。久世コーチが、人一倍挨拶にこだわって指導してきた理由とは、まさにこのことなのです。
最後に久世コーチが、指導の折々に好んで口ずさんでいた言葉を紹介します。
夢なき者 理想なし
理想なき者 目標なし
目標なき者 実行なし
実行なき者 成果なし
成果なき者 喜びなし
これは、松田選手のようなトップアスリートばかりではなく、私たちにも通じる言葉ではないでしょうか。目標を掲げ、その達成のためにあたえられた環境に感謝しながら、ベストを尽くし続けることで、心身共に強い自分を作ることになります。これこそが他人の評価に心惑わされることなく、自分自身が納得できる豊かな人生を送る秘訣であると感じます。大きな目標がある人は、それを達成するために必要な時間を逆算して行動計画を立てましょう。久世コーチは同じ本の中で、今はまだ目標が定まっていない人に向けて、「たとえば『いつまでにこの資格を取得する』とか、『次の試験ではこの科目で80点以上取る』といった短期・中期的な目標をもつのもいいでしょう」とも語っています。今日の話をヒントに、みなさんがほんの少し気持ちを切り替えて来週からの二学期をスタートしてくれたらと願っています。みなさんの挑戦を心から応援しています。
おおよそ1か月ぶりにみなさんが揃って登校してきました。残念ながら新型コロナウイルス感染症の第7波の影響で、夏休み前の全校集会同様、放送による集会といたしました。それでも、全国的に行動規制をとることなく、withコロナで生活していくことを選択したせいもあり、過去2年の夏休みと比較するといろいろな思い出を作ることもできたのではないでしょうか。夏休みの初めにはサッカー部が徳島県での全国大会で1回戦を突破する大活躍でした。2回戦も本当に惜しい試合でした。テニス部男子・女子、ゴルフ部、馬術部、囲碁将棋部、ディベート同好会も立派な戦いであったとの報告を受けています。お疲れ様でした。また、吹奏楽部は夏休み中のコンクールで18年ぶりの全道大会出場を決めました。おめでとうございます。6年生は、8月に入ってからも多くのみなさんが夏期講習や自学自習で学校に来ていました。夏休み期間中は3カ年校舎のエアコン工事のため、部活動や学習で、みなさんには少々不便をさせてしまいましたが、みなさんの協力でもう少しでエアコンも利用できるようになります。また夏休みが明けたばかりですが、約2週間後には一学期期末試験となります。もうしばらく、暑い日も続くとは思いますが、気持ちを切り替え、心と体を学校生活に合わせていきましょう。
今日の私の話は、戦争についてです。毎年、夏休み明けの集会では戦争に関する話をしています。戦後77年が経ち、また今年は2月末からのウクライナでの悲劇もあり、戦争について例年以上に考えさせられる年になっています。私を含め、日本人の多くは、戦争を体験していませんが、戦争の恐ろしさを後世に伝える使命は持っています。
私は夏休み中に「長崎の郵便配達」という映画を観ました。札幌では、「シアターキノ」という映画館で上映されていますので、興味のある方は是非ご覧ください。6年生は、昨年、修学旅行で長崎を訪れ、浦上天主堂や平和公園、原爆資料館などで、1945年8月9日の長崎での悲劇について学習してきましたが、この映画も、長崎の原爆投下にまつわるストーリーです。
第二次世界大戦中にイギリス空軍の英雄となり、退官後は英国王室に仕えたピーター・タウンゼント大佐。マーガレット王女との恋が報じられ、世界中から注目を浴び、名作映画「ローマの休日」のモデルになったと言われています。その後、ジャーナリストとなり、72日間の世界一周旅行で、長崎の被爆者に心を寄せるようになり、被ばくした谷口稜曄(すみてる)さんを取材し、1984年にノンフィクション小説「THE POSTMAN OF NAGASAKI」を発表します。タウンゼント大佐の死後、娘で女優のイザベル・タウンゼントさんが2018年に長崎を訪れ、父と谷口さんの思いをひも解いていく姿を追うドキュメンタリー映画になっています。
