おはようございます。気温が激しく上下するこの頃ですが、窓から時折差し込む陽射しのぬくもりに着実に春が近づいていると感じます。皆様、お元気でお過ごしでしょうか。
カトリック教会ではいま四旬節と呼ばれる時期を過ごしています。イエス・キリストが受けた苦しみと十字架上での死に思いをはせながら、その後に起こったイエスの復活という出来事を喜び祝うための準備を行う季節です。そこで今日の宗教講話は、イエスが受けた苦しみとパウロが味わった苦しみについて話してみます。
聖書の言葉『フィリピの信徒への手紙』2章6~11節
キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。
新約聖書に収められている27の文書の中で冒頭の4文書は、著者名は異なりますが、同じく福音書と呼ばれています。各福音書はそれぞれの文体で、イエスの教えや行動および弟子や周囲の人々の反応を描いています。そして各福音書とも最後の部分で、イエスが人々から拒絶され、神への冒涜者で社会を混乱させる悪人として捕えられ、十字架にはりつけにされて殺され埋葬されたこと、しかし、三日目に復活して弟子たちに姿を現したことを劇的な表現で記しています。
先ほど読んだ『フィリピの信徒への手紙』は、パウロという人が書いたものと言われています。そこには福音書のように、イエスに向けられた人々の反感、最後の晩餐、捕えられ縛られる姿、ローマ総督ピラトによる裁判、死刑の宣告、むち打ち、十字架を背負っての刑場までの道行きとそれを取り巻きののしる群衆、はりつけの刑、死と埋葬、三日目の復活と弟子たちへの出現、などが時系列的にかつドラマチックに叙述されているわけではありません。パウロという人物の視点からとらえられた、イエスの苦しみと十字架上の死、そして復活という出来事の意味が記されています。
パウロは最初からイエスの弟子だったのではありません。最初はイエスの教えや彼が復活したなどという話しをまったく受け入れようとせず、イエスを信じる者たちへの迫害者として記されています。しかし、後に自分に語りかけるイエスからの呼びかけを聞くことになります。彼はそれが復活したイエスとの出会いの体験だったと受け止めて、イエスの復活を信じるようになりました。パウロは、イエスの教えを否定し、キリスト教徒たちを厳しく迫害していた自分を見捨てることなく、ご自分の方から近づいてきたイエスによって包み込まれるような、心がわしづかみにされてしまうような体験をします。そこに神からの働きかけを感じ、イエスという存在そのものをも神的な存在と感じ取っていきます。そして、すでにイエスの復活を信じイエスを救い主として信じていたキリスト者たちと関わるうちに、彼らからイエスの宣教活動のあれこれを学びイエスへの理解を深めていきます。
そして、先ほど読み上げたように、次のような信仰告白をするまでに至ります。イエスは創造主である神から神的な力を与えられていながら、弱さや罪の中で嘆き悲しんでいる人間を救おうという神のご計画に従い、あえて限界を持つ人間の姿をとられ人間として生き、肉体的にも精神的にもたくさんの苦しみを味わわれた。そして、神からの許しやいろいろな恵みが与えられることを願ってエルサレムの神殿で捧げられてきた小羊や鳩や牛などのいけにえのように、自分を殺そうとする人間たちの手にご自身を渡された。この死に至るまでの神への従順に対して、神はイエスを復活させ、イエスを救い主と信じる者たちをも罪に支配された闇の状態から光の世界へと引き上げてくださるのだと。
パウロは、復活されたイエスとの出会いによって、それ以前には見えていなかった神の人間への愛と救いの計画に気づき始めます。無知のために見えなくなっていた自分の眼がイエスによって開かされた神秘体験に力づけられながら、今度は自分の全能力と命をかけていまだイエスを知らない人たちに向かって、イエスが何者であったのか、またイエスを通して示される神の愛と救いの計画がどういうものであるのかを力強く語り始めていきます。
それは苦難の道でもありました。パウロは「コリントの信徒への手紙Ⅱ」11章25節に次のように書いています。「むちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度,難船したことが三度、そして、一昼夜、海の上を漂ったこともある」と。その前後にも、イエスを伝えようとする中でパウロが苦しめられたたくさんの出来事が記されています。しかし、その都度パウロは十字架を背負ってあえいでおられるイエスの姿を身近に感じ、今にも倒れそうに弱い自分をイエスが力づけてくださっていると感じます。だから、「わたしは自分の弱さを誇ろう」とも書いています。苦難の中でも押しつぶされず神様と人々への愛を貫き続けたあのイエスが、いつも自分と一緒に歩いてくださると感じていたからです。
わたしたちも生きていく中でそれぞれさまざまな苦難や労苦を経験していくと思います。病気、心身の不調、自分に向けられる理不尽な発言、裏切り、暴力、挫折、孤独などなど。どうすれば今自分を覆っている闇から抜け出せるか出口がどこにも見えない、誰も自分を助けてくれそうにない、そんな風に感じるようなどん底の時があるかもしれません。わたしは毎日の祈りの時に、つらい時を過ごしている皆さんを想像しながらイエス様に向かって度々祈っています。「イエス様、どうか苦しみ悩む人たちのそばにいてください。彼らがあなたの愛に気づいて力づけられますように。」と。また、「生徒たちが身近にいる悩み苦しみの渦中にある人たちに気づき、寄り添っていける者に成長していけますように、支え導いてください。」と。
おはようございます。元日早々能登半島を襲った大地震で被災された方々を支援するために、生徒会とカトリック研究部が呼びかけた募金活動にご協力ありがとうございました。今後とも、他者のためにできることを惜しみなく提供できる人であってほしいと願います。
さて、光星学園は今年光星商業学校として創立された1934年から数えて90周年目を迎えます。最初はカトリックの男子修道会の一つであるフランシスコ会の修道者であり、同時にカトリック札幌教区の教区長であったキノルド司教様を、創立者にして初代理事長としていただき、また、初代校長も同じフランシスコ会の武宮雷吾神父様に引き受けていただく形で、キリスト教に基づいた人間教育の実践を旗印に掲げてスタートしました。その8年後からは、カトリックの別の男子修道会であるマリア会が経営を引き継ぎました。
そして、フランス革命の大混乱の中で青少年の教育に全力を傾けたマリア会創立者ギョーム・ヨゼフ・シャミナード神父の強固な信仰と熱い教育理念をベースにしながら、今日までカトリック系ミッションスクールとして、また、東京の暁星学園、長崎の海星学園、大阪の明星学園などとともに、マリアニストスクールの一つとして存続してきました。
今日1月22日は、そのシャミナード神父の命日にあたります。今日の宗教講話では、シャミナード神父がよく口にしておられた聖書の言葉の一つをご紹介いたします。『マタイによる福音書』9章17節にある〝新しいぶどう酒は新しい革袋に〟という言葉です。
聖書の言葉『マタイによる福音書』9章14節~17節
そのころ、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「わたしたちとファリサイ派の人々はよく断食しているのに、なぜ、あなたの弟子たちは断食しないのですか」と言った。イエスは言われた。「花婿が一緒にいる間、婚礼の客は悲しむことができるだろうか。しかし、花婿が奪い取られる時が来る。そのとき、彼らは断食することになる。だれも、織りたての布から布切れを取って、古い服に継ぎを当てたりはしない。新しい布切れが服を引き裂き、破れはいっそうひどくなるからだ。新しいぶどう酒を古い革袋に入れる者はいない。そんなことをすれば、革袋は破れ、ぶどう酒は流れ出て、革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする。」
イエスが活動していた時代には、水やワインなどの飲み物は革袋に入れて持ち運ばれていたようで、当時の人々にとって革袋は見慣れた品物でした。作られたばかりの新しい革袋には柔軟性がありますが、長年使っているうちに少しずつ柔軟性が失われ、固くなってゆきます。この古い革袋に、新しいぶどう酒を入れてはいけない、とイエスは話しています。新しいぶどう酒は発酵し続けることで炭酸ガスを発生させ、内側から革袋をふくれさせ、結果的に柔軟性を失ってしまっている古い革袋は破けてしまうこともあったようです。
このように当時の人々にとって身近なたとえを用いて、イエスは「何か新しいことを始めようとするときには、新しい方法が必要になる」ということを伝えようとしました。イエスは、当時のユダヤ人が自分たちは神様から特別に選ばれた民族であり、先祖伝来の律法をしっかりと守っていくことで、他のどの民族よりも優先的に神様からの恵みをいただくことができると思っていたところに、神様はすべての人を大事に思っていてくださるのだということを強調し、律法を知らない他の民族も排除されることはないと力説しました。
そして、保守的なユダヤ人が近づこうとしなかった人たち、すなわち、律法の条文をきちんと守れてないがゆえに罪人のレッテルをはられていたユダヤ人や、ユダヤ人以外の異教徒などとも親しく関わろうとしました。時にはそうした人たちと一緒に楽しく賑やかに食事を共にすることもありました。そうしたイエスの行動は、多くのユダヤ人が眉をひそめるような、理解しがたい行動でした。まさに、誰もが神様の子どもなんだよという新しいメッセージを伝えるために、ユニークで破天荒な方法をとられたのです。
シャミナード神父も、 フランス革命という未曾有の体験をしてきた同国人たちが、古い時代の遺物みたいなもの、もはや意味のないものとして捨てようとしていた神様への信仰や教会制度や修道生活などを、捨て去るべきではない大切なものだと伝えようとして、どういうやり方が人々に一番伝わりやすいか考えました。16世紀から18世紀にかけて、ヨーロッパ諸国には、国王が統治する絶対王政が敷かれていました。そして国土の大部分とそこからの収益を一握りの王族や聖職者や貴族らが我が物とし、彼らの生活を多数の農民や市民たちが貧しさにあえぎながら支えているという、身分差を前提とした政治形態でした。こうした絶対王政は不公平さ不平等さに激しく怒った市民が起こしたフランス革命によって倒されます。そして、フランスでは人々が「自由、平等、博愛」のスローガンの下、近代的民主主義国家体制を作り上げていこうとしました。
高価な生地で作られた祭服を身にまとい、おいしい食材でお腹を満たしているような高位聖職者が、世間の人の労苦や悩みから遠く離れた高い所から何かきれいなことを説教している、そんな教会や司教や司祭たちならもう要らない。そういう人々の思いがあちこちで炎のように燃え上がっていたときに、シャミナード神父は、男女の区別も年齢による差別もなくどんな職業の人も拒まない、それまでのフランスにはあまり見られなかったような新しい信徒のグループを作り上げようとしました。ただ、神様への信仰と、イエスやマリアに倣う気持ちを共有することで結ばれる、そんなグループでした。
パン職人や靴職人、医者や司祭や教師、父親もいれば母親も未婚の男女もいる、シャミナード神父が作ろうとしたのはそんな集団でしたから意見の食い違いなどもありましたが、共に祈りながら、互いに受け入れ合い、支え合って、周囲の人たちがそのときに必要としていることに応えようとしていきました。たとえば、体を売ることで生活の糧を得ようとしていた女性たちに、針仕事などの技能を教える人たちも出てきました。
また、革命の大混乱の中で置き去りにされ、生き延びるために悪事に手を染めざるを得ない状況にあった浮浪児たちを呼び集め、パンを用意し少しずつ読み書きを教え、生きるための知恵や技能を学ぶ機会を与えようとする人たちもいました。そうした働きの中から、シャミナード神父の指導の下に、男女の修道会が創立され、それぞれがいつしか青少年の教育を主たる活動事業としながら仲間を増やし、フランスから世界へと広がっていったのです。
皆さんも、イエスやシャミナード神父のように、現状維持に満足せず、よりよい道を探して新しいものに果敢にチャレンジする勇気を忘れないでください。
おはようございます。今年も雪の季節がやってきました。先週金曜日は今シーズンの初積雪となりましたが、下校時に数センチ積もった湿った雪に苦労した方もいたのではないでしょうか。わたしは九州の出身ですので、毎年冬が近づくと、もう降らなくてもいいのになあと思ってしまいます。でも、札幌の町ですからやはり時が来ると雪が降ります。車のタイヤ交換、除雪用品の準備などは早めにしっかりすませておかないと、いざその時になってあわてふためくことになります。
今日の宗教講話は、そんなことを思いながら、『マタイによる福音書』25章1~13節にある、“十人のおとめ”のたとえの朗読から始めます。
聖書の言葉『マタイによる福音書』25章1節~13節
「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
聖書には、神様からの約束の実現のときを何十年も待ち続ける人の姿がしばしば記されています。旧約聖書の『創世記』に描かれている、ユダヤ人の先祖と称されるアブラハムのエピソードはその代表的なものと言えるでしょう。彼は、妻サラが不妊であったために跡継ぎとなる息子に恵まれていませんでしたが、ある日、自分に語りかける声を聞きます。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民に(しよう)」。この神様からの招きの声を信じて旅立った彼は、カナンの地で25年もの間息子の誕生を待ち続けます。その間、妻サラは自分がなかなか妊娠しないので、夫に女奴隷の助けを借りて子をなしてくださいと頼んだりもします。それでも神様は最終的に妻サラの胎を開かれ、子を宿す喜びを与えられ、二人の跡継ぎとなるイサクが誕生しました。
わたしたちも、誰かとの約束を信じて、あるいは何かを希望し、待つことがあります。1週間くらいはじっと待てるかもしれませんが、1年2年となると不安になります。待ちくたびれて、待つことをあきらめてしまうこともあります。いつ実現するか不確かな状況のなかで相手を信じ切れなくなり、自分であれこれ手を出してその実現の時を早めようとしてしまうこともあります。ちょうど、アブラハムが女奴隷の助けを借りて子をなそうとしたように。
待つことは簡単なことではありません。しかし、信じて静かに待ち続け、そのときを迎えるにふさわしい自分でありたいと願いながら日々を送ることは、とても尊いことではないでしょうか。わたしの好きな時代小説の作家に、もう亡くなられていますが、藤沢周平さんという方がいます。その方の『橋ものがたり』という本に収められている「約束」という話にも、かつて幼なじみと交わした約束を支えに生きる人が出てきます。毎日の苦労に押しつぶされそうになりながらも、8年後に会おうという約束の日を一途に待ちながら生きていく男女が描かれています。今の自分はあのときの約束をしたときの自分ではなくなってしまった、自分はもうあの人に会うのにふさわしくないのではないかと、悶々とする姿も含めて、美しい文章で描かれています。
今日読んだ『マタイによる福音書』は、神様からの救いの約束はいつか実現するから、それがいつ到来してもいいようにしっかりと目を覚ましていなさいということを、”十人のおとめ”というたとえ話の形でイエス・キリストが語っているものです。花婿が到着するのが日中なのか夜なのかその時が明確にいついつだと知らされていないにもかかわらず、その時が必ず来ると信じて、夜中に帰ってきてもいいように十分な予備の油も事前に購入し、しっかりと必要な準備をしていたおとめたちと、あまり良い準備をすることなく漠然と日々を過ごしていたおとめたちが対比して描かれています。
来週の日曜日から、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマスを待つ時、待降節とかアドベントと呼ばれる4週間が始まります。ロータリーのイルミネーションも、クリスマスが近づいていますよ、イエス・キリストを喜び迎えるためのふさわしい準備をしましょうと呼びかける意味で飾り付けられています。毎日コツコツと他者の幸せを願いながら隣人愛の実践に努めている人の心の中に、その愛の心が冷めてしまわないように、心の中のともし火が消えないようにと、イエス・キリストがたっぷりの油を携えて訪れてくれると、わたしは信じています。
試験シーズンです、体調に気をつけながら、皆さんが悔いのないように良い準備ができますよう祈ります。
おはようございます。あっという間に秋も深まり、朝晩の厳しい冷え込みが続くようになりました。標高の高い山頂部や峠道で初雪のニュースも耳にするようになりました。皆さん、いかがお過ごしですか?自転車通学の皆さん、路面の凍結にはくれぐれも用心してください。それから、できればヘルメットの着用もお願いします。
聖書の言葉『ルカによる福音書』10章38節~42節
一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」
わたしたちは日々の生活で、いくつかの可能性の中から何かを選ぶという決断を繰り返しています。たとえば、「寒いなあ、布団から起き出すのどうしようかな、もう少し寝ていようかなあ」とか、「今日はなんか気分が重いなあ、出かけるのよそうかなあ、休んでしまおうかなあ」とか、「あ、おばあさんが両手に重そうな荷物を持ってしんどそうに歩いている。どうしようかな」とか、「今朝は友達がいつもと違って笑顔が少ないなあ、そっとしておいたほうがいいのかな」などなど、次々に起こる出来事に直面しながらさまざまな選択・決断をしていきます。
先ほどのルカ福音書の中で、宣教活動の道中にあったイエスとその弟子たちがマルタとマリアの姉妹の家に迎え入れられた場面が描かれていました。ヨハネによる福音書では、この姉妹にラザロという兄弟もいて、彼らとイエスが知り合いだったことが記されています。ルカが記している場面が姉妹たちとイエスの最初の出会いだったかどうかはよくわかりませんが、姉のマルタはイエスたち一行をもてなそうと精力的に動き回ります。おそらく、手足を洗うための水や手拭きの用意、軽い食事の準備などをテキパキと行い始めていたのでしょう。
来客を迎えるために、心からの歓迎の念をもって喜んで始めていた行動だと思います。でも、妹のマリアがずっとイエスの足下に座ったままで、動き回っている姉に目を向けようともせずイエスの顔ばかり見てイエスの言葉に聞き入っているばかりなのを見るうちに、だんだんイライラしてきます。「この子はわたし一人に走り回らせていて、何も感じないのかしら」、「少しはわたしを助けてよ」、「このイエスさんも妹のマリアに一言声をかけてくれたらいいのに」。
せっかく善い意向を持って始めた行動だったのに、まっすぐにそれに集中できなくなり、他人と自分を見比べたりしてあれこれ余計なことに気を散らしていき、最後には元々なかったはずの猜疑心、苛立ち、怒りなどが心の中に巣くうようになっていくマルタに向かって、イエスは静かに語りかけます。「マルタ、マルタ、あなたは今あれこれ気持ちが乱れてしまっているのではないですか。最初の気持ち、お客を喜ばせようという気持ちに専念していたらよかったと思うよ。マリアは彼女にできる精一杯の歓迎の気持ちを、わたしのそばから離れず耳を傾けようとする態度で示し続けていると思うよ。」
マルタの中に起こったことは、もしかしたらわたしたちにも生じやすいことかもしれません。何かの行動を選択する際、最初から最良の答えが見えていないことが多いから、この決断でよかったのかなあ、あっちの方が正しかったんじゃないのかなと不安になるかもしれません。あれもしなきゃあ、これもしなきゃあと限られた時間の中で立ち往生してしまうこともあるかもしれません。周りの反応が気になって最初の決意が鈍ることもあるかもしれません。
今日読んだマルタとマリアの話は、日々の勉学や部活動において、自分が良かれと思って決断したこと、取り組もうとしている目の前のことに、集中して取り組んでいくことの大切さと、それが容易くないことをも教えているように思います。
また、最後に一言付け加えておきたいのですが、マルタは自分の中でふくれあがっていこうとする邪念をイエスにぶつけたことで、自分をふり返るきっかけをつかむことができ、邪念に飲み込まれないですんだとも言えるのではないでしょうか。何かうまくいかないなあと感じるとき、怒りなどの感情がわいてきたとき、耳を傾けてくれそうな人にその感情を吐露してみる相談してみることで、何か解決の糸口が見つかるかもしれません。
おはようございます。もうすぐ一学期が終わり、秋休みをはさんですぐに二学期が始まりますね。あんなに厳しかった猛暑の日々も過ぎ去って、朝晩は肌寒さを感じるほどになっています。また、周囲ではインフルエンザの流行の気配が見え、新型コロナウィルスへの用心とも併せて体調管理に注意が必要な状況が依然として続いています。皆さん、いかがお過ごしですか。
ところで、品薄のため高値がついていてなかなか簡単には食べられない食品もありますが、この時期は、いろんな種類の秋の食べ物をおいしくいただける季節ですね。季節を感じさせる果物、野菜、魚介類などをいただくとき、幸せだなあと感じます。育ててくださった方、収穫してくださった方、産地から運んでくださった方、調理してくださった方、一つの食品がわたしの口に入るまでにどれほどの人の手を通ってきたのだろうかと思いをはせるとき、とても感慨深いものがあります。そして一緒に食卓を囲む家族や友人が、おいしさをより一層増してくれていると感じるとき、平和であることへの感謝の思いもより一層強まります。
聖書の言葉『マタイによる福音書』25章31節~40節
人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
2000年12月4日、国連総会は毎年の6月20日を「世界難民の日」とすることを決議しました。難民の保護と支援に対する世界的な関心を高め、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)などの国連機関やNGOによる活動に理解と支援を深める日にすることを意図したものでした。その後、善意ある協力や寄付金などの支援がなされてきましたが、まだまだ十分ではないようです。2023年の半ばに世界人口は80億4500万人を超えましたが、そのうち、戦争や紛争などによる危険から命を守るために故郷を離れざるを得なかった人たちの数が、全世界で1億1000万人にも上っていると言われています。ウクライナでの戦争、コンゴ民主共和国やミャンマー、あるいはスーダンなどでの紛争、さらには気候変動などが引き起こす甚大な自然災害や食糧危機、迫害や人道危機など、その原因はいろいろあり、難民の数はなかなか減りそうもありません。
カトリック教会でも、1970年に時の教皇パウロ六世が9月の最後の日曜日を「世界難民移住移動者の日」と定めています。今日に至るまで、おもに滞日・在日外国人、海外からの移住労働者、定住・条約難民、外国人船員や国際交通機関 の乗組員とその家族のために「祈り・協力・献金」を捧げましょうと呼びかけられています。
こうしたさまざまな呼びかけがわたしたちの心を揺り動かし、実際に外国の難民キャンプに出向いて医療支援などの活動に従事する日本人もおられます。折々の募金の呼びかけに応えて熱心に寄付をされる方々もたくさんおられます。素晴らしいことだと思います。先週のモロッコ地震やリビアの大洪水による被災者のための募金にもたくさんの方が協力してくれたと聞いています。ありがとうございました。
そのいっぽうで、難民として国を出ざるを得なかった人たちが日本に当面の安らぎの場を求めたいと思っても、日本にはなかなか簡単には受け入れてもらえない状況もあると指摘されています。すべての人が、生まれ育った場所で安らかな人生を送る権利を持っていることを皆が認め合い、実際にそういう状況を実現できるよう協力し合いながら、それが奪われたときは周囲の国々が温かく迎え入れていく、そんな社会に向けてわたしたちも努力していきたいものです。
今日の朗読箇所には、いつかわたしたちの生き方が神様から審判される日が来るとするならば、そのときの裁きの要点はただ一つ、わたしが小さい人たち、弱い人たちを受け入れようとしたか否か、手を差し伸べようとしたか否か、愛そうとしたか否か、そこに尽きるのだ、というイエス・キリストからの強烈なメッセージが込められています。
誰もが雨風を防ぎ暖をとることのできる住処を持ち、そこで大切な人と食事や休息をともにすることができる安らかな日が実現することを願いながら、最後に現教皇フランシスコが唱えた祈りを紹介して、今日の宗教講話を終わります。
全能の父なる神よ。
正義、連帯、平和のために 精一杯働く恵みをお与えください。
あなたのすべての子どもたちに 移住するかとどまるかを選択する自由が保障されます
ように。
世界中の野蛮な行為をことごとく糾弾し あらゆる不正義と闘う勇気をお与えください。
それらは、あなたの被造界の美しさと わたしたちの共通の家の調和を歪めるものです。
あなたの霊の力でわたしたちを支えてください。
わたしたちの歩みの途上であなたが出会わせてくださる移住者一人ひとりに
あなたの優しさを示すことができますように。
そして、出会いとケアの文化を 人々の心とあらゆる場に広めることができますように。
(ローマ、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂にて 2023年5月11日)
おはようございます。皆さんの中にはこの夏休みの間に、部活動でインターハイなどの大会参加のために、あるいは受験の下見のために、あるいはボランティア活動や家族のだんらんのために、あちこちに旅行された人もいると思いますが、暑くて大変ではなかったですか。夏休みは終わりましたが、札幌でもまだしばらくは暑い日もあろうかと思います。どうぞ体調に気を配りながら頑張ってください。
聖書の言葉 『マタイによる福音書』9章25節~10章4節
イエスは町や村を残らず回って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いをいやされた。また、群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。そこで、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。十二使徒の名は次のとおりである。まずペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、フィリポとバルトロマイ、トマスと徴税人のマタイ、アルファイの子ヤコブとタダイ、熱心党のシモン、それにイエスを裏切ったイスカリオテのユダである。
生徒の皆さんは、自分の将来の姿を現時点でうっすらとでもイメージできていますか。こういう価値観を大事にしていきたい、こういう人間になりたい、こんな仕事を通して人の幸せに貢献していきたい、などという感じに。自分はまだ先のことは思い浮かべられません、という人が多いかもしれませんね。いずれにしても、自分が今後どんな風に生きていこうかと考えるときには、誰かの影響を受けながら決めることは割と多いのではないでしょうか。実際にその人と接する中で、その人の生き方にあこがれて自分も後を追いかけていくというようなケースはよく耳にします。本などを通して触れた誰かの言葉や生き方に触発されて生き方の手本にする人もあるでしょう。
前回6月の宗教講話の中で、ガリラヤ湖のほとりで網の修理か何かをしていた漁師のペトロたちがイエスからの不思議な呼びかけに応えて後をついていき、イエスの弟子となっていく場面を取り上げました。覚えていますか。それは、まさに一つの出会いが人生を大きく変えていく代表的な例と言えるでしょう。
今日読んだ箇所は、イエス・キリストが自分の周りに呼び集めた弟子たちに何をしてもらおうと考えておられたのかということについて書かれていると思います。イエスの目には、当時のユダヤ人社会の中で、病気や貧しさなどのために生活するのが困難な状況にあり、安らぎや希望を持てないで意気消沈しているような人たちがたくさんおられるように見えたのでしょう。今日生き延びるためにどうしのげばいいのか、何を目指して生きていけばいいのかよくわからないまま、希望もなく暗い表情で生きている人たちが多いと見えたのでしょう。助けを必要としているたくさんの人たちがいると思えたのでしょう。
イエス自身も、積極的に貧しい人や病気の人に近づき、手を差し伸べ、病気が治るように、生きる意欲を見出せるようにと関わり続けておられました。また、社会の中で悪者・罪人みたいなレッテルを貼られのけ者扱いにされる人たちを友と呼び親しく交わっておられました。それを自分の弟子たちにも行うようにと求めたのです。わたしがあなた方を呼んだのは、あなた方が豊かで安定した生活、快適な暮らしを手に入れるためではないよ、あなた方の周囲にいる名もなき小さい人々のために汗を流してもらうためなんだよ、と。
イエスの弟子たちに最初からそうした覚悟はできていなかったとは思いますが、イエスと行動を共にし、イエスの手本を間近に見ていくうちに、少しずつその意識が強められていったと思われます。
イエスの弟子たちの後に続く時代にも、このようなイエス・キリストからの呼びかけの言葉は、聖書の言葉を通して、あるいはそれを実践しようとしている人たちの行動を通して、各時代に響き渡ってきました。本校の卒業生の中にも、イエスが自分に向かって「わたしについてきなさい」そして「わたしと一緒に、助けを求めている人たちのために働きなさい」と呼んでおられると感じて、マリア会などの修道会の門をたたいて修道生活を送られた方もいました。またカトリック札幌教区で司祭となって人々のために働くんだと思い定め、司祭の道を歩まれた先輩方もおられます。司教様にまでなられた方もおられます。今も、現役の教区の司祭として働いておられる神父様がお二人いらっしゃいます。
さらにもう一人、来年3月20日にカトリック北一条教会で札幌教区の司祭になる式に与るために、東京で最後の準備の勉学に励んでいるОBの方もおられます。1995年3月に卒業された第58期生の千葉充さんです。教会などで人々に奉仕するために司祭としての生き方を選ぶのは、イエスの弟子たちの時代以来、とても意味のある生き方だと思われてきましたが、近年はこの道を選ぶ人が少なく教会にとって大きな課題です。千葉さんが元気にその道を歩き続けられるよう、皆さんからのお祈りをお願いしたいです。ついでに、願わくば千葉さんの後に続く人が増えてくれたらなあとも祈り願っています。
修道士や司祭の道を選び生きていくことはなかなかむつかしいかもしれませんが、社会人として普通の仕事につきながら、結婚して家庭を築きながらも、「地の塩」「世の光」として生きることはできると思います。あなたの灯を、たとえ小さくとも、周りの人たちの足元を照らせるようにと、自分のいる場所で灯し続けてほしいと願っています。
おはようございます。皆さんお元気ですか。新型コロナウィルスの感染者がまた増加傾向にあるそうですので、どうぞご用心ください。
さて、このところ3年続けて6月の宗教講話は29日に設定させてもらっています。ちょうどキリスト教の発展の基礎作りに多大な貢献をした二人の人物、使徒ペトロと使徒パウロを記念する日に当たっていますので、今日もまたペトロやパウロを中心に、とくに彼らが始めてイエスと出会ったころの様子について話してみます。
聖書の言葉『マタイによる福音書』4章18節~22節
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのをご覧になった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのをご覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。
聖書学者たちの見解では、イエスの宣教活動はわずか3年ほどの期間ではなかったろうかということです。聖書では、創造主である神とその愛について宣教して回るイエスの周囲には多い時には70人ほどの弟子が行動を共にしていたとの記述もあります。ただ、イエスはそうした弟子の中でもペトロやヤコブ、ヨハネやアンデレを始めとする12人は特別に使徒と呼び、身近において大事に育てようとなさっていたようです。
先ほど朗読したのはその4人が初めてイエスから声をかけられる場面です。ガリラヤ湖のほとりの村に住み、小舟を漕ぎだしての網による小魚獲りの漁師として生計を立てていた二組の兄弟が、通りすがりのイエスの不思議な呼びかけに、親や小舟や網をその場においてイエスについていこうとしています。このときペトロはすでに結婚していたようですから、彼は奥さんまでもあとに残して、まだよく知らないイエスについていこうとしています。もちろん残りの人生すべてをかけてイエスについていこうと決断したわけではなかったかもしれません。イエスという人物へのほんのちょっとした好奇心から、午後の数時間、あるいは数日間でもこの人の話を聞いてみようかなと思ったくらいだったのでしょう。
また別の弟子のケースでは、徴税人の仕事をしていたマタイという人に向かっても、イエスが「わたしに従いなさい」と呼びかけたところ、マタイはすぐに立ち上がってイエスに従ったと、先ほどと同じ「マタイによる福音書」9章9節以下に記されています。いずれの場合でも、もう子供ではないある程度の分別をもった年齢に達していた人たちが、通りがかったイエスから自分に向けられたまなざしと呼びかける言葉に心を惹かれてあとについていこうとします。それくらいイエスから発せられるオーラみたいなものがすごかったと言えるかもしれません。ともかく最初はほんの数時間のつもりが、一晩たち二晩たち、イエスから語りかけられる言葉の数々、イエスの行動のユニークさに触れていくうちに、ますますその魅力に心をとらえられていき、いつしか離れがたく感じていったのだと思います。
そうは言っても、イエスに一番信頼されてる弟子はどの人だろうかとか、自分たち弟子の中で誰が一番立派な人間だろうかとか、お互い同士の間でひそひそと比べあったりすることはめずらしくもなかったようです。ときには、こんなにすべてをおいてあなたに従ってきた自分たちはどんな見返りをいただけますかとイエスに迫ったりするような人間臭い面もいっぱい持ち合わせていた弟子たちでした。イエスへの理解度はスムーズに深まっていったわけでもありません。イエスが反対者たちの手によって捕らえられ、重罪人として裁かれようとしたときには、先生であるイエスを見捨てて自分の身を守ることに必死になる弱い部分も見せてしまうペトロたちでした。
パウロの場合は、幼いころからユダヤ教の伝統にのっとった勉学にいそしんでいたようで、イエスの宣教活動に対しては、イエスの教えの中にある伝統的な枠に収まり切れない新しさに対して否定的な姿勢を見せていたものと思われます。イエスの教えやそれを信奉する弟子たちに対して批判的立場から迫害しようとします。イエスの十字架にかけられての処刑に際しては、激しく賛同して、「イエスを殺せ、殺せ」と叫んでいた群衆の一人だったかもしれません。しかし、あるとき自分の名を呼ぶイエスの声を耳にして、彼の人生は一変していきます。それまでのイエスやその弟子たちへの理解がガラガラと崩れ去り、新しい理解が芽生えていきます。イエスと本当の交わりが始まっていきました。そしていつしか、激しい敵対者から熱心なキリスト教の伝道者へと変わっていきました。
わたしたちは新しい出会いや発見を何度も経験していきます。一瞬で相手の魅力に心奪われたり、失望したり、何かのきっかけでそれまでの印象が大きく変わったりすることもまれではありません。心揺さぶられる出会いを経験しながら、同時に進学を念頭に置いた日々のたゆまぬ勉学も求められる学生生活を生きていくことは決して楽ではないだろうなと、かつての自分を振り返りながら思ったりもしています。
わたしについてこないかとイエスから呼びかけられた者たちも、日々悩みながら、ときには大きな失敗を経験したりしながら、でも自分たちに声をかけてくれたイエスのあたたかさに導かれ、また隣にいる仲間たちにも励まされながら、少しずつ成長していったのだと思います。大事に見えるものがいっぱいある中で、本当に人生をかけて追い求めていく価値のあるものは何なのか、試行錯誤しながら探し求め、それを見出したと感じたら、それを命がけで守り抜いていく、そしてその大切な人・大切なことのために命を懸けても惜しくないと思う、そんな人生もあることをペトロやパウロたちの生涯を黙想しながら考えています。
おはようございます。今週は高校生はインターハイ期間として特別時間割が組まれており、また来週末からは一学期中間試験が控えているということで、なんとなく気ぜわしい感じになっているのではないかと思いますが、皆さまお元気ですか。
さて、カトリック教会では毎年4月を中心にイエス・キリストの十字架上での死とその後に起こったイエスの復活の出来事を記念していますが、それに続く5月を聖母月と呼び、イエス・キリストの母である聖母マリアを記念する伝統があります。それで、私も5月の宗教講話では新約聖書中の聖母マリアが登場する箇所を選んで朗読し、聖母マリアに関連する話を行ってきました。
今日はルカによる福音書2章41~52節の「神殿での少年イエス」をお読みし、イエスの母親としてのマリア様の姿に思いをはせてみたいと思います。
聖書の言葉『ルカによる福音書』2章41節~52節
さて、両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておら
れるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
イエスが生きていた頃のエルサレムは、現代のようにユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地として世界中から巡礼者や観光客が大挙して訪れるような状況ではなかったでしょうが、それでもユダヤ教の壮麗な神殿があり、春夏秋の大きなお祭りのときには熱心な信徒たちが各地から巡礼団をしたててエルサレムへ向かったようです。とくに春の過越し祭の時は一番の賑わいぶりだったと言われています。
ですから、同行している仲間が人ごみの中で離れ離れになる事態も珍しくなかったでしょう。イエスと彼の両親ヨセフとマリアたちは自分たちが住んでいた町ナザレから都であるエルサレムまでの約130~140キロの道のりを数日かけて野宿しながら巡礼したと思われます。この年もいつものように神殿での捧げものや礼拝を終えてナザレに戻ろうというときに、イエスが両親と離れてしまいます。イエスが12歳になっていたので両親も手をつなぐこともせず、集団のどこかにいるだろうと考えてあまり心配していなかったのかもしれません。1日分の行程を行って野宿しようとしてようやく我が子の姿を見失っていることに気づいた両親はあわてて探しまわります。さぞかし心配だったことでしょう、最悪の場面も両親の頭に浮かんだかもしれません。必死に名を呼び探しながらエルサレムまで戻り3日目にようやく見つけます。
しかしその時のイエスは両親を見失って泣きべそをかいていたわけではありません。自分が捜されていることなど思ってもいないかのように、大人たちに交じって何事かを堂々と語り合っていました。母親のマリアはイエスをつかまえて叱ります。「なんてことをしたのです。お父さんも私もどれだけ心配したと思っているのですか」と。親なら、母親なら当然のことでしょう。この真剣に我が子イエスを思うマリアの心は、十字架にかけられたイエスからの切なる願いにこたえる形で、彼女を母と慕う多くの人たちに今でも向けられているとカトリック教会では信じています。
ところで、「どうして捜しまわったのですか。わたしが自分の父の家、神様のおられる神殿にいるだろうと思わなかったのですか」というイエスからの返答は両親をとまどわせます。母親のマリアにもすぐには理解できない言葉でした。それでも、マリアは我が子のうちに神様との何かとても親密な絆が育っていることを感じとり、いつか神様がこの子に何か特別な呼びかけをする時が来るかもしれないことを胸の内に刻んでいきます。母と子という濃い人間の結びつきであろうとも、自分はイエスの所有者ではない、神様がイエスのうちに生きていてイエスを生かしていってくださる、この気づきはマリアを成熟させていきます。イエスがいつか神様からの呼びかけに答えるために自分たちの手から離れていく日を覚悟して待ちながら、イエスのために祈り愛情を注ぎ続けていきます。カトリック教会では、マリアが今でも神様からの使命に誠実に答えようとするわたしたちのために祈ってくださると信じています。
今週土曜日は学園聖母の祝日となっています。マリア様が光星学園に集うわたしたちの歩みを見守ってくださるように、そして、わたしたちが道を踏み外さず、イエスを手本として神様の望む道を歩いて行けるように導いてくださいと、皆さんのためにお祈りしています。
おはようございます。今年度最初の宗教講話の時間です。今年も宗教講話の時間は、基本的に皆さんがお持ちの新約聖書の中からどこかの箇所を選んでお読みした後、短い話をいたします。今日お読みする聖書の箇所は、先週の始業式の時に読ませていただいた新約聖書の『ルカによる福音書』6章41~42節のところをもう一度取り上げてみます。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。自分の目にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、『さあ、あなたの目にあるおが屑を取らせてください』と、どうして言えるだろうか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる。」
新しく光星中学1年生、光星高校の1年生となった新入生の皆さん、入学式の日から2週間が経ちました。緊張感の中でいろいろと新しい経験をしていることと思いますが、いくらか学校に慣れましたか?その他の学年の人たちはいかがですか?元気に新年度をスタートできましたか?
今年は例年になく雪解けが早いと感じていましたが、桜の開花も記録的な早さとなりました。山桜に続き、正門そばのソメイヨシノも来週には満開になりそうです。さて、皆さんはそれぞれの願いや期待を胸に抱いて光星学園に集まってきていることと思いますが、光星での学園生活が、皆さんにとって喜びや出会いの機会となったり、皆さんの内にある夢や可能性が大きく花開く場となってくれたらいいなあと願っています。
先ほどお読みした聖書の箇所は、新しい環境で新しいスタートを切ろうとしている皆さんに味わって欲しくて選びました。この光星には1,300人ほどの生徒が通っています。いろんな人がいて、それぞれ個性的です。自分より優れた人が多いように見えて萎縮してしまいそうになってませんか?あるいは、周りの人のイヤな部分が気になって心穏やかでなくなっていませんか?わたしたちはついつい自分と周りの人と比較してああだこうだと考えがちです。誰かとの比較の中で自分を評価して、時にホッとしたり時に落胆したりすることは多いかもしれません。
イエス・キリストの時代にもそういった人間の傾向は見られたのでしょう。イエスも先ほど読んだ箇所でそのことに触れます。他人の欠点やイヤなところはとても目立って大きく感じることが多くて、それを改めるようにと指摘してしまいたくなるかもしれない。でも、実はあなた自身の中にも同じように不完全なところや周りの人をいらだたせるようなところがあるんだよ。だから、他人を非難する前に、まず自分自身はどうだろうかと振り返ってみなさいと、イエス・キリストは教えます。
しかし、イエスは誰かの欠点を見つけたらそれを指摘して変えるようにと迫る前に、自分にも似たようなダメな部分があるから口をつぐみなさい。余計なことは言わないほうが身のためだよ、と諭しているのでしょうか。あるいは、人の振り見て我が振り直せ、のことわざのように他人の欠点を見るときは自分の反省の機会にしなさいと教えているのでしょうか。先ほどの「そうすれば、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる」というイエスの言葉からは、もう少し違うニュアンスが伝わってくるように感じます。自分自身の不完全な部分、自分の中にある認めたくないダメなところも含めて、しっかりと見つめてみなさい、そうすれば周りの人に対する言葉遣いも変わり、一方的な非難とか高飛車な物言いとかではなく、弱さを知っている者としての謙虚な言葉がけとなって、相手が素直に耳を傾けてくれるようになっていけるよ、そしてあなたの願うように相手がその直面している問題から解放される手助けをしてあげることができるよ、と教えているように思います。
何かを考えたり行動したりするときに、どうすれば自分が恥をかかなくて済むのか、自分自身の向上につながっていくのか、そうした自分を中心においていく生き方もあると思います。イエスの場合は、自分の学びや成長それ自体が目的ではなく、最終的には周りの人を幸せにするために、何ができるかを考えていこうよと呼びかけているように感じます。わたしたちに備わっているいろんな能力は周りの人を幸せにするために発揮されるときに光り輝いていくんだよと招いているように感じます。
イエスは『ヨハネによる福音書』12章24節でこう語っています。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。これは周りの人を勇気づけ、笑顔にするために労をいとわず働き続けたイエスの、最終的にはそうした言動に対するいわれのない非難によって科された十字架刑を受け入れられるところまでまっすぐ貫かれたたイエス自身の生き方を言い表した言葉です。と同時、に自分の後に従おうとする者たちに求めた生き方でもあります。光星で学ぶ皆さんの言葉、表情、姿勢が、自分の周りに少しずつあたたかい空間をつくり広げ、誰かを笑顔にしていってくれたらなと願っています。
最後になりますが、ウクライナでの戦争をはじめ、世界の各地で続く戦いが一日も早く終結することを願って「主の祈り」を唱えます。もしよければ皆さんもご唱和ください。
天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。
み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。アーメン。