札幌光星中学校・札幌光星高等学校

校長メッセージ2021

令和3年度 中学校卒業式 2022年3月19日

 本日、卒業される89名のみなさん、ご卒業おめでとうございます。
 ご来賓の父母の会会長 富樫直樹様とともに、皆様のご卒業を心からお祝いいたします。また、今日の日まで、いつも温かく見守り、大きな愛で包み、支えてこられた保護者の皆様、ならびに関係者の皆様にも、心からお慶び申し上げます。
 中学校の課程を修了するみなさんを、晴れがましく、明るい未来に向かって気持ちよく送り出してあげたい。未来は素晴らしい、大人になるのは素敵なことだと送り出してあげたい。しかし、現実はそういかないようです。新型コロナウイルス感染症との戦いは2年が過ぎ、皆さんがこの学校に入学した理由の一つであったヨーロッパ研修旅行はおろか、年明けからのオミクロン株の猛威で国内研修旅行も中止になってしましました。家族以外はどの人も鼻から下の表情全体を見る機会が少ない。大きな声で話したり、笑うことができない。手を繋いだり、ハイタッチしたり、喜びを爆発させることができない。学校に通うことさえままならない時期もありました。本当に勉強が身についているのかな。成長期に必要な体験をしっかりと積んでいるのかな。このまま大人になって大丈夫なのかな。この2年に蓄積した不安は相当大きかったはずです。さらに先月末からのウクライナでの辛く悲しい現実。テレビに映し出される破壊のシーンや難民として国を追われるたくさんの人々、そして犠牲者の数に胸が張り裂けそうになります。21世紀はグローバル社会だから、政治や経済、環境などさまざまな問題が複雑につながっていて、遠い国での戦争とはいえ、日本だけが無傷で済むはずもなく、また核の抑止力を振りかざす態度を見るにつけ、世界が破滅への坂道を転げ落ちているのではないか。何か得体のしれない重たいものが、いつも背中にのしかかり、押さえつけられている。そんな世界に私たちは、今、立たされています。

 ぼくらはみんな 生きている
 生きているから 歌うんだ
 ぼくらはみんな 生きている
 生きているから かなしいんだ
 手のひらを太陽に すかしてみれば
 まっかに流れる ぼくの血潮

 皆さんご存じの、「手のひらを太陽に」の1番の歌詞です。「血潮」の意味を辞書で引くと「体内を潮のように流れる血。激しい情熱や感情。」とあります。この歌の作詞は、アンパンの原作者である「やなせたかし」さんというのはあまりに有名な話です。やなせさんは42歳の時にこの歌を作ったのですが、34歳で漫画家として独立したものの、世の中に出るような作品もなく、アシスタントのような仕事ばかりで、心身ともに不調で「自殺したいくらい」に絶望的な気持ちに陥っていたそうです。ある冬の夜、その日も徹夜で仕事をしていましたが、ふと子供の頃にやっていた遊びを思い出し、懐中電灯を手のひらに当ててみると、血の色がびっくりするほど赤く透けて見え、あまりにきれいで見とれてしまったそうです。そして、こう思ったのだそうです。「これほど絶望しているのに、体には赤い血が脈々と流れているんだ。心は元気がなくても、血は元気なんだな。」と自分自身に励まされたように感じたのだそうです。不意に「手のひらを太陽に透かしてみれば」というフレーズが頭に浮かび、それが一つの歌詞にまとまったのだそうです。
 私たちは、今、ここに立っている。そして、生きている。体内を潮のように流れる血のように、私たちの情熱や感情もそれぞれの体内を駆け巡っている。今この瞬間を大切に。「一寸先は闇」でも「その一寸先には光」があるはずです。
 やなせさんは、自叙伝「明日をひらく言葉」でこんな話もしています。
 「代表作を作りたい、漫画家としてのアイデンティティを持ちたい。そんな長い間の願いが叶い、アンパンマンの人気が高くなったのは、何と70代に入る直前、69歳の時だった。遅咲きも遅咲き。よく「大器晩成」とおだてられるが、いやいや、「小器晩成」の典型だ。でも大器でも小器でも、いいじゃないか。せっかく生まれてきたのだ。絶望するなんてもったいない。なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていくんだ。人生は捨てたものではない。やがて道は拓けてくる。それが実感だ。」
 15歳のみなさんに伝えたいことがあります。それは、みなさんが、今、考えている、感じている、ひょっとしたら真剣に悩んでいる、優越感、劣等感など、みなさんの10年後にほとんど影響をあたえないということです。ちっぽけな自慢事にぶら下がり、ちっぽけなまま終わってしまわないように。自分の欠点や弱点ばかり気にしているふりをして、できない理由を並べるだけで終わらないように。あなたの人生は、あなたのものです。あなただけがあなたの人生に奇跡を起こすことができるのです。周囲の評価につぶされることなく、この先、必ず訪れるあなたの人生の奇跡の瞬間を信じ、ベストを尽くし、今はその奇跡の瞬間を迎える準備をする時なのです。
 これこそが、本校の校訓である「地の塩 世の光」がメッセージするところの意味です。この世に生を受け、あたえられた才能をしっかりと磨き上げ、世界が平和になるよう、自分自身の持ち場でベストを尽くしなさいということです。本校での学びを通し、そのように生きることの尊さを知り、弛まぬ努力を続ける姿勢を身に着けてほしいものです。
 本校への入学がゴールではなかったように、大学も就職も、その先も人生は「終わりなき旅」です。みなさんのこれからの人生が正義に守られ大きな愛で包まれるものであることを願っています。またそのような社会を築くために自ら逞しく行動を起こすことができる人間へと成長することを願っています。
 本日はご卒業、誠におめでとうございます。

令和3年度 高校卒業式 2022年3月5日

 本日、卒業される434名の皆さん、ご卒業おめでとうございます。ご来賓のPTA会長平井麗生様とともに、この良き日をお祝い申し上げます。あわせて卒業生をこれまで支えてこられた保護者の皆様、ならびに関係者の皆様にも、心からお慶び申し上げます。

 皆さんの貴重な高校生活3年のうち2年間が新型コロナウイルス感染症に翻弄されたことを思い返すと、十分に学校での体験をさせてあげられなかったことへの思いで胸が張り裂けそうです。40年、50年と生きてきた私のような大人の1、2年と、心も体も最も成長する10代の皆さんの1、2年は、決して同じではありません。たくさんの悔しい思いをした皆さんに「仕方なかった、もう時間は戻らない、前を向いて頑張ってください」などと軽々しく声をかけることなどできません。
 ただ、このコロナ禍は、これまで以上に「人の命」や誰かから注がれる「愛情」について、深く考えることができた2年間でもありました。これまでは何気なく用意されていたことがようやく実現できたことに深く感謝することができた2年間でもありました。それは5年生11月に実施できた修学旅行であり、昨年7月の光星祭であり、何とか最後の大会まで戦い抜くことができた部活動であり、オミクロン株の猛威をかい潜って挑戦した大学入試だったのではないでしょうか。