谷口稜曄(すみてる)さんは、1945年8月9日、16歳の時、自転車に乗って郵便物を配達中、爆心地から1.8km地点の長崎市住吉町で被爆しました。その瞬間のことを谷口さんはこう回想しています。「いつも通りに郵便配達をしていると、兵器工場近くで遊んでいた5,6名の少年たちに『スミテル、おはよう』と声をかけられた。その声を背中にペダルをこぎ出した瞬間、目の前が真っ白になる閃光、その後の爆音で自転車ごと吹き飛ばされ、4mほど先の地面にたたきつけられた。空を見上げると、木の葉のようなものがヒラヒラと舞い降りてきて地面に落ち、動かなかった。よく見ると、ついさっき『おはよう』と声をかけてくれた少年たちで、黒焦げになり、無キズのままの状態で死んでいました」スミテル少年は、激しい熱線により背中と左腕に大火傷を負いました。そして、このまま死んでしまうのではと、死の恐怖に襲われました。しかし、死ぬものか、死んではならないと、自分を励ましていたそうです。しばらくして、騒ぎがおさまったので起き上がってみると、左の手は腕から手の先までボロ布を下げたように皮膚が垂れ下がっていました。背中に手をやってみると、ヌルヌルと焼けただれ、手に黒い物がベットリついてきました。そのまま徒歩で200mほど先の三菱重工長崎兵器製作所住吉トンネル工場へ避難し、女の人に頼んで、手に下がっている皮膚を切り取ってもらい、機械油で体を拭いてもらうなど簡単な手当てを受け、30名ほどと一緒に近くの山へ避難しました。そこから二晩、火傷の痛みとノドの渇きに苦しみながら過ごした後、ようやく救援隊が到着した時、避難した中で生き残っていたのは、スミテル少年ただ一人だったそうです。谷口さんはその後、大村市の海軍病院へ移送され、3年7か月後の1949年3月20日に退院しました。しかし、背中の火傷の影響で、長い間、背中を向けて寝ることができず、腹から胸にかけてのひどい床ずれで皮膚が陥没し、肋骨があらわになり、心臓の動きが皮膚を通していつも見えるような醜い姿になってしまいました。
私がこの映画の中で心に残ったシーンは、谷口さんが、被爆者という風評被害を乗り越え、結婚し、家族4人で海水浴に来た時、5歳の長女が父親の上半身を見て、火傷の跡のケロイドを怖がり、母親に泣きついた際に、「この傷は自分のせいじゃないから、世間にさらすことを恥じることは何もない」と言い切ったところです。
谷口さんは、その後、自分の火傷の写真を多くの人に見せ、核兵器廃絶のための活動を続けました。その写真は「赤い背中の少年」とよばれ、世界中に核兵器の恐ろしさを伝えました。また、谷口さんは2010年5月に 国連本部で行われた核拡散防止条約再検討会議でもこのような演説を行いました。
「私はモルモットではありません。もちろん、見世物でもありません。でも、私の姿を見てしまったあなたたちは、どうか目をそらさないで、もう一度みてほしい。私は奇跡的に生き延びることができましたが、『生きる』とは『苦しみに耐える』ことに他なりませんでした。かつて38万人いた日本の被爆者は今、23万に減りました。私たち被爆者は全身に原爆の呪うべき爪あとを抱えたまま、苦しみに耐えて生きています。核兵器は絶滅の兵器、人間と共存できません。どんな理由があろうとも絶対に使ってはなりません。核兵器を持つこと、持とうと考えること自体が反人間的です。最初の核戦争地獄を生身で体験した私たちは、65年前のあの8月、核兵器の恐ろしさを本能的に学びました。核攻撃に防御の手段はなく、『報復』もあり得ません。もしも、3発目の核兵器が使われるならば、それはただちに人類の絶滅、地球とあらゆる生命の終焉を意味するでしょう。人類は生き残らねばなりません。平和に、豊かに。そのために、皆で最大の力を出し合って、核兵器のない世界をつくりましょう。人間が人間として生きていくためには、地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません。」
谷口さんは、2017年8月に88歳でお亡くなりになりましたが、その1か月ほど前の最後のインタビューでこう語っています。
「私たち被爆者がもし一人もいなくなったときに、どんな形になっていくのか、それが一番怖い。核兵器を持っていない国が、持っている国を包囲し、一日も早く核兵器をなくす努力をしてもらいたい。」
6年生のみなさんが昨年の修学旅行で平和ミサに参加した際に訪問した浦上天主堂。原爆が投下された当時、その地域には12,450名の方が住んでいましたが、一瞬にして約8,500名の命が奪われました。多くの方々が、最後は神様の救いを求めて、教会に集まるように息絶えたといいます。こうした一人ひとりの尊い命が奪われたことを風化させてはなりません。また生き残った方々も、今日紹介した谷口さんのように、自らに何ら責任がないにもかかわらず、地獄のように辛く苦しく、悲しい生涯を送ることになってしまいました。戦争によって人生を滅茶苦茶にされた多くの方々のことも、決して風化させてはなりません。私たちの平和を守るためにも、平和を奪われた方々の無念に報いるためにも、絶対に譲れない一線を懸命に守り抜く決意を改めてしたいと思います。
みなさん、こんにちは。この時間は、夏休み前の全校集会の予定でしたが、新型コロナウイルス感染症再拡大の状況を考え、放送で行うこととします。明日からの夏休み中、みなさん、そして御家族の皆様、くれぐれもコロナに感染しないよう、ご注意ください。はじめに、山崎神父様の聖書朗読です。
コリントの信徒への第二の手紙 9章6~10節
「つまり、こういうことです。惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。『彼は惜しみなく分け与え、貧しい人に施した。彼の慈しみは永遠に続く』と書いてあるとおりです。種を蒔く人に種を与え、パンを糧としてお与えになる方は、あなたがたに種を与えて、それを増やし、あなたがたの慈しみが結ぶ実を成長させてくださいます。」
あらためまして、こんにちは。2週間前、みなさんのエネルギーが結集し、大成功だった光星祭。今年のテーマであった「The Starry Festival」の通り、たくさんのスターが生まれました。それから2週間、コロナ再拡大の兆しの中、みなさんの感染予防への協力のおかげで、影響を最小限に食い止めながら学校を続けることができ、明日からの夏休みを無事に迎えることができました。ありがとうございます。光星祭前夜祭で全国大会に出場する選手の壮行会があり、サッカー部をはじめ、すでに決戦の地へと出発した部もありますが、どうぞ暑さに負けず、光星魂を込め、ベストを尽くしてきてください。また6年生のみなさんは「進路実現のための忍耐の夏」になります。ここで、受験勉強の奥義を教えます。それは、「午前を制する者は受験を制す」です。これは、受験生に限ったことではありません。日常生活のリズムを維持し、やるべきことを午前中に片付けてしまうことで、初めて自由になる時間を確保し、普段できないことにじっくりと取り組むことができるものです。
話は変わります。フランシスコ教皇様は、昨年から7月の第四日曜日(今年は今週の日曜日にあたりますが)を、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」と定め、新型コロナウイルス感染症の影響などで人と関わる機会が減り、孤独のうちに過ごされる高齢者の方々とのより多くの交わりを勧められています。65歳以上を高齢者とした際、日本ではその割合が令和3年度の統計で28.7%と約3割にも上ります。
みなさんの中で、おじいさんやおばあさんと同居している方はどのくらいいるでしょうか。ちなみに日本の三世代家族の割合は11%ですから、おじいさんやおばあさんと一緒に暮らしている人は、統計上は10人に1人くらいということになります。では、半年以上おじいさんやおばあさんと会っていない方はどのくらいいるでしょうか。きっとコロナの影響で頻繁に会うことができなくなった方も多いことでしょう。今日もこうして放送でお話をすることになったように、今年の夏もコロナ第7波の状況下では、おじいさんやおばあさんの家に遊びに行くことや、お盆のお墓参りをためらっているご家庭も多いかもしれませんが、もし夏休みやお盆におじいさんおばあさんに会う機会に恵まれた方は、ぜひ30分程度は直接、話をしてください。中学1年生や4年生は、光星での生活がスタートしてからの4か月間のことを話してください。6年生は、進路への決意表明をしてはいかがでしょうか。その他の学年のみなさんも、学校生活、部活動や学校祭のこと、進路のことなど、お話しすることを少しまとめておくことをお勧めします。あらかじめ話すことを決めておくと話しやすいものです。
残念ながら直接会うことが叶いそうにない方は、暑中見舞いのハガキを送ることをお勧めします。全国どこへでも1枚送料63円です。父方と母方の双方のおじいさんやおばあさんに出しても126円です。あとは、30分から1時間の時間を割いて近況を報告するといいでしょう。この際文章は多少格好悪くても構いません。絵は、あってもなくてもいいんです。おじいさんおばあさんもスマホを使いこなす方が多いので、LINEや他のSNSでメッセージ交換ができる方もいるかもしれませんが、この夏は暑中見舞いにチャレンジしてみませんか。おじいさんやおばあさんが喜ぶ姿を思い浮かべながら、ひと手間かけて暑中見舞いを書いてみましょう。
みなさんの30分のお話や小一時間かけた暑中見舞いで、おじいさんおばあさんは、どんな美味しいお料理よりも心の栄養を受け取ることができます。お正月までの半年を耐え凌ぐことができるのかもしれません。ぜひ、おじいさんおばあさんのために、みなさんができることを実践してください。「受験勉強が忙しくて」なんて情けないことを言わないでください。長い夏休みの間に、30分か1時間もおじいさんやおばあさんのために割く時間もないとしたら、それは言い訳であり、そもそもその大学には合格するレベルにないと判断すべきです。大学入試は、みなさんにとって重大な出来事であり、特別な非日常の出来事でもありますが、どのような非日常の出来事も日常の延長にあり、そこには守られるべき大切な日常であったり慣習であったりがあることを心に留めてほしいと思います。
「思う」「思いやる」ことは大切です。そして、「思い」「思いやり」をいかにして直接伝えるか。「言わなくても分かってくれるはず」ではないのです。「言わなければわからない」ことがたくさんあるのです。血がつながっているからこそ、恥ずかしがらずに、馴れ合いにならずに、直接思いを伝える作業を丁寧に行ってください。
そして、もう一つ大切なことを付け加えます。それは、みなさんもおじいさんやおばあさんからのメッセージを受け取ってください。話を聞くことも「思い」「思いやり」を伝える大切な作業なのです。さらには、そのメッセージの中にみなさんが成長していくための大きなヒントが隠されているかもしれません。
実は、「おじいさんおばあさんが寂しがっているだろうから」「体も(ひょっとしたら心も)弱ってきて心配だから」という相手を思いやって、相手のためにとった行動は、本当はみなさん自身のためになっているのです。
先ほど読まれた聖書にもこう記されています。
「惜しんでわずかしか種を蒔かない者は、刈り入れもわずかで、惜しまず豊かに蒔く人は、刈り入れも豊かなのです。」
「神は、あなたがたがいつもすべての点ですべてのものに十分で、あらゆる善い業に満ちあふれるように、あらゆる恵みをあなたがたに満ちあふれさせることがおできになります。」
みなさんの身近な人に愛情を惜しみなく示すこと、その愛情、そのような気持ちが重ねられることで、みなさんを優しい人に、相手の痛みが分かる人に、多くの人に頼りにされる人に成長させてくれるのです。愛情の種は、蒔けば蒔くほど増えていくのです。
明日からの夏休み、いろいろな予定があり、いつも以上に忙しくなりそうな人もいるかもしれませんが、どこかのタイミングで、心と体をしっかりと休めることも忘れないように。みなさんの夏休みが、みずみずしい思い出に満たされるよう、潤いのある健康な毎日となりますよう心からお祈りいたします。8月19日には、みなさんそろって、元気に再会しましょう。
みなさん、おはようございます。 みなさんの元気な挨拶は、いつも私を清々しい気持ちにしてくれます。今月8日の朝に行われた避難訓練でのみなさんの態度は立派でしたが、その際にご協力をいただいた消防署の方々や火災報知機などの定期点検で来られていた方々が、避難訓練での態度だけではなく、登校してくるほとんどの生徒が気持ちよく挨拶をし、感動したと話してくれました。「挨拶くらいとおっしゃる方があるんですけれども、私は、挨拶さえできない人に、なにができるだろうかと考えています」そう話されたのは、カトリックのシスターで「置かれた場所で咲きなさい」の著者でもある渡辺和子さんでした。みなさんが将来社会に出た時に、お仕事などで数少ないチャンスを活かさなければならない場面や、誰かとのたった1回の出会いで成果が問われる場面や、一期一会の場面で、第一印象は本当に大切です。その瞬間のために、誰にでも笑顔で挨拶ができる習慣を身に着けておくことは、直接「得」にならなくとも、「損」にはたらくことはないはずです。
一昨日の遠足やスポーツデイ、お疲れさまでした。お天気にも恵まれ、少し日焼けをした皆さんの表情からも、楽しく、またかけがえのない思い出作りができたことがうかがえます。コロナもようやく落ち着きつつある中で、感染予防はこれまで通り、しかし学校では、可能な限り皆さんができることを増やしていきたいと考えています。2週間後の学校祭へ向け、生徒会や学校祭実行委員会、部活動やクラスが一致団結し、また素晴らしいイベントになるよう取り組んでいきましょう。
さて、今日は私の話の後でクラブ表彰を行います。激戦を制し、全道大会や全国大会へと勝ち進んだ私たちの仲間を紹介し、その喜びを分かち合い、次なる戦いへ向けてエールを送りたいと思います。ただ、今日紹介するみなさんの何倍もの仲間が、特に6年生は、これまでの間に最後の戦いに敗れ、既に部活動を引退した人も多くいると思います。そして、当たり前の話ですが、全国大会で優勝しない限り、遅かれ早かれ最後の戦いに敗れ、引退する日を迎えることになります。試合には負けたけれど、自分ができることを十分にやり切ったという人もいれば、これまで精いっぱい努力してきたのに思うような成果を収められずに負けてしまった人もいるでしょう。どんなに強いチームでも、どんなにすごい選手でもいつかは負ける。この当然のこととどう向き合うか。実は、そこにこそ、勝ち負け以上に大切なことが隠されています。
ここで、使徒パウロのローマの教会への手紙 5章1~5節を紹介します。
「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、 このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。」
私は、今日の聖書の箇所で、特にこの部分が心に響きます。
「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。」
「希望はわたしたちを欺くことがありません。」
苦難は忍耐を生みます。部活動もそうですし、勉強もそうです。私たちは、何かを得ようとしてチャレンジすると、最初はイメージ通りにできないという「苦難」や「苦しみ」を感じますが、どの道でも成功をおさめる人は、「ここで諦めてたまるものか」という思い、つまり「忍耐」が生まれます。忍耐することによって、技が磨かれ、あるいは学力が上がり、これまでできなかったことができるようになる。これが「練達」です。練達は、自分への自信につながり、部活動ならば堂々と試合に臨もう、勝利を目指してベストを尽くそうという「希望」が生まれます。勉強も同じです。実力をつけ、少しずつ自分が目標とする大学へ挑戦しようとする「希望」が湧いてくるのです。
さて、今現在、もう負けてしまった。あるいは、かつて負けてしまった経験がある人に聞きます。「負けること」を経験した上で、その時、努力によって、「苦難」を通して得た「練達」、「練達」によって身に着けた自信、そして自信に裏付けられたチャレンジしようとする「希望」が、あなたの心の奥底に存在していませんでしたか。そしてその「希望」は、試合に負けたことによって、すべて「0」に戻ってしまったでしょうか。いや、そうではなかったはずです。次の挑戦を支えるための「自信」やあなたの人間性を支える「財産」として、今もあなたの心の奥底に染みついているはずです。もちろん勝負ですから、勝った方が気持ちがいいですし、勝った方が達成感も高いでしょう。しかし、究極のところ、いつかは必ず負けるのです。その時に、本当に大切なことは、みなさんの心の奥底に、自分は自分を高めることができるという「自信」を残すことができたかどうかであるというのが、今日紹介した聖書のメッセージです。
勝負に「勝つ」こと以上に自分自身に「克つ」ことが尊ばれるのは、そういうことです。みなさんが人間的な大きな成長を見据え、与えられた環境でベストを尽くすことを願っています。3年間の部活動に全力で取り組み、今はけじめをつけた人には、もうすでに次のチャレンジがあたえられています。これまでに培った大きな「自信」を、次の大勝負にぶつけてください。みなさんのことを心から応援しています。
皆さん、おはようございます。
本日より令和4年度の学校生活がスタートいたします。昨日の中学校入学式で75名、高校入学式で383名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。先輩、先生、その他たくさんの学園で働く方々は、心より皆さんのことを歓迎します。まだまだ馴れない新生活で不安に感じることも多いと思いますが、私たち光星ファミリーは、皆さんのことを全力でサポートします。ぜひ、頼りにしてください。
今朝も校門の前で皆さんと元気な挨拶を交わすことができました。今日一日を活き活きと生活するためのパワーを受け取ることができました。今年度もこの学園に関わるすべての方々が、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。そんな信頼と安心の場を今年度もみなさんと一緒に作っていきたいと思います。
先月の終業式の際にも先輩たちの大学合格実績について紹介しました。その後も吉報は続き、国公立大学合格は185名(うち現役136名)、東大1名、京大2名、北大28名(現役17名)、難関私立大学にも早慶上理39名、MARCH94名、そして医学部医学科20名という過去最高の実績を残しました。振り返ると、3月に卒業した先輩方は、高校2年3年と新型コロナウイルス感染症に翻弄され、さらに年明けからはオミクロン株でこれまでになく感染の危機に晒されました。1月中旬の入試本番の時期には、災害と呼ぶにふさわしい記録的な大雪の被害で交通が寸断されるなど、大変な思いをして受験を乗り越えていきました。総仕上げを図りたかったであろう1月下旬以降は、皆さんがそうであったように、学校に来ることすらままならず、孤独な戦いを強いられた先輩もたくさんいました。しかし、それらの不安を乗り越えて栄冠をつかんだ先輩たち。自分の目標に向けて、忍耐強く挑戦し続けた先輩たち。光星で過ごした3年間でたくましく生きることの意味を理解し、弱音を吐くことなく、逆境に耐えた先輩たち。大学がゴールではない。校訓「地の塩 世の光」の意味するところは、自らの才能に気付き、その才能を磨き上げ、あなたの才能を必要とする人のために惜しみなくあたえ、平和な社会を作るための一員となることです。「木を見て森を見ず」という言葉があります。見た目のよい一本の木や、美味しそうな実のなっている一本の木に心奪われることなく、それらの木が生きていく支えとなっている森全体を見渡す力をつけなさいということ。何のために忍耐しているのかを洞察する力を持ちなさいということ。自分自身の生き方にゆるぎない自信をもちなさいということです。
新約聖書のマタイによる福音書7章13~14節にもこのように記されています。「 狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており,それを通って入っていく人は多いからです。 一方,命に至る門は狭くてその道は狭められており,それを見つける人は少ないのです。」
簡単に手に入れられるものは、簡単に手から離れていくものです。自分が本当に手に入れたいものを手にいれるためには、それに相応しい努力が必要なはずです。先輩たちの背中を追う皆さんに求められていることとは、まさにそういうことなのです。自分自身の生き様や魂といったものが、簡単に揺らぐことのないよう、しっかりとした土台の上に据えられるよう、目標が達成されるまでの全体像をイメージし、堅実に冷静に取り組んでいきましょう。
光星での学びを通し、ぶれない、骨太の自分作りをしてください。もちろん、そのために必要な忍耐もあるでしょう。しかしそれを支える温かな何かが、札幌光星には溢れています。仲間を、先生を、そして、光星ファミリーを信頼し、皆さんのベストを尽くしてください。
新年度を始めるにあたり、皆さんへの心からのエールを込め、私からの挨拶とします。
大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた6カ年コース86名、マリスコース281名、ステラコース16名、合計383名のみなさん、今お名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星高等学校への御入学、誠におめでとうございます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
本校は1934年の創立から数え、今年の11月で88年の歴史を迎え、皆さんは88期生となります。本校は、これまでに3万名を超える多くの優秀な人財を輩出してきました。本校の歴史は、まさしく先輩方が築き上げた財産の積み重ねによるものです。皆さんも歴史と伝統ある札幌光星高校の生徒として、その名に恥じぬよう、責任と自覚をもって行動してほしいと思います。
さて、この晴れの日に水を差すような話になってしまいますが、今、私たちの目の前に広がる世界は、皆さんにとって何色に映っていますか。明るい色ですか。暗い色ですか。透き通った色ですか。濁った色ですか。恐らくそんなに美しい色ではないという人が多いのではないでしょうか。新型コロナウイルス感染症との戦いが2年以上続いています。皆さんも中学校生活3年間のうちの2年を、学校祭や修学旅行をはじめとした行事、仲間とともに切磋琢磨した部活動など、様々な貴重な青春の場面を十分に全うできず、多くの困難を強いられてきたことでしょう。この2年の損失は簡単には埋められません。この未曾有の混乱の最中、2月末からの許し難いウクライナでの悲劇によって国際平和の絆がもろくも崩れ去ろうとしている現状は、個人の無力さを無理やり押し付けられているようで、失望感を覚えずにはいられません。この二つの大きな出来事の以前からも、我が国は少子高齢化や国際経済力の相対的低下、情報化の負の側面によるコミュニケーションのゆがみを修正できないジレンマ、その他多くの問題が積み重なり、未来についてなかなか明るい展望を持てずにいることが多かったように感じます。「生きる力」とか「生き方」といったキーワードが世の中にあふれているのは、そのことに対し、何かしら前向きになれない閉塞感が、我々を支配しているからなのではないかと考えます。何かを突破したいのだけれども、一歩を踏み出す勇気がなかなか湧いてこない。そんな人もきっと少なくないのだと思います。
先日、2年前に本校を卒業したある大学生が近況報告に学校に遊びに来てくれました。彼女は、首都圏の私立大学に進学したものの、コロナ禍で大学の講義のほとんどがオンライン、将来の夢を叶えようと参加した街作りボランティアの活動も、この2年間でたった2回、顔合わせで集まったことしかなかったそうです。そんな訳で新しい友人もほとんどできずに2年が過ぎてしまい、大学生らしいことを何一つしていないうちに3年生になろうとしていたこの冬、彼女はある決心をしたのです。それは、3年生になると同時に大学では就職活動が始まるという話を聞き、このまま世間知らずで社会に出てしまうことを真剣に悩み、親御さんとも相談し、1年間、大学を休学し、札幌に戻ることにしたのです。
ここまでの話を聞いて、みなさんはこの大学生のことをどんなふうに感じましたか。「コロナのせいで楽しみにしていた大学生活の大部分を奪われたこの女性は気の毒だな」そう思ったかもしれません。確かにそういった部分もあるでしょう。しかし、休学を決めた彼女は、これからの1年間を北海道で街づくりボランティアに参加し、将来は地域開発に携わるという夢のためにじっくりと使っていきたいと、活き活きと話してくれました。自分の夢を叶えるため、休学という選択をした彼女は堂々としていました。もしもコロナがなかったら、自分自身の人生について、こんなに真剣に考えたかどうかわからないとも話していました。
私は、コロナのせいで何もできないという発想から、コロナであっても何ができるのかを探求する姿勢を持ち、勇気ある決断ができた彼女は、この先の人生を「たくましく生きる」という点において、より大きな財産を手に入れたのではないかと感じ、心からエールを送りました。
みなさんにも何らかの夢や希望があるでしょう。今はまだ漠然としているかもしれません。ひょっとしたら第一志望の高校ではない札幌光星に通うことに前向きになれていない人もいるかもしれません。しかし、心を開いて、本校での学びを通し、自分自身の夢や目標を見定め、その実現のために多くのチャレンジをしてほしいのです。この学校には、お互いを大切に思う仲間が、いつも明るく挨拶を交わし、優しい心で支え、成功を願い、応援し合う空気に満たされています。安心して学校生活を送ることができる日々を支えてくれるたくさんの先生方、先輩、そして383名の仲間がいます。3年後には札幌光星ファミリーであったことを誇りに思い、希望の進路へと羽ばたいていくことでしょう。皆さんの夢や目標の実現への道が、困難なものであったとしても、この札幌光星で最後まであきらめず、あたえられた環境の中でベストを尽くすこと。弛まぬ努力を続けることによって、自分にあたえられた才能を丁寧に磨き上げ、多くの人の助けとなる人間になってください。これこそが本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との関わりによってしか実現されず、その関わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校は、生徒がその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、こころから感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これから3年間の御支援と御協力をお願いいたします。
新入生の皆さん、これからの3年間、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。皆さんが3年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。
大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた75名の皆さん、今、名前が呼ばれ、入学が許可されました。札幌光星中学校への御入学、誠におめでとうございます。皆さんの入学を心より歓迎いたします。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
皆さんは、1月10日に行われた本校の入学試験に、たくさんの時間と努力で挑戦し、優秀な成績をおさめて合格しました。何度も話しましたが、札幌光星中学校は、受験をすれば誰でも合格するような学校ではありません。しっかりと合格へ向けて努力し、実力をつけた受験生だけが合格を勝ち取る学校です。自信をもって、堂々と新生活を始めてください。そして何より大切なことは、元気であることです。毎日を明るく楽しく過ごすことです。心と体を鍛え、勉学に思う存分に励んでください。そして、新たな友人と出会い、友情を深め、様々な可能性に目をむけ、力いっぱい活躍してください。札幌光星の先生方は、皆さんの成長のために必要なサポートをしっかりと行うことをお約束します。
皆さんの希望にあふれる今日の晴れの日に、世界では生きる希望を失いかけている人が大勢いることにも心を留めてください。ウクライナでの2月末からの想像を絶する許し難い悲劇。まだまだ新型コロナウイルス感染症が世界中を不安にさせている最中に、胸が張り裂けそうになる出来事が毎日のように報道されています。世界が手を取り合ってコロナを克服すべき時に、一体何をしているのだ。なぜあんなに簡単にたくさんの命が奪われるようなことが起こっているのだ。毎日、激しい怒りを覚えます。遠い日本の地で、その解決のためにほとんど何もできずにいる自分の無力さに腹が立ちます。
ニュースを見た人も多いと思いますが、あの悲劇が起こった1週間後に札幌光星では生徒会やカトリック研究部の生徒が中心となって、ウクライナで苦しむ方々のために緊急募金を行いました。たった5日間で、およそ70万円もの緊急資金を集めることができました。私たちの学校には、困っている人のために進んで手を差し伸べることができる温かな心の持ち主がたくさんいます。一人では何もできないとあきらめずに、一人でもできることを考え、一人ひとりの小さな力が結集すれば何かを動かすことができるのではないかと真剣に考え、行動する、勇気ある人がたくさんいます。今回の募金活動は、悲しい出来事の連続の中で一筋のほっこりとした光を感じることができた瞬間でした。
私たちは一人では生きられません。だからこそ、人と人とが手を重ね、連帯し、世界中が笑顔であふれるために自分にできることを惜しみなく差し出すことで、私たち自身の人生を豊かにすると信じています。札幌光星という学校は、そのことを一番大切にしている学校です。皆さんが本校で学び、目標の大学へ進むことは素晴らしいことです。しかし大学はゴールではありません。大学への道のりも、光星中学校への道のりがそうであったように、決して一人では辿り着けません。多くの方々の支えがあって辿り着いた道、辿り着ける道。だからこそ、多くの人が安心して歩いていくためのサポートを私たちもするのです。皆さんの学びは、世界中の人を支えるための準備である。それが札幌光星の信念です。
本日入学された皆さんには、本校での6年間の中で、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。本校の校訓「地の塩 世の光」とは、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との関わりによってしか実現されず、その関わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校は、生徒がその理想を実現するために心を込めてサポートしてまいります。
保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解、御協力をいただき、心から感謝申し上げます。環境が大きく変わり、まだ12歳のお子様を遠くの学校に通わせること、あるいは親元から離し、寮生活をスタートさせること、何かと御心配なことも多いかと思います。担任副担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。本校は「学校は楽しいところ」をモットーとしております。どうぞ安心してお子様を送り出してください。多くの仲間との関わりの中で、人間味豊かに成長していく姿を毎日楽しみに送り出してください。これから6年間の御支援と御協力を重ねてお願いいたします。
新入生の皆さん。皆さんが6年後に有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しております。