「幸せを数えたら 片手にさえ余る    不幸せ数えたら 両手でも足りない」
「幸せを話したら 五分あれば足りる   不幸せ話したら 一晩でも足りない」

 昭和の歌謡曲のワンフレーズですが、私たちの感情を見事に言い当てています。しかし、私たちはこのような時代を豊かに生きていくために「何かができなかった」ということにフォーカスするのではなく、「こんな私のために、何かをしてくれた、必死になって支えてくれた」という、誰かからの「愛情」に感謝できる心を備えていきたいものです。

 ここで、宗教の授業や宗教講話で何度も扱われた、ルカによる福音書の「善きサマリア人のたとえ」を改めて紹介します。  

「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

 私は大学受験に失敗し、1年浪人しましたが、2年目の共通テストにも失敗し、第一志望をあきらめ、ボーダーラインの大学を探し、前期は関東圏の国立大学を受験することにしました。高校の友人が新聞奨学生で東京にいたので泊めてもらおうと思い、当時は携帯電話がなかったので手紙を送りました。一週間ほどして自宅に電話が来て、泊めてもらえることになりました。彼は新大久保に住んでいて、新宿に近かったので、タモリさんの「笑っていいとも」で有名な新宿駅東口のアルタ前で待ち合わせることにしました。当時は少しでも旅費を節約しようと航空券も予約せず、スカイメイトで空席待ちをするなど、今から考えると、一歩間違えれば試験を受けられなかったかもしれません。何とかアルタ前に到着しましたが、今でも、ものすごい人の数に圧倒されたことを憶えています。友人は「新大久保は隣駅だから」と新宿の裏通りを歩き出しました。彼の住まいは1階が新聞販売所、2階が従業員の食堂、3、4階が住み込み用の部屋になっていました。食堂のおばさんに挨拶すると彼女は友人に「李さんには話しているの」と言いました。友人は「俺の部屋に泊めるだけだし、食事は外で済ませるから」と答えました。彼の部屋は、やたら細長い4畳くらいの広さで窓はありましたが、目の前が隣のビルで日の光は入りませんでした。私は友人に「李さんは誰?」と聞くと「社長ではないけど管理人みたいな人で在日韓国人だと思う」と答えました。ほどなくして中年の男性が戻り、友人と私は彼に挨拶をしました。友人は私のことを詳しく説明していなかったようで、大学受験のために東京に来たことを知ると大変に驚き、外で食事をとろうとしていた私たちを引き留め、横にいた食堂のおばさんに私の分も用意するよう頼んでくれました。夕食は大きなメンチカツで、私は新聞奨学生として働く大学生や専門学生と一緒に美味しくいただきました。9時頃になるとみんな部屋に戻り、友人は「オレは他で寝るから大丈夫だ」と言ってどこかへ行ったので、彼の部屋で受験の準備をさせてもらいました。なかなか寝付けずにいると、深夜1時過ぎに朝刊配達の準備なのか、下の階から人の動く音がしてきました。朝になり、配達から戻ってきた友人と一緒に朝食までいただきました。大学へ向かう前に李さんにお礼を言おうとしましたが配達から戻らず、食堂のおばさんに「よろしくお伝えください」と言うと「頑張ってね」と言っておにぎりを2個くれました。こんなにお世話になりながら、結局、大学は不合格となり、その後、李さんには会えずじまいとなりました。

 「善きサマリア人のたとえ」と私の体験談を聞き、皆さんは見知らぬ誰かのためにどれだけ犠牲を払えるだろうかと感じたかもしれません。キリストが命じた「隣人愛」の実践とは、他者の悩みを共に悩み、隣人の重荷を共に背負うこと。助けを必要としている人を見たら、誰であっても、どのような犠牲を払っても手を差し伸べることです。

 先週から世界中を震撼させているウクライナの悲劇について、評論家のように、あれやこれやと原因を追究する前に、真っ先にすべきことは、この瞬間も瓦礫のただ中で、怯え、涙に暮れる人々のために、自分に何ができるのかを一人ひとりが考え、行動することです。

 法律の改正に伴い、皆さんは来月1日にそろって成人になりますが、それは制度上の話で、子供と大人の違いは年齢で区分されるものではありません。私は子供と大人の違いをこう考えます。子供とは、誰かから愛情を受けて育つ人。大人とは、誰かに愛情をあたえて成長する人。いくつになっても子供みたいな人がいる一方、皆さんの年頃でも多くの人に頼りにされる振る舞いを自然にとることができる人もいます。そこに子供と大人の境界があると私は考えます。私たちは、相手の思いに応えられずに、自分を優先する誘惑に引き込まれやすい弱さを、いつも心の内に秘めています。その弱さを自覚し、他者を傷つけていないかと自問自答し、謙虚に生きることが大切です。

 皆さんが、多くの人から認められ、必要とされ、愛され、それぞれの共同体が縦糸と横糸を織りなして広がる1枚の布のように、いつも誰かと連帯していることを実感できる、そんな心豊かで幸せな人生を送られることを願っています。自分らしく生き生きと活躍されることを願っています。光星での学びを糧に大きく羽ばたいてください。校訓「地の塩 世の光」の聖書のメッセージに適う人間となれるよう益々の精進を期待します。時には母校に羽を休めに帰って来てください。いつでも待っています。

 本日は、御卒業、誠におめでとうございます。

1月全校集会  2022年1月17日

 みなさん、新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
 1か月前には、海外でのオミクロン株の急拡大の報道を、どこか「対岸の火事」のような感覚で捉えていましたが、年末に新規感染者数が増え始め、新年と同時に瞬く間に第6波の様相を呈しております。オミクロン株については、これまで以上のスピードでの感染拡大や感染しても重症化しにくいなど、いくつかの傾向が示されていますが、まだ推測の域を脱していないのが現状です。本校では、これまでの対策を丁寧に行いつつ、みなさんの貴重な学校生活ができる限り保たれるよう運営していきますので、引き続きみなさんのご協力をよろしくお願いいたします。
 6年生のみなさん、昨日、一昨日の大学入学共通テスト、お疲れ様でした。今の状況をサッカーやラグビーの試合に例えるなら、「大荒れの前半戦終了」です。ハーフタイムに監督やコーチと十分作戦を立て、先行逃げ切り、あるいは逆転勝利を期して、油断することなく粘り強く戦ってください。先生方は最後の最後までみなさんを応援します。これからも学校を利用し、「より良く戦う」、「勝ちにこだわって戦う」準備をしてください。
 さて、今年いくつか国の制度が変わる中で、みなさんに直接かかわるものとして、4月からの成年年齢18歳への「引き下げ」について触れたいと思います。これまで「成人」は20歳でしたが、今年の4月1日より、18歳から成人として扱われるように変更されます。2016年から選挙権年齢が18歳に引き下げられたことや、世界の約8割の国が成年年齢を18歳にしていることなどから、約140年ぶりに「成年」の定義が見直されました。制度の変更で、6年生は4月1日に全員揃って新成人となります。5年生は4月以降の誕生日から新成人になります。
 成人になると親の同意を得ずに、自分の意思で様々な契約を結ぶことができるようになります。例えば携帯電話の契約やクレジットカードを作るときなども、親の同意が不要となります。ただし、現役の高校生は支払い能力の問題で、現実的には単独で契約することができないと思います。また、海外渡航に必要なパスポートも有効期限10年での取得が可能になります。さらに、合格していることが条件ですが、公認会計士や司法書士などの国家資格に基づく職業に就くことも可能になります。性同一障害の方などが、性別の取扱いの変更審判を受けることも可能になります。一方、飲酒や喫煙、競馬・競輪などはこれまでと同様、20歳までは禁止です。また成年年齢は18歳に引き下げられますが、女性が結婚できる最低年齢は4月1日から現行の16歳から18歳へと逆に引き上げられ、男女とも18歳にならないと結婚ができなくなります。
 クレジットカードの契約などに関しては、6年生は、今年の4月以降、大学に進学し、一人暮らしの生活やアルバイトなどで収入を得るようになった際に悪質なトラブルに巻き込まれないよう十分な注意が必要かもしれません。5年生は、この学校に通っている間は、自分自身の判断で何らかの契約を結ぶような機会は、それほど多くないと思います。恐らく、多くの高校生は今回の制度変更で急に何かが大きく変わる実感が湧わかないと思います。
 みなさんにとっては、法的なものよりも「成人式」の方が関心事になるかもしれません。来年以降は18歳が成人となるので、制度上は高校3年生の1月に成人式が行われる可能性もあるのですが、札幌市をはじめ、多くの自治体では従来通り「20歳」を祝う式典を来年以降も行なう予定のようです。年齢を引き下げるのではなく、現在の「新成人のつどい」から「二十歳のつどい」など、新しい名称で実施することが多くなりそうです。
 国が制度変更をして成年年齢を18歳にする理由は、少子高齢社会が急速に進行する日本の成長戦略の一つとして、あらゆる分野で若者たちが活躍できる社会にしていくためであり、18歳選挙権もその流れでした。若者にも政治に関心を持ってもらい、さらなる社会参加を促していく。そのため18歳から成人としての権利を認め、同時に社会的責任、経済的責任の意識と自覚を持ってもらいたいということなのでしょう。また労働人口の増加や税収の増加につながることも期待しているのだと思います。
 しかし、20歳だろうが18歳だろうが、大切なことは成人と呼ばれるに相応しいスキルを身に着けているかどうかです。現状、日本の大学生の多くは、成人としての自覚や責任感を十分に備えているとは言えません。いくつになっても「それが大人の振る舞い?」と疑われるような、苦言を呈されるような人が存在していることも事実です。みなさんには、国の制度とは関係なく、「真の成人」に成長してほしいと願っています。
 では、「真の成人」とは、どのような人格を指すのでしょうか。私は、それこそ本校の校訓である「地の塩 世の光」という聖書の言葉に適う生き方をすることを指していると考えます。努力をし、天から与えられた才能を磨き、多くの方のお役に立つために出し惜しみすることなく、働けることです。自ら進んで多くの方を愛し、愛される関係を作っていくことです。 
 今年もみなさんがベストを尽くす姿勢を心から応援します。本校での学びを通し、みなさんが「真の成人」となれるよう、たくさんのことを吸収する1年にしてください。みなさんのますますの活躍、成長を期待しています。

クリスマス祈りの集い  2021年12月22日

 みなさん、クリスマスおめでとうございます。
 先日、あるスポーツクラブの方より学校に電話がありました。「12月4日に光星のサッカー部がうちの施設を利用したときに、グランドの周りのごみ拾いを全部してくれた。自分たちが使ったところだけでなくて、施設内の周りのごみを全部拾ってくれた。いままでこんなことをしてくれたチームはいなかったので、とても感謝している。」
 サッカー部の皆さんはリーグ戦でも優秀な結果を残し、来シーズンは北海道のトップリーグへの昇格を果たしましたが、強いだけではなく、その行い、振る舞いもトップチームの評価を受けられるよう、ますます充実した活動を期待しています。今年何度が行っている学校説明会で本校に来校された方々が、部活動の生徒の皆さんが立ち止まり、大きな声で「こんにちは」と挨拶してくれ、本当にいい学校だ、こんな学校に通いたい、親としてこんな学校に通わせたい、そのようにアンケートに答えてくださいました。その他にも5年生の修学旅行での態度や日頃の街中での礼儀の良さについて、様々な場面でたくさんのお褒めの言葉をいただいております。一つ一つをここで紹介すると長い時間になりますので差し控えますが、何気ない日々の振る舞いが多くの方々を清々しい気持ちにさせ、高い評価が寄せられていることを、校長として大変うれしく、そして私たち学園みんなの誇りにしたと感じます。
 今年もいろいろな出来事がありました。およそ30年後、皆さんがそれぞれの社会の中で責任ある立場として活躍している2050年頃、令和3年は歴史の教科書にどのように記されているでしょうか。10月にローマで開催されたG20で採択された首脳宣言によると2050年頃に温室効果ガスを実質ゼロにすることとなっています。日本国内では、多くの批判を押し切って東京オリンピック・パラリンピックが開催され、その直後に菅政権から岸田政権へと政治が動きました。世界に目を向けると、アメリカ合衆国では共和党トランプ氏から民主党バイデン氏へのアメリカ大統領交代劇があり、同時多発テロから20年目にしてようやくアメリカ軍がアフガニスタンから完全撤退しました。その周辺に位置するミャンマーでは、軍によるクーデターが起こり、民主化の指導者であるアウンサンスーチーさんが、政治犯として拘束されました。またEUの連帯のために力を尽くし、ヨーロッパの母と称されたドイツのメルケル首相の退任も大きな出来事として報道されました。このように、今年は国内外で数年先の転換点となりうる出来事の多い年でしたが、残念ながら新型コロナウイルス感染症に関する騒動以上に多くの方々の生活に影響が及んだ出来事はありませんでした。日本では先月から新規感染者数がぐっと抑えられ、日常が取り戻されつつありますが、新たなオミクロン株の世界的な流行の兆しもあり、コロナ前の状況に戻るのには、もうしばらく時間が必要なようです。しかし、この2年間のさまざまな経験を通し、我々はコロナ禍に対し冷静に対応するすべを身につけました。恐れるだけではなく、終息をただじっと待っているだけではなく、今できることを今できる方法で可能な限り実行し、アフターコロナを見据えた次の一手を打つ準備をしていくべきです。
 次の一手と言えば、皆さんご存じの将棋の藤井聡太さんが、ある対談で好きな言葉について聞かれた際に『感想戦は敗者のためにある』と答えたことがあります。感想戦とは、対局後に勝者と敗者であのときこう指していればどうなったかなど検討することです。この言葉の意味するところは、「後悔先に立たず」というところでしょう。私は、厳しい勝負の世界で勝ち続けるために常に努力する藤井四冠の姿勢を見事に表す言葉のように感じました。
 明日からの冬休みも感染症への対応が不可欠で、心からリラックスできないかもしれませんが、みなさんにとって、そしてみなさんのご家族にとって健康で幸せな年末年始となることをお祈りいたします。
 6年生の皆さん、いよいよ目指す進路へ向け、勝負の時が近づいてきました。この先の戦いは決して一人ではありません。皆さんが皆さんらしく胸を張ってこの戦いに臨めるよう、そして「感想戦」にならぬよう、最善を尽くしてください。ここに集う皆さんの後輩、先生方と一緒にお祈りいたします。
 皆さんどうぞよいお年をお迎えください。

10月全校集会  2021年10月22日

 緊急事態宣言が9月30日で解除され、3週間が過ぎました。北海道は短い秋が駆け足で過ぎ、今週は冬の到来を感じさせるような、朝晩の肌寒さです。季節の変わり目の影響もあるのか、北海道は何となく新規感染者数が下げ切らない印象ですし、インフルエンザの流行も心配されています。油断大敵です。来月修学旅行へ出発する5年生のためにも、受験に向けて頑張っている6年生のためにも、みなさんの感染防止へのご協力を引き続きよろしくお願いします。
 さて、今日はこの後、文化講演会です。密を回避するため2グループに分けてピーター・フランクルさんのお話を聞きますが、ここでは、岩波ジュニア新書から出版されているピーターさんの著書「ピーター流 生き方のすすめ」から「30秒ルール」を紹介したいと思います。

 最近僕は、自分の生活に関して30秒ルールというものをつくりました。以前は、家に帰って上着を脱いだらすぐ、テレビのリモコンを探してテレビをつけたり、パソコンの電源をつけてネットにつないだりする、でも今は、その前にまずは30秒間考えてみる。いまの自分にとって、もっとほかにやるべきことはないのか、まず真剣に30秒考えるのです。真剣に30秒考えてみれば、きっといくつかの選択肢が頭に浮かぶはずです。友達で最近あまり元気がない人がいるから、外に呼び出して一緒にお茶でも飲みながら話を聞いてみよう。とか、このあいだ買った本があるけれど全然読んでいない、せっかくお金も払ったし、読む気もあったのだからやっぱりそれを読むべきじゃないか、とか、いやいや、数学の成績が最近好ましくないから、自分の部屋でひとり数学の問題と向き合ってみるべきじゃないだろうか、とか、それとも運動不足だからまず軽くストレッチでもしてみようか、などなど、きっと他にも、いろいろな可能性があるでしょう。人間にはとても弱いところがあって、なにか物事をやりはじめようと思っても、動き出すまでにはとてもハードルが高くて、なかなかとりかかれないものです。とりかかりのハードルを下げるためにも、まずやるべきことを真剣に考える。この「30秒ルール」を習慣にすると良いと思います。ところが、30秒ルールを実践しないで、いきなりテレビをつけてしまう。その時が、自分の人生で主人公の座から滑り落ちる瞬間です。テレビは一度つけてしまうと、まるで魔法のボックスのようで、なかなか消すことができません。いまは多チャンネル化がすすんでいて、衛星放送もあって、さらにはケーブルテレビでも入れているのなら、すべてのチャンネルを回してみるだけで数分間かかってしまいます。インターネットも同じで、一旦つなげるとなかなか終わらせることができません。ネット上ではバナーやリンクなどが次々と表示されたりして、気がつくと、初めに調べていたこととは全然関係ないページを、ああ、目が疲れた、なにをしていたんだろう、と後悔しながら見ていることもしばしばです。
 また、友だちからのメールには、すぐに返事をしなければ嫌われてしまうのではないかと心配する人もいます。そんな場合には、とりあえず、「地下にいて返事ができなかった」とか「親にメールをする時間を決められているから」などと噓をつくのも一つの方法かもしれません。でも、本来、それであなたを嫌うなら、その人はあなたの本当の友人ではないのです。メールをすぐに返さなくても、あった時にその分優しく、思いやりをもって相手の話に耳を傾けたり、必要なときにはしっかりと内容のあるメールを送ったりすれば、本当の友情が失われることは決してありません。僕の友人にも、たまにしか送ってこないけれど、プリントアウトして3年後に読んでもいいようなすばらしいメールをくれる人もいれば、いまどこにいるとか、すごく風が強いとか、1週間後に読んだらなんの意味もないようなメールを頻繁に送ってくる人もいます。自分はどちらの人になりたいか考えてほしいと思います。あるいは恋の場面を考えてみましょう。デートに誘ってきても、その返事をやたらにせかしたり、返事が遅いことを怒ったりするような人は、断られたらすぐに他の人を誘おうとしていたのかもしれません。そんな人とつきあいたいと思うでしょうか。本当に真剣な人なら、1日でも1週間でも気持ちは変わらないはずです。メールを返すことで、目の前にいる人との人間関係をないがしろにしてしまうのも問題です。話をしている最中なのに、友だちがメールをやりはじめるのは、本当はいやだなと思っていませんか。すぐにメールを返さなきゃという気持ちは、人間関係を本当に大切にするには、逆効果なのです。

 スマホ、SNSが便利だと感じる一方で、スマホやSNSに毎日、翻弄されていると少し後悔している人もいるのではないでしょうか。今日の話を参考にし、自分にとって、「今」、本当に大切なものが何なのかを選ぶことができるようになってほしいと思います。
 この他にも「ピーター流 生き方のすすめ」には、ああ、なるほどな、そういう気持ちで生活したら、モヤモヤしていたこともスッキリするだろうなということが、たくさん書かれています。興味のある方はぜひ読んでみてください。そして、そんな面白い話をたくさんしてくださる、ピーター・フランクルさんの講演をどうぞ楽しみにしていてください。

一学期終業式  2021年9月29日

 今日で一学期が終わり、明日から4日間の秋休みになります。それぞれの学年の折り返しを迎えます。6年生は、実質残り3か月の登校期間となり、その先の進路へ向けて具体的に行動する時期になります。各自の進路への戦略の確認、スケジュールの確認、そして何よりも「気持ち」「思い」の確認をこの4日間に行ってください。5年生は、修学旅行が迫ってきます。いつも以上に体調管理に気を付けてください。そして修学旅行が終われば、大学受験へ向けてシフトチェンジしていくことになります。自分の進路について探求する時間をこの4日間で持ってください。1年生から4年生の皆さん、一学期期末試験を終え、総合成績が確定しましたが、6月の中間試験以降、4月当初と比較し、学習への取組に妥協はありませんか。今年度入学した1,4年生の皆さん、入学からの8か月間に染み付いた学習習慣は、その後の学年での位置や進路を決める大きな要因となります。今が踏ん張り時です。10月末の全国模試や11月30日からの二学期中間試験に向け、自分の壁を越える挑戦をしましょう。

 本校は札幌市中心部に位置しますが、90年近くこの地にあるため、学園は緑に囲まれ、季節ごとに豊かな自然を楽しむことができます。GW頃の北13条通の本校の桜並木は、ネット上では札幌市の隠れた桜の名所にもなっています。ところで、本校に立ち並ぶ木々の中で、一番背の高い木を知っていますか。それは野球部のバックネット裏にあるメタセコイアという木です。メタセコイアはアケボノスギとも呼ばれ、一般に高さ35m、幹の直径は2mほどに成長します。この木の幹に「昭和48年5月12日 第5回卒業生 卒業30周年記念植樹」というプレートが掛けられています。恐らく樹齢50年の大木です。札幌光星をずっと見守ってきた木です。皆さん、ぜひ一度、見上げて確認してみてください。
 メタセコイアは、気候が温暖だった6600万年前~3400万年前にシベリアやカナダなどの北極圏を中心に北半球の広い地域に分布し、その後の地球の急激な寒冷化により絶滅したと考えられていました。80年近く前に日本人の植物学者、三木茂が国内でこの木の化石を発見し、1942年にメタセコイアと命名しました。その4年後の1946年に中国人の学者によって四川省で現存していることが確認されました。1948年、アメリカ人の学者チェイニーが中国から苗を持ち帰り、アメリカで育てられた100本の苗木が日本のメタセコイア保存会に送られ、国内の研究機関や自治体に配布されました。メタセコイアは挿し木でどんどん増え、成長も早く、今では秋になると日本各地に紅葉の素晴らしい景色を届けてくれます。
 実はアメリカで育てられたメタセコイアは、昭和24年(1949年)には昭和天皇に献上され、天皇はみずから皇居に植えたのだそうです。そして、昭和62年(1987年)の歌会始で、昭和天皇は次のように詠まれました。
 
「わが国の たちなほり来し 年々に あけぼのすぎの 木はのびにけり」

 ご自身で植えられたメタセコイアの成長と戦後日本の復興を重ね合わせた歌です。また昭和天皇は、お亡くなりになる直前に出版された「皇居の植物」という本の序文にメタセコイア発見と皇居に植えられるまでの経緯を紹介し、「米国と中国と日本とを結ぶ協力が調査に良い成果をもたらしたと言えることは誠に喜ばしい」と著わされています。
 今日、アメリカ、中国、日本の3国は政治・経済・環境・そして新型コロナウイルス感染症への対応など、あらゆる面で「微妙な関係」にありますが、安定した世界平和を実現するため、「微妙な関係」から「知恵を出し合う関係」を築いていかなければならないはずです。今日の話から第二次世界大戦前後の極限の国際情勢の中で、日本、中国、アメリカの植物学者が絶滅したと考えられていたメタセコイアを通し、国際協調したことの「シンプルさ」を大切にしたいと思います。

 明日で緊急事態宣言が明けます。来週からは学校も8時30分登校に戻ります。放課後の活動も平常通りに戻します。そして10月に入りますので制服も冬服に衣替えです。感染症への対応は相変わらず続きますが、皆さん、気分一新、二学期の良いスタートを切りましょう。

夏休み明けの全校集会  2021年8月18日

 おおよそ1か月ぶりにみなさんが揃って登校してきました。残念ながら新型コロナウイルス感染症の第5波の影響で、6年生の夏休み勉強会が中止になったり、部活動の合宿や練習試合ができなかったり、今日もこのように時差登校になり、放送による集会となるなど、学校生活にもさまざまな制限がかけられることになりました。こんな我慢がいつまで続くのかと嫌気がさすところをぐっとこらえて、これまで以上に感染力が強いといわれるデルタ株に十分注意しながら、札幌光星は、極力皆さんが登校し、一緒に生活する場を守っていきたいと思います。皆さんにもいろいろな協力をお願いしますが、学校に集える状況を一緒に守っていきましょう。
 今日の私の話は、戦争についてです。昨年の夏休み明けにも戦争に関する話をしました。戦後76年が経ち、戦争を記憶している人は年々減少しています。終戦の時に5歳以上だった人は、この国の9.2%にまで減少しており、私たちの多くは戦争を体験していませんが、戦争の恐ろしさを後世に伝える使命は持っています。
 6年生と4年ABC組の皆さんは、昨年度、修学旅行で広島を訪れ、戦争の恐ろしさ、平和の尊さを学んできました。その時のことも思い出しながらこれから紹介する被爆体験を聞いてください。
 青木美枝さんは当時23歳。結婚の話がまとまり、小学校の教員を辞めた直後でした。あの日は中心部から2キロほど離れた自宅にいました。「洗濯でもしなくちゃ」と空を仰いだ瞬間でした。ピカーッと、マグネシウムどころではない、その何億倍もの光が目の前を走りました。ガラガラと家が崩れ、土煙が落ち着くと、4歳下の妹、久枝ががれきに埋もれていました。両親の声はしませんでした。きっと爆弾だ。助けを呼ばなくちゃ。壁に穴を開けて外に出ると、広島市内は見渡す限り家が一軒もなくなっていました。「誰か、誰か」と裸足で呼んで駆け回りましたが、「熱い、熱い」とぼろ切れのような皮膚を垂らして歩く人はまだ元気な方で、目を見開いた死体が、そこらじゅう転がっていました。いったん家に戻ると妹は「お姉様、私にかまわないで逃げて」と言います。やっと通りすがりのおじさんを捕まえたとき、家は火の手に包まれていました。「ここにいたら死んじゃう。あきらめなさい」。おじさんは逃げました。私は何度も振り返り、ごめんね、ごめんねと、拝みながら逃げたのでした。
 人類史上初の原子爆弾は、地上600mの上空で炸裂し、中心温度100万度の火の玉をつくりました。爆心地周辺の地表の温度は3000~4000度に達したといいます。爆心地から1.2kmの範囲内では、その日のうちに約半分の方が亡くなりました。当時の広島市の人口約35万人のうち1945年12月末までに約14万人が死亡したと推計されています。
 もう一つ別の話を紹介します。私が通っている教会に81歳という年齢を感じさせない、若々しい男性がいます。いつも明るくボランティア活動などに参加していますが、ある日、戦争について次のように真剣に語ってくれました。
 当時横浜に住んでいた私(5歳)は、ある昼過ぎに空襲警報が鳴り響き、母と弟(4歳)と一緒にすぐ近くの防空壕に避難しました。しばらくして弟が「オシッコがしたい」と言うので、母は、私たち二人を連れて家に戻った時、海の方から戦闘機が私たちに向かって突っ込んできました。「バリバリッ」と機関銃のはねる音。三人で庭に伏せたのですが、弟の左足首がちぎれそうになっていました。救急避難所の小学校に行くと、死者や負傷者がゴロゴロ。「共同防空壕の前に小型爆弾が落ちて中にいた人たちが死んだ」と聞かされました。母は言いました。「あの子がオシッコと言わなかったら、我々三人もこうして生きていなかったね」と。まったく知らないごく少数の人間が、まったく知らない多数の人間を無差別に殺す。こんな理不尽なことが正当化される。残酷で悲惨。これこそが「戦争」の実態だと思っています。単に戦争当事国の人間であったというだけなのに、月日が経った後、被害者側は勿論、加害者側も人間として深く大きな心の傷を負い、そこに勝者はいません。
 これが戦争の現実です。幸いにも76年もの間、わが国では戦争がない平和な状態が維持されていますが、今この瞬間も世界のどこかで戦争に巻き込まれ、尊い命が奪われ、多くのものが破壊され、人権が踏みにじられています。
 戦争の恐ろしさ、むごさ、を知る方法はたくさんあります。毎年、夏の終わりに、戦争について真剣に考える時間をほんの少しだけでも、もってほしいのです。

夏休み前の全校集会  2021年7月21日

 10日前は、2年ぶりに開催し、みなさんのエネルギーが結集し、大成功だった光星祭で大いに盛り上がりました。その後、毎日きびしい暑さが続きましたが明日からは夏休みが始まります。また、1年延期された東京五輪も今日から一部の競技が開始され、明後日には開会式を迎えます。菅首相は、1月の通常国会開催の施政方針演説で「夏の東京オリンピック・パラリンピックは人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と話していました。あれから半年が経ちました。さまざまな意見がある中で、東京と沖縄の緊急事態宣言、関東三県と大阪のまん延防止等重点措置の下での開催となります。コロナ以外にも言論や思想、人権に関わる騒動に左右され、いろいろな意味で国内外から注目を集めることの多かったこの五輪から、多くの教訓を得ることになるでしょう。この国の未来を担う私たちが、今回のあらゆることの検証をしっかりと行わなければならないと感じています。
 この夏に勝負をかけるという点では、五輪と同じく厳しい予選を勝ち上がり、全国大会へ出場する選手の壮行会をこの後で行います。道産子選手はコロナとの戦いに加え、本州の猛暑との戦いにも臨まなければなりません。出発前からの体調管理も勝負のうちです。どうぞ丁寧に準備してほしいと思います。昨年、戦う機会すらあたえられず、悔しい思いをした先輩たちの分まで全力で戦ってきてください。
 6年生は月並みな表現になりますが「勝負の夏」です。ここで皆さんに受験生の夏休み必勝法を伝授します。とてもシンプルなことなのですが、「早寝早起き」をすることです。夏休み期間中、早起きをし、まず午前中に4時間勉強できるかどうかが勝負の分かれ目です。学習方法について断定的な言い方をしましたが、大切なことは、せっかくの夏休みに、何か自分で計画を立て、やり抜くことです。勉強に限らず、何かを決意し、挑戦し、自分を変えられることを実感する夏休みにしてほしいと思います。自分が変わったことを証明できるのは自分だけです。8月18日には、お互いに成長した姿を持ち寄って、学校を再開できたらと思います。
 最後に皆さんと皆さんのご家族が健康な毎日を過ごされるよう心よりお祈りいたします。

7月全校集会  2021年7月1日

 GW明けからの新型コロナウイルス感染症の急拡大で、1か月以上続いた緊急事態宣言が6月20日にようやく解除され、学校生活も先週から時差登校を止め、徐々に日常を取り戻そうとしています。緊急事態宣言中も毎日全員が登校し、授業数を大きく削ることなく、また制限があった中でも部活動や放課後活動を継続できたこと、みなさんの感染防止への意識の高さがなせる業であったと感じています。みなさんの協力に深く感謝します。ありがとうございました。あとで紹介しますが、いろいろな制限の中でベストを尽くし、優秀な成績を収め、インターハイへとコマを進めた部活動もたくさんあります。また生徒会を中心に来週末に迫った光星祭の準備に多くのみなさんが創意工夫をしてくれています。そして6年生は、受験に向けて模擬試験や特別講習にしっかりと臨んでくれています。この先も、もうしばらくは感染予防を徹底しつつ、しかし今できることには全力で取り組んでいきましょう。
 さて、今流れている音楽は、5月中旬から放課後の活動を終える時間に流れていますので、聞き覚えのある人も多いと思います。この曲は、The Lord’s Prayerという曲です。みなさんが宗教の授業で教わった(天におられる私たちの父よ)で始まる「主の祈り」の英語訳に曲をつけたものです。英語圏の国々では、多くの方に歌われているそうです。ここでは、アメリカ人の歌手ジャッキー・エヴァンコさんが歌っています。彼女は2000年にペンシルベニア州ピッツバーグで生まれ、10歳の時に出場したオーディション番組で準優勝。その年にメジャーデビューを果たします。この曲は彼女が11歳で発表した2ndアルバムに収録されています。アルバムはビルボードという音楽雑誌の中で全米2位の売り上げを記録したと紹介されています。10代前半から世界的ステージでその美しい歌声を披露してきた彼女ですが、その名を世界に轟かせたのは、2017年1月のトランプ大統領就任式での国歌斉唱でした。当時、トランプ大統領の就任には、その過激な発言や専制的な政治スタイルに反発する人も多く、就任式で国歌斉唱を引き受けることへの様々な抗議や非難がありました。実際に彼女が引き受ける前にも多くの歌手が国歌斉唱の要請を辞退しています。そのような状況の中、彼女は国歌斉唱の大役を引き受けたのです。彼女はこう言っています。「たくさんの人の前で国歌を歌わせてもらえることはとても光栄なことです。政治的な思考やトランプ大統領の党を強く支持しているわけではないのです。私の願いは、みんなが一つになって何の思惑もなく国歌を聴いてほしい、歌ってほしいとの願いからです」と。そして彼女が国歌斉唱を引き受けた理由がもう一つありました。それは、「手術するお兄さんを勇気づけたい」という思いがあったのです。実はお兄さんも彼女に負けないくらい歌が上手だったのですが、妹が「天使の歌声」と世界中から賞賛されるほどの美声だったため、到底勝てないと判断し、歌手をあきらめたようです。一方でお兄さんは「性同一障害」という大きな悩みも抱えていました。一大決心の末、彼女の国歌斉唱の日に男性から女性になるための性転換手術を受けることになっていたのです。彼女は、幼いころから性同一障害に悩んでいたお兄さんを見て、お兄さんが女性になることを応援していました。大好きなお兄さんに歌う姿を見せ、勇気づけ、手術に臨んでほしかったのです。国歌斉唱は大成功し、トランプ大統領はもちろん、世界中からの賞賛を受けました。
 ところが大統領就任式の翌月、トランプ大統領やペンス副大統領は、性的マイノリティー(LGBT)に対し厳しい考え方を持っていたため、オバマ前大統領が公立学校に出したトランスジェンダーの生徒の権利を守るための通達を破棄しました。これに対し、エヴァンコさんはトランプ大統領に自分と性転換手術を受け、兄から姉となったジュリエットさんに面会し、LGBTの生徒が直面している問題について耳を傾けるよう求めたのです。彼女は「大統領の決定に完全に失望している」とした上で、「トランプ大統領は就任式で歌うという栄誉を私に与えてくれた。トランスジェンダーの権利について話す機会も私と姉に与えてもらいたい」と話しました。兄から姉となったジュリエットさんと一緒にテレビ番組に出演したエヴァンコさんは、トランプ大統領からまだ返事はないと明かし、「私はただ、私の姉やそういった立場でつらい思いをしている方々について、多くの人に理解してもらいたいだけです。小さなころから姉が毎日学校でつらい体験をするのを見てきました」と語りました。ジュリエットさんは「物を投げつけられたり、ひどいことを言われたりした」と述べ、トランスジェンダーの生徒が直面している脅威について大統領に知ってもらいたいと訴えたのです。
 日本でも、現在、LGBTの人たちはさまざまな困難に直面しています。ある調査では、日本人のLGBTの比率は8.9%で、この数字は、11人に1人の割合にあたり、「左利きの人とほとんど同じ割合」とも言われています。しかし、他の調査では13人に1人という数字や中には全体の3%しかいないという報告もあります。ただ、数値の低い調査結果は、自らを性的マイノリティと自認していない、または、自認したくないという方がいるという点を無視できません。学校や職場、病院など社会生活の多くの場面で差別的な言動を受け、公的制度の不備や性的マイノリティへの偏見に対する不安から民間や公共のサービスを受けることができずにいる人。家族や友人、身近な人に理解されず、社会から孤立し、苦しんでいる人など、基本的人権や命の尊厳にかかわる深刻な問題を抱えている方が数多くいるのです。
 エヴァンコさんが、トランプ大統領に自分自身の家族の悩みからトランスジェンダーに関する問題を提起したのが16歳の時です。ちょうどみなさんと同じ年代です。私は、彼女が「大切な人を守りたい」「苦しんでいる人を助けたい」という思いから世界を動かすほどの勇気ある行動をとることができたという点で、黒人への不当な差別、暴力についてメッセージを出し続け、今はメンタル面での休息を必要としているテニスプレーヤーの大坂なおみさんとも共通するところがあると感じました。
 札幌市では、「LGBTほっとライン」を設置し、トランスジェンダーなどの悩みについて、電話で相談できるようになっています。その他にも少しずつ性的マイノリティーに関する支援の輪が広がっていることは大変によい傾向だと感じています。この動きを応援したいと思います。
私たちは、意識をしていないと「自分と違うもの」に抵抗感を覚えてしまいがちです。そしてこの問題に限らず、私たちの抵抗感は、数が多ければ負の結束をし、拒絶し、激しく攻撃することもあります。しかし、誰一人、他の誰かと全く同じということがない、当たり前の現実を受け入れるべきではないでしょうか。みなさんは、自分が少数派になった時のことを考え、攻撃されないように本当の気持ちを押し殺して多数派の陰に隠れていたという経験はないでしょうか。みなさんが、心の不安や多数派という強迫観念から解放され、他人との間には「違い」があるということを認め合うこと、「違い」について理解しようと努めることが、みなさんの人生を豊かにし、そして多くの人に支えられるものとなることをイメージしてほしいと願っています。

令和3年度 始業式(2021年4月9日)

 本日より令和3年度の学校生活がスタートいたします。昨日の中学校入学式で64名、高校入学式で335名の新しい仲間を迎え入れることができました。あらためて、入学おめでとうございます。2年生86名、3年生89名、5年生303名、6年生435名の光星の先輩たちと、112名の先生方と22名の職員一同、新入生のみなさんのことを心から歓迎いたします。今年度は、中学生239名、高校生1073名、学園としては合計1313名の生徒の皆さんと140名弱の教職員、そしていつも校舎を綺麗な状態に保つよう清掃してくださっている10名の方々や24時間交代で学園を警備してくださっている3名の方々を合わせ、1460名ほどの光星ファミリーで令和3年度をスタートします。ちょっとした村の人口よりも多いこの学園に関わるすべての方々が、毎日、笑顔で挨拶を交わし、この空間を愛してくれたら最高です。そんな、信頼と安心の場を今年度もみなさんと一緒に作っていきたいと思います。
 この始業式を今日も放送で行っていることが少し残念ではあります。しかし、「すべての命を守るために」、今はまだ新型コロナウイルス感染症への対策をとっていかなければなりません。今年の初めに、日本でも2月中旬からワクチン接種が始まるだろというニュースから、早期の感染症終息を期待させるような雰囲気もありましたが、ワクチンの供給が計画通りでなかったり、国内でも変異株が確認されるようになり、今はもうしばらく忍耐が必要なのかなという印象をみなさんも持ってると思います。札幌も4月16日まで、ステージ4相当と警戒を強めています。油断をせず、しっかりと感染症への対策をとりましょう。ただ、昨年の今頃との違いは、私たちは正しく恐れる方法を身に着けました。当初は行事や部活動で何度となく残念な思いをさせられてしまいましたし、授業も十分に実施できず、不安な思いをつのらせた人も多かったと思います。しかしながら、昨年の秋以降は学校を長くお休みにするようなこともありませんでしたし、みなさんの協力で修学旅行など実施することが困難な行事にもチャレンジできました。これらはすべて皆さんの協力と日々の丁寧な対応とがあったからです。今年度も可能な限り、学校での活動を行い、みなさんの学校生活が潤いあるものとなるよう取り組んでいきます。よろしくお願いします。5、6年生のみなさんは「受験は団体戦」という言葉を聞いたことがあると思いますが、「コロナ対応も団体戦」です。何よりも大切なことは、みなさんがこの学校に通うことを楽しいと感じ、友人や先生方に支えられていることを実感する毎日を送ることです。この先もコロナは、私たちに否応なしに難しい判断を迫ってくるでしょうが、進むときにも立ち止まるときにも、その判断に至るまでにはベストを尽くしたと自信をもって言えるよう、みなさんと気持ちを一つにして団体戦を戦っていきたいです。
 ところで、「団体戦を戦う」とは、どういうことなのでしょうか。野球の試合をイメージしてください。1点差を追う9回2アウト満塁という場面で、バッターが三振してしまいました。その時、「バッター何やっているんだよ」と言うのは、テレビで野球を観戦している人。フィールドやベンチから同じチームの仲間を応援する立場だったら、その時、その選手が打つしかない状況を理解し、そして誰も三振するつもりで打席に立っているわけがないことを理解し、必死になって戦っていると知っているから、悔しさとともにその結果を受け入れるでしょう。一番心が折れそうな人の側に寄り添えることが「団体戦を戦う」ことだと思います。もちろん、バッターがサヨナラヒットを打った時の喜びもテレビ観戦している人とは比較にならない大きさでしょう。傍観者や第三者ではなく、当事者として、チームメイトとして、ファミリーとして私たちは係り合っていきたいものです。そして様々な場面で、私たち光星ファミリーの底力を見せていこうではありませんか。そんなワクワクするような毎日をみなさんと一緒に作っていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

令和3年度入学式 式辞(2021年4月8日)

 大きな可能性に瞳を輝かせ、この場に臨まれた新入生のみなさん、御入学、誠におめでとうございます。また、これまで皆さんを支えてこられたご家族や関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 本校は1934年の創立から数え、今年の11月で87年の歴史を迎え、これまで3万名を超える多くの優秀な人材を輩出してきました。本校の歴史は、まさしく先輩方がたゆまぬ努力の上に築き上げた財産の積み重ねによるものです。皆さんも歴史と伝統ある札幌光星の生徒として、その名に恥じぬよう、責任と自覚をもって行動してほしいと思います。
 さて、今日から新生活が始まります。学校生活が楽しく、そして実り豊かなものとなるよう、精一杯努力してください。皆さん一人ひとり、本校を選んだ理由があると思います。夢と希望をもって入学したはずです。その夢と希望をかなえるために、私たち教職員は、全力で皆さんを応援します。一人ひとりにとって卒業の際の進路が実り豊かなものとなるよう、その手助けをしっかりと行っていくことを、ここにお約束します。
 みなさんの夢と希望の実現のために申し上げたいことは、本校の教育方針と理念です。本校の校訓「地の塩 世の光」は、キリストが人々に示した理想的な人間像を、一人ひとりの生徒の中に実現することを目標としています。その理想的な人間像とは、他者との係わりによってしか実現されず、ひいてはその係わりが、自分の幸福の実現に至る唯一の道であると考えています。本校では、生徒がその理想を実現するために、万難を排して努力し、獲得した能力によって社会のあらゆる分野に核となる地位を築き、他者のために働き得る人材となるよう指導しています。校訓には将来、社会の中で、陰となり日なたとなりながら、多くの人のために力を尽くす人になってほしいとの願いが込められているのです。
 1年ほど前からの新型コロナウイルス感染症の影響による想像を絶する出来事により、世界中が各方面で解決困難な状況におかれ、多くの犠牲を払っています。皆さんもそれぞれの学校での1年を様々な困難を強いられ、その区切りもないまま、本日の入学式を迎えていることでしょう。この失われた1年間の代償は、簡単には埋められません。それでもこの状況を受け入れざるを得ない時、私たちの行動が「すべてのいのちを守るために」とられていること、そしてその行いは尊く、愛にあふれているのだと自覚したいものです。自分の身を守ることだけではなく、他者の命にも心を配る思いやりが、この忍耐を支えているのだと自覚したいものです。カトリックミッションスクールである本校の一員となった皆さんに求められていることとは、まさしくこのこと、つまり「自己犠牲」であり、自らの権利のみを主張するのではなく、社会の中での連帯と思いやりを意識した行動をとれるようになってほしいのです。
 わたしたちは、この理不尽な感染症が、どうして今、この時に起こり、こんなにも世界中を混乱させているのかわかりません。今回の事態で、多くの尊い命が奪われました。また、病気に苦しむ人、病人を支えるために懸命に闘う人、経済の悪化に苦しむ人、雇用を失う人。世界中には、様々な状況下で命の危機や精神の限界に直面する人たちであふれています。私たちは、人としてどうのようにこの状況と向き合うべきなのでしょうか。キリストは、その態度として「人とともに、人のために苦しみ、真理と正義を守り抜くために苦しみ、真に愛する人となるために苦しむ」ことを求めています。私たちがコロナ禍で本当に試され、求められていることとは、そしてそのゴールとは、医学の進歩によるウイルスの撲滅ではなく、人類がどのような困難にも連帯して立ち向かうことができるという「信頼」や「安心」に包まれた社会を築くことのはずです。
 本日入学された皆さんには、本校での学びを通し、他者のために生きる喜びを本当の喜びとすることができるよう、知的にも人間的にも大きく成長することを期待します。そして、その姿勢こそが、本校の校訓「地の塩・世の光」が求めるところなのです。
 保護者の皆様、御子息、御息女の本校への御入学に御理解をいただき、こころから感謝申し上げます。環境が大きく変わり、何かと御心配なことも多いかと思います。担任をはじめ、学園が一致団結してサポートしてまいります。学校は楽しいところです。どうぞ安心して学校に送り出してください。これからの御支援と御協力をお願いいたします。
 新入生の皆さん、学校生活を始めるにあたり、自らの健康を大切にし、体と心を鍛え、しっかりと勉学に励んでください。新たな友人と出会い、語らい、生涯の友を数多く作ってください。皆さんが本校を巣立つ日には有終の美を飾り、次のステージへと羽ばたいていくことを心より期待しています